「献金は信仰のバロメーター」?

キリスト教会では、「献金は信仰のバロメーター」という言い方がよくなされるように思います。実際、ググってみたら教派を問わずあちこちの教会のホームページの説教でそう書かれているのが見つかりましたし、私の通っている教会でもある人がそんなことを口にしているのを聞きました。
誰が言い出したのかは知りませんが、どうも、日本基督教団の牧師だった辻宣道氏の『信仰生活の処方箋』という本に書かれているそうです。

ですが、私はこの表現は一体何が言いたいのかよくわかりませんし、聖書に照らし合わせても怪しいと思っています。
そこで思いを巡らせてみますと、バロメーターとはもともと気圧計を指す語であり、それが転じて、あるものの基準を量るものという意味が生まれたのだと思います。ですから、献金が信仰のバロメーターであると主張する人たちは、献金が、献金をする人の信仰の基準になると考えているのでしょう。
ではその献金というのは、献金の額のことなのでしょうか。さすがにそんなことを堂々と主張する人は少ないと思います。さすがにこれを直感的におかしいと思わない人はいない、と信じたいものです。
では、財産に対する献金の割り合いなのでしょうか。たとえば、生活費の10分の1を捧げている人は、100分の1を捧げているよりも信仰が深いのでしょうか。あるいは、年収1000万円もあるが、そのうち800万円を献金している人は熱心な信仰の持ち主なのでしょうか。献金の話でよく引き合いに出される、マルコ福音書やルカ福音書で登場する貧しいやもめの物語でイエスが言いたかったのはそういうことなのでしょうか。

どうも教会でなされる説教の出だしのような内容になりましたが、後日うまくまとめられるでしょうか。

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