辞書めくり

前の記事で、突然同窓の女性からFacebookで「友達リクエスト」があって戸惑いを隠せなかったことを書いた。その後、彼女に向けてやや毒気を含んだ半ば独白のような言葉を二、三発信してみたところ、随分優しいメッセージが返ってきたので、情にほだされて改めてお返事を書くに至った。やはり彼女はいい人のようである。他のハイソな連中も含め、忙しいながらも人生にゆとりを持っていることが感じられた。だから私のような者にたいしても優しくなれるのだろうか。少なくとも時間はあるはずなのにいつもかつかつの私とは大違いである。彼女と同じく同窓である友人豚にこの話をしたところ、純粋な奴だ、今頃お前の文章は回し読みされている、などと言われたが、いくらゆとりがあるといってもそのようなことをするほど暇ではないと信じたい。まるで天使と悪魔である。

私はこの日記ではプライバシーについては特に気をつけたいと思っているので、その女性自身については何も書くことはできないが、私が小学校の頃に辞書で人の調べないような言葉、たとえば「右」という単語を調べていたことを覚えていると言っていたのである。子供の頃は(今に至るまでであるが)ともかく『告白』を書いたアウグスティヌスも真っ青になるほどの馬鹿なことばかりしていたのは嫌になるほど覚えているが、そんなこともしていたのかと呆れ返った。学校の教室においてあった金田一春彦が編纂した国語辞典を何度かめくった記憶は確かにあるが、さすがに何を調べていたのかまでは覚えていないし、まして実際に「右」と調べて何と書いてあったのかなど全く、である。

そんな彼女の言葉に触発され、手元にある電子辞書に入っている『デジタル大辞泉』で改めて「右」を引いてみたところ、以下のように書かれていた。

「1、東に向いたとき南にあたる方。大部分の人が、食事のとき箸を持つ側。右方。」

「右」を説明するのに右という言葉を使っては何の説明にもならないのでどう説明しているのか気になったが、確かに東西南北なら左右の概念を説明できそうである。それにしてもなぜ箸なのか気になって試しに「左」も引いてみたら、「食事のとき茶碗を持つ側。」と書かれていた。なるほど、お箸とお茶碗の組み合わせとは、確かに日本人にとっては直感的でわかりやすい説明で、うまいことを考えたものだ。では日本以外ではどうなのか。興味が湧いて『ロングマン現代英英辞典』を引いてみると、rightは大部分の人が書くときに使う側とあった。ではleftはどう説明しているのかというと、なんと「心臓のある側」なのである。当たり前といえば当たり前のことなのかもしれないが、よく思いついたものだと思う。

このようになかなか面白いひとときを過ごさせてもらった。自明だと思っていることを何も知らないものと思って追究するというのは大事な姿勢ではないか。新しい思想というものもそこから始まるのではないか。子どもの私はそんなことは当然まったく考えずに、ただの素朴な好奇心でめくっていたにすぎないのであろうが、今になってこそ振り返る価値がある姿ではないか。そんなことを考えさせてくれた彼女には改めて感謝したい気分である。

そうそう、これは余談であるが、めくっていたといえば、幼稚園小学校低学年の頃は素朴な好奇心から別のものもよくめくって女子から総スカンを食らったものだった。今それをやればすぐにおまわりさんが駆けつけるに違いない。どうしてそんな馬鹿なことをしていたのか。まったく、間接的にとはいえ嫌なことも思い出させてくれた。

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