やたら謝り過ぎの南海のアナウンス

南海電車で、外国人の乗客が多くて迷惑をかけているという旨の差別的なアナウンスが流れて問題視されました。どうも外国人、特に中国人の観光客の乗客が多いことに苛立った別の乗客がわめきちらしたことが発端だそうですが、確かに、昨今の外国人差別は酷いと思わされますし、その乗客は差別意識が強い人間であることは推測できるものの、南海電鉄に差別的な悪気はなかったと思われるのです。むしろ問題は別のところにあるのではないか、そんなことを一昨日に南海に乗って思わされました。

というのも、夜の6時頃に、なんばから南海本線に乗り込んで、出発して間もなく、「車内が大変混雑して恐れ入ります」というアナウンスが流れたのです。これはおかしな話です。明らかに狭苦しい設計で、車両数が少ない列車や、本数が少ないのならともかく、車内混雑がするのは別に南海の責任ではなく、この時間帯が混むのは社会の仕組み、一般的な人が活動している時間からすると当たり前であって、誰に恐縮しているのか全く不明です。確かに車内が混雑しているのは個々の乗客にとって気持ちのいいことではありませんが、それは皆同じように感じていることでしょう。とりあえず、お客が少しでも不快に思っているのかもしれないのなら、とりあえず謝ればわかってくれるだろう、謝らなければいけないという考えに取り憑かれているように思いました。それはなにも南海がおかしいのではなく、そういう傾向のある企業は他にもあるでしょうし、さらには企業の一方的なものではなく、とにかく、とりあえず、物事が正しいかどうかにもかかわらず謝らなければいけないものだという社会的な見えない圧力が働いているのではないでしょうか。

ドイツ語などを勉強していますと、向こうでは謝罪すると自分の落ち度を認めたことになって責任をはっきり追及されるおそれがあるのでむやみに謝らないそうですが(確かに実際ある人と話してみて頑固だなあとさえ感じたことがあります)、一方日本人は責任がどこにあるかをはっきり問うことなく、謝り過ぎ、謝らせすぎなのではないでしょうか。そうだとしたら、先の差別的なアナウンスも、「トラブルを避けるため」に行ったそうで、このような日本的な発想が根底にあるが故に起こったといえるのではないでしょうか。

しかし、角を立てることを良しとしないからとりあえず謝ったところで、今回ニュースになった件のようにそれでは済まないことも多々あることにいい加減気づくべきでしょうし、もう少し物事の責任の所在を冷静に判断する能力が求められて然るべきだと思いました。

今回は謝罪の圧力という視点から書いてみましたが、忍耐や公共性の欠如(徒党を組むことは好きなくせに)や、快楽至上主義の社会という点から語ることもできるのではないかと書き終えてから気づきました。むしろそっちのほうがオーソドックスでしょうか?

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