大学で法律を学んだ友人に触発されて、生まれて初めて裁判の傍聴に行ってきました。南森町か北浜が最寄り駅の大阪の裁判所は、地方裁判所と家庭裁判所と簡易裁判所と高等裁判所が同じ敷地内にあります。大都市ならではでしょう。あまりにも大きな建物だったので写真を撮ろうとしたら、禁止されているのでと守衛さんに止められました。法廷の中だけでなく、敷地内全体が撮影禁止だとは知りませんでした。でも、よくワイドショーなどでは、建物から出てくる弁護団の様子が映し出されていますが、あれはどうして良いんでしょうか。

さて、不謹慎ですが、そちらのほうが面白いだろうと思い、民事ではなく刑事裁判をいくつか見ることにしました。傍聴は予約など不要ですし、裁判中の法廷への出入りも自由なのです。後者は受付に尋ねて初めて知りました。

昼過ぎからその日の終わりまで、いくつもの裁判を出たり入ったりして見ましたが、ドラマなどで出てくる大法廷しか知らなかったので、ほとんどの法廷がこじんまりとした部屋で行われていることはちょっとした驚きでした。地裁の傍聴席は二列、高裁で三列しかなかったです。
それよりも一番印象的だったのは、被告人のほとんどが再犯ないし累犯だったことです。更生の難しさを感じました。好き好んで自由な生活を剥奪されて苦しい刑罰など受けたくはないでしょうから(稀に刑務所に入りたかったという動機の人もいるようですが)、薬物犯罪に限らず、おそらく自分で自分をコントロールできないのでしょう。ある意味気の毒です。ある被告人質問を聞いていても、弁護士も検察官も呆れ顔で、私も、「こら絶対また再犯するやろうなあ…。」と内心思っていました。

更生とは書きましたが、私は犯罪者に対して反省が足りないとかなんとかいう意見を聞くたびに、ずいぶん幸せな世界で生きてきたナイーブな人たちだと思わざるを得ません。人間、たとえ長い時間をかけようともそれまでの生き方、価値観などを容易に変えられるものではないですし(犯罪とは無縁の善良な方々も胸に手を当てて考えていただきたい)、脳のレベルで偏りや異常があるとすればなおのことです。実際、発達障害や精神疾患を抱えている被告だって少なくないでしょう。無免許運転、大麻取締法違反(弁護側は無罪を主張していましたが…)、さらには老婆の窃盗などの法廷を見ましたが、話を聞いていると彼らは悪人というよりも(当然犯した罪自体は悪いのですが)、病人ではないかと思えてきました。責任能力は認められても、彼らのような人に責任を負わせて何の意味があるのか疑問に感じました。口先だけの反省の弁や、形式的な刑罰を受けるだけで被害者も気が済むんでしょうか。

ですから、ただ一線を越えるか超えないかの違いだけで、遵法精神が高い人のほうが少ないでしょうし(私も自信がないです)、畜生にも劣るような人間性の輩などいくらでもいるでしょうから、刑務所行きの人に対しては、罪の償いや、行いを悔い改めるなど道徳的な教化などには期待せず(そういうのは宗教家にでもやらせればよろしい)、行動心理学のような手法で(必要なら薬物の助けも借りながら)、その一線を超えないための制御に特化したほうが、とりあえず出所後まともな生活を送れるようになって再犯率も下がり、社会のためになるのではないかと考えています。

とはいえ、刑務所のプログラムを調べたわけではないですし、向こうもプロですから私の考えなどよりはもっと議論が重ねられたうえで今の形になっているのでしょうから、そんな単純なものではないでしょうけれども。