Amazonの「参考になった」レビュー、ベストレビュアーがあてにならない例(狂信的フランス現代思想嫌い?の場合)

もともと書店サイトとはいえ、今やあらゆるものが買えると言っても過言ではないAmazonですが、特に本のレビューは、「参考になった」と投票された数が多くても、実際に読んでみると全然書いてあることと違ったりして肩透かしを食うことがあるものです。

というのも、特に政治的な内容の本に多いのですが、明らかに本を読んでいなかったり、読んでいても、あらかじめ凝り固まった偏見から離れられず、著者の意図をグロテスクに歪めて受け取ってそれをレビューと称して書いているもの、そもそも、もともとの事実を誤認しているため、長々と書評のつもりで書いていても、その分野についてかじったことのある者から見ると頓珍漢なことを言っているに過ぎないこともあるからです。
そういう行いを「読んだ」といっていいのか疑わしいですし、本人にとっても何の実りある出会いにもならないのですが、マスターベーションみたいなものでしょうか。
そういうものが往々にして「参考になる」レビューや「ベストレビュアー」の肩書を持ってトップに出てくることがあるものですから、これから本を買おうとしている人はあまりあてにせずによく注意したほうが良いと思います。

今回は自分が比較的かじったことのある思想系の分野の本の、そのような「ベストレビュアー」の「レビュー」の一例を取り上げてみます。
私も持っている、『フランス現代思想史』という本の「佐野波布一」という人物のレビューです。現時点でベスト1000レビュアーだそうです。すごいですね。
この人物がちゃんちゃら可笑しいのは、他のレビューを読めばわかりますが、とにかくフランス現代思想、ポストモダニズムを目の敵にしたいようで、日本の哲学界(哲学者界?)がポストモダンを礼賛しているかのようにみなしてそれに対していちゃもんをつけているのですが、コメントでも指摘されているように、そんなことは全然なく、明らかに事実に反していることです。

「レビュー」の最後に、

「〈フランス現代思想〉がすべて意味のない思想だとは思いませんが、
日本の思想界が過剰に礼賛しすぎているのは間違いありません。
僕はそれこそ東京大学哲学人の生き残りのための戦略ではないかと疑っています。

いったん〈フランス現代思想〉の権威化というガラパゴス化から脱して、
新たな視点で思想を考え直していくべき時期であることを、
教えてくれる良書です。」

などと書いていますが、日本の思想界が過剰に礼賛しているというのはどういう根拠があってのことでしょうか。
他の本のレビューでも、「日本では現代思想といえばフランス思想と相場が決まっています。東京大学がフランス思想研究に偏っていることが原因のひとつですが、」とか、「日本では現代思想といえば〈フランス現代思想〉という思考停止状態が長く続いています。」とか書いてますが、この部分だけでもこの人物の教養が胡散臭いことが窺い知れます。
統計を見たことはありませんが、まだまだプラトンやらハイデガーやらのもう古典の域に入っている哲学者をベースに研究している人が多数派なのではないでしょうか。色々な大学の教員の顔ぶれや業績一覧を見る限りは。要するに単なるこの人の思い込みでしょう。

この人物が槍玉に挙げている東大の哲学科といえば(というより大抵の大学の哲学科といえば)ぱっと思い浮かぶのは文学研究科ですが、教員の顔ぶれを見ますと、筆頭が英米系の哲学、現象学、古典ギリシアときて、かろうじて中世哲学と並んでフランス現代哲学を専門にしている准教授がいるくらいです。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/prof.html
これだけでも東京大学哲学人が、フランス現代思想にもたれかかっているなどとは極めて疑わしいことがおわかりになると思いますが、東大ほどの規模となると、哲学を扱っている部門は他にもあって、いちいち全部列挙するのはしんどいのでやりませんが、あとは文学研究科だけでも倫理学、美学、宗教学、他には駒場にある長い名前のいくつかの研究科にも何人も哲学の教員がいますが、佐野波布一さんがお嫌いらしい東浩紀氏や千葉雅也氏の出身の表象文化論研究室でさえ、フェミニズムの研究者もいれば心の哲学の研究者もいるのです。フランス現代哲学系では、もともとデリダの研究者の高橋哲哉氏(でも出発点はこの人もオーソドックスな現象学系なんですね)は、靖国問題などの本も出していますしよく知られているかもしれませんが(というより私ですら知っているというだけか?)、フランス現代思想系のゼミを開講している人物など、東大の中でほんの一握りだということはおわかりいただけるでしょう。その一握りのゼミに大量に学生が集中しているなら話は別かもしれませんが、そんなことありえるんでしょうかね。

佐野波布一さん、コメント欄で、自分では「僕は〈フランス現代思想〉を嫌っているのではありません。有害だと思っているのです。」だと言っていますが、ごく一部が全部であるかのような、現実からかけはなれた誇大妄想をもとにわけのわからない非難を、一部の研究者だけではなく、コメントを寄せた人物にまで同じような敵とみなして浴びせるなど、単に感情的、狂信的に、蛇蝎のごとく嫌っているという表現がぴったりあてはまるでしょう。

彼を見ていて思い出したのは、とっくにあの世へ旅立ったであろう深作清次郎さんです。なんでもかんでもソ連の陰謀で一部の人々の間の物笑いの種として有名だった、かもしれません。あとはそう遠くない昔にもなんでもかんでもコミンテルンの陰謀にしたがる幕僚長や大学教員がいましたが、そっくりではありませんか。

そういえば私の知人にも駒場で研究している人がいますが、彼はバリバリの科学哲学、分析哲学の研究者で、東大の哲学人がフランス現代思想に影響下にあるなど聞いたら怒りを通り越して呆れて失笑するでしょう。あとは私が大学時代に世話になった教員に新進気鋭のポストモダン系の研究者がいましたが、彼のような人は全体から見ればまだまだ少数派でしょうし、ポストモダンを中心的に取り上げている、学術的な哲学系の媒体など、佐野波布一さんが噛み付いている青土社の「現代思想」誌くらいでしょう。(「思想」や「理想」はどこへ消えたんでしょう?)
その「現代思想」は確かにフランス現代思想の特集や連載が多いのかもしれませんが(青土社自体そっち系の本が多いですし)、そればかりというわけではないのはバックナンバーを調べれば簡単にわかることです。(私もニーチェ特集の号を持ってます)

せっかくコメントしてくれた人にまで、「前半を意図的にカットして成立しています。岡崎の内容を受けて書いたのに、僕の認識であるかのように引用し、僕の調査不足だというような書き方をしています。」などと息巻いていますが、肝心の『フランス現代思想史』には、東大の話もフランス現代思想の(日本の?)ガラパゴス化の話も出てきません。(さすがに中公新書でそんな暴論の出版は許されないと信じたいものです)
自分が勝手に自分が盲目的に敵視している、事実に反する妄想を挟み込んだだけで、本の内容の捏造、著者への冒涜ともいえる行為です。それを指摘するのにわざわざ前段を踏まえる必要などどこにあるんでしょうか。およそ学識のない人間であることが窺い知れます。
この人、一体いくつくらいだろうと思ったら、プロフィールによると1972年生まれ、つまりもう40代も後半に差し掛かるおじさんだそうです。さすがにおばさんではないと思いますがまあそれはどちらでもいいでしょう。
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGBZ2RRE4AQQ3YX2BE5YBDRW4FEA/ref=cm_cr_getc_d_pdp?ie=UTF8
知り合いにもいますが、本で聞きかじった知識をしたり顔で自慢げに延々と話すのは聞いている方からすると苦痛で仕方ないんですよね、こういう半可通のおっさんは。

こんな少し調べれば確認できるような事実を誤認というより、現実よりも誇大に妄想するような人間がよくレビューを書ける気になるものだと思います。よほど東大やフランス現代思想にコンプレックスでもあるんでしょうか。
興味深いのは、コメント欄のやり取りで、「フランス現代思想が中心でないのなら何が中心なのですか?代わるものがないから「いまだ」中心にあると僕は書いたのですが、」と書いていることです。この人が事実を捏造してまで妄想狂のようにフランス現代思想に執拗に噛み付いているのは、有害だという反面、自分の中でフランス現代思想を無視することも相対化することもできず、脅威的な思想だと勝手に認識しているからでしょう。
実はフランス現代思想の魅力?(妖気?)にすっかり取り込まれてしまっているわけです。嫌よ嫌よも好きのうちってやつですかね?なんか違う気がしますが。それともあれですか、小学生くらいの男の子が、実は好きな女の子にちょっかい出してばっかりするようなものでしょうか。
さっき半分冗談で名前を出したソ連ソ連の深作清次郎さんや、名前は出しませんでしたが田母神某とかこの前くたばった渡部某とか(まだ生きているのにもそういうのがいますが)、あとは嫌韓で名前を売っている連中とかにも通じるような心理だと思います。

そもそも哲学に中心もへったくれもあるんでしょうか。本来は哲学って何かにすがらずに(膨大な歴史的遺産を無視することとは別ですが)、偏見や虚妄から離れて自分で考えることでしょう。わざわざ「方法的懐疑」だとか、「現象学的還元」だとかの小難しい言葉を持ち出すまでもなく。(そういえば今は昔、受けたことのある院試で説明しなさいと出てきましたねえ。今はもう無理かなあ…)
確かに、二昔前はやれ実存が、一昔前はエクリチュールがどうのこうの(佐野波布一さんにとっては一昔前でもなさそうですが)、あー実存うんたらのときにはマルクス主義も流行ってましたか、でも今はそういうものが(本当は)ないから、不安で怖い自分を支えてくれる強い、けどフランス現代思想ではない思想を探しているんでしょうか。おおよそ哲学からは程遠い、自分の信念のないかわいそうな人だと思います。もっと大昔、ヘーゲル哲学が猛威を奮っていたらしいヨーロッパで、栄光の影で人から嫌われても必死に自分の哲学を磨いたキルケゴールやニーチェらの爪の垢でも煎じて飲めと言いたいです。
ああ、でもあくまで思想って書いていますから、思想と哲学って厳密には違うものですし、哲学は興味がないけど流行りモノの思想はかじりたい、すがりたい(ファッションみたいに身にまといたい?)人なのかもしれませんね。そうだとしても、フランス現代思想が現代日本の(大学人の?学界の?)思想の中心だとは甚だいかれた現実認識、要するに妄想だと思いますが。先程書いた気になる女の子にちょっかい出す理論で、大多数の人は読む気もしないようなその手の本を読みすぎているからそんな妄想に取り憑かれるのでしょうか。雑誌でいえば「現代思想」以外は時代遅れだとでも思っているのだとしたら、それこそフランス現代思想(というより青土社の商業戦略?)に飲み込まれてしまっているでしょう。バカげた話です。

いずれにせよ、もうこの年になると外から忠告を受けても聞くような謙虚さは往々にして失われているものですし、せいぜいドン・キホーテのごとく、見えない敵と延々と戦い続けて力尽きてくれれば良いのですが、巨大なサイトに掲載されている以上は、こういう人の言うことを真に受ける人も出てきかねないわけで困ったものです。真に受ける方も真に受ける方なのですが。
ともかく、ベストレビュアーなんて肩書を持っている連中の蓋を開けたらこういう類の人物だったということなんてザラなのがAmazonですから、Amazonで本を読むとき、選ぶときはレビューやレビュアーはあらかじめ疑ってかかったほうが良いと思います。それこそデカルトやヒュームばりに。とでも書けばうまくオチになったでしょうか。

久しぶりに上で言及した本のAmazonのページを開きましたが、現時点での最新のレビューも醜悪ですね。全く本の内容に触れておらず、自分の妄想を延々と書き連ねているだけです。こういうものはさらに論外なのは言うまでもありませんし、掲載する価値もないでしょう。残念ながらこういう類の輩も多くて目立ったりするのもAmazonなのですが、削除するよう申請しても消してくれた試しがありません。

なお、『フランス現代思想史』自体は、他の入門書や解説書では名前を聞かないようなドゥルーズたちより後の世代の哲学者たちの議論もよく整理されていて悪い本ではありませんので念のため。

(9月21日追記)
Amazonのコメント欄を再度見直したら、この佐野波布一というおっさん、「レビューも書かない方からのコメントの相手をするのは気乗りしないのですが、」なんて書いてますがこれもすごい発言ですね。Amazonのレビュアーごときが何様のつもりなんでしょうか。傲慢極まりないですし、ここでも反抗的に見えて権威(なんて実態は実際はないのですが)にすがりたいのが見え隠れしています。

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