「神は死んだのか」はひどい映画らしい

私はキリスト教徒ですが、今上映しているらしい映画「神は死んだのか」は観ていません。そういう映画がやるというのは聞いていましたが、いかにもアメリカの原理主義的キリスト教徒のプロパガンダのような内容で、くだらない(もっと言えば気持ち悪い)のがわかりきっているからです。日本のファンダメンタルな福音派のクリスチャンの方々はよだれを垂らして喜びそうですが。

このように私は映画館に行く気などさらさらないのですが、先日、見に行った知人(信者)が苦笑しながら、「無神論の教授があまりにも酷い悪役として描かれていた」と感想を話していたのです。思ったとおりです。「神は死んだのか」などという問いは、論理的に白黒決着をつけられるものではありません。それにもかかわらず強引に神が死んでいないなどと証明しようとすれば、敵対者を極端に頭の悪い悪役に仕立てあげて、味方はあらゆる悪辣な攻撃に耐えぬいて、幼稚な(ただしインパクトのある演出を使って)論法でその悪者を論破して、自分たちが正しいように見せかけるのがよくある手口です。陰謀論者や独裁者、あらゆるデマゴーグの好むやり方です。

興味深いのは、あらすじに、「大学に入学したジョシュ(ショーン・ハーパー)。哲学の最初のクラスでラディソン教授(ケビン・ソーボ)は、「無神論を前提に講義するため、『神は死んだ』と書くように」と学生たちの要求する。単位を取得するための授業とばかりに、学生は次々と誓約の文字を書きサインしていく。」と書いてあることです。

クリスチャン新聞のサイト内の「神は死んだのか」の蔵出しレビュー(2014年1月17日閲覧)
http://jpnews.org/pc/modules/smartsection/item.php?itemid=410

実際に起こった訴訟を元にしたとも書いてありますが、もし大学でこんなことをすれば、信教や学問の自由の重大な侵害であり、それこそ学生から訴訟を起こされかねません。常識的に考えて許されるはずがないし、あまりにも非現実的です。もうこれだけで観に行く気がなくなるというものですが、ところで、一方、アメリカでは、逆に原理主義的な教派が作った大学がいくつも存在しているのです。当然そこでは彼らの原理主義的信仰を受け入れない学生は排除されます。たとえば、日本のある教派とも関係があると言われているボブ・ジョーンズ大学では、そう遠くない過去まで人種差別を公然と掲げていたのです。排他性を持っているのは一体どちらでしょうか。

ふと思いついたのですが、「神は死んだのか」を支持するような人たちはおそらくファンダメンタルなクリスチャンだと思いますが、彼らは自分たちの中にある汚点を認めるどころか、それを他の立場の人たちのものであると倒錯的に考えているといえるのではないでしょうか。精神分析的に解釈してみると面白いかもしれません。(「抑圧」、「投影」など」)また、ありもしない被害者意識、被害妄想を持っているという点では、「在日特権」、「反日勢力」がどうだとわめきちらしているネット右翼の心理と極めて近いものが感じられます。

呆れたことに、この映画を使って、「伝道」に勤しんでいる教会があるらしく、またわざわざそんなことを、福音派のニュース媒体である「クリスチャン新聞」がとりあげていたのです。こんな稚拙なストーリーで、一体人に何を信じさせるつもりなのでしょうか。下のレビューでも書いてあるように、幸福の科学の手口と何の違いがあるでしょうか。実際、あらすじやレビューを見た限りでは、数年前に映画館に観に行った、幸福の科学の「ファイナル・ジャッジメント」という映画によく似ていると感じました。(そういえば幸福の科学の主張もネット右翼に近いですね)
とにかく、キリスト教徒の側としても恥ずかしい限りです。感想を話してくれた知人も含め、私の知っている、真剣に神を信じているキリスト教徒の人は、こんな映画を真面目に相手にしないであろうということだけは書いておきます。

以下のレビューは映画をわかりやすく要約している秀逸な感想だと思いました。ここまでけなしたからには、DVD化されたら一度借りて見てみようと思い直しました。

神は死んだのか(原題 GOD’S NOT DEAD) ただ文句が言いたくて(2014年1月17日閲覧)
http://www.tadamonkugaiitakute.com/8236.html

「知的エンタメと真逆映画」と皆に伝えよう(Yahoo!映画内の真木森さんのレビュー)(2014年1月17日閲覧)
http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%AE%E3%81%8B/350340/review/%E3%80%8C%E7%9F%A5%E7%9A%84%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1%E3%81%A8%E7%9C%9F%E9%80%86%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8D%E3%81%A8%E7%9A%86%E3%81%AB%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%88%E3%81%86/20/?c=2&sort=lrf

なお、神の不在という問題に真面目に取り組んだ作品は、ベタですが遠藤周作の『沈黙』は考えさせられました。読んだことがない方は、「神は死んだのか」のお口直しにどうぞ。

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コメント

  1. さくら より:

    私自身は信仰に縁がないのですが、最近この映画を知り、これは真面目なクリスチャンの人たちから見てもトンデモ映画なんじゃないの!?と思っていたので、興味深く読ませていただきました。
    神の不在というテーマを何度も取り上げた映画監督には、スウェーデンの名匠イングマル・ベルイマンがいます。牧師の子として育ちながら信仰から離れた人ですが、ただキリスト教を非難するプロパガンダに走ることなく、神がおられるとすれば死や別離や戦争といった身近で人間的な不幸の苦悩をなぜ見過ごされるのだろうという静かな問いかけの中に、普遍的に胸に迫るものがありました。まあ映画作家としての力量が違うと言ってしまえばそれまでですが笑、宗教を扱った映画といってもピンキリですね。まだ見ていないのですが、『神は死んだのか』のパート2はさらにトンデモ度が増しているらしいです。なんと裁判所で神は死んでいないという評決が出される! 信仰を個人的な心の道しるべとして静かに暮らしている人たちは、そんなこと全く望んでいないと思うのですが…

  2. コメントありがとうございます。ずいぶん前の話ですが、結局DVDは見ずです。
    パート2も出ているんですか。そういえば幸福の科学のアニメ映画でも、死後の世界の裁判所で無神論者が地獄に落とされるシーンがあったのを思い出しました。あれはギャグとしては笑えましたが…。

    >信仰を個人的な心の道しるべとして静かに暮らしている人たちは、そんなこと全く望んでいないと思うのですが…
    これは鋭い観点だと思います。逆にああいう映画を好きな人って、きっと、映画とかマスメディア(アメリカの「テレバンジェリスト」みたく)とか、社会的に影響力のある手段を駆使してとにかく「伝道」して、早く世界を自分たちの宗教で染め上げるのが良いことだと考えていると思うんですよ。確かに自分の信じる信仰を他人に伝えることは信仰者にとって重要なことかもしれませんが、上のような人たちの思考は十字軍やイスラームの過激派に通じるものがあって恐ろしいと思うのですが…。

    イングマル・ベルイマンの名は初めてお聞きしました。さくらさんのご説明だけでも見応えのある映画であることが伝わってきます。きっとベルイマン自身、棄教した後も真剣に葛藤し続けていたがゆえに深い作品が出来上がったのでしょう。
    ベルイマンにもズバリ『沈黙』という映画があるんですね。興味深いです。

    そういえば遠藤の『沈黙』もいつの間にか映画化されましたね。あれは好評だったようで、『神は死んだのか』を観に行った同じ知人も絶賛していました。やはり似たような材料を料理するにも力量によって全く別のものができあがるのでしょう。
    でもそれ以前にプロパガンダ映画は動機が不純すぎますから、多くの観客はそういう卑しさを見抜きますよねえ。人を馬鹿にしていると思います。

    私自身、一応未だキリスト教会の末席を汚していますが、周りだけでもいろいろな人がいますし、どういう宗教でも一歩間違えれば暴力や権威で人を支配することを肯定しかねないものがあると思い、悩み多き毎日です。

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