Wikipediaのエドマンド・バークの記事がおかしい(ネット右翼ないし歴史修正主義者の影響?)

ロイ・ポーター『啓蒙主義』という本を図書館で借りて読んでいたら、エドマンド・バークという人が出てきました。私はこの人物のことは、古典的な保守主義者だということくらいしか知らなかったので、ちょっとググってウィキペディアのページを見てみたら、教養の全くない人が書いたとしか思えない、目を疑うようなことが書いてありました。

いうまでもないことですが、ウィキペディアはお手軽に物事を調べるのには優れていますが、明らかな事実誤認のいい加減な内容や、党派的な偏った見方から書かれた記事も多いものです。自分が多少心得のある分野記事、たとえば、私がキリスト教関連の記事を見ると、自分勝手で出鱈目が書いてあるかよくわかるということを何度か取り上げました。こういう類の「百科事典」であるわけですから、内容をうのみにするのは非常に危険であり、まして、大学のレポート等の出典に使えるような代物ではありません。

さて、エドマンド・バークのページにどのようなことが書いていたかと以下のような記述です。

だが、フランスでは反バーク的なルソーの影響はまだまだ絶大で、ニーチェやハイデガーやフロイトなどとこのルソーを混淆して、1968年頃にはフーコーらのポストモダン思想を構築している。[要出典]

バーク哲学が事実上まったく導入運用されなかったのは、ドイツとロシアである。ドイツではルソー直系のヘーゲル[要出典]を通じてドイツ歴史学派やマルクス主義が隆盛し、マルクス主義からフランクフルト学派の社会学などが発展した。なお、このドイツ主流派の流れと対立する思想のイマヌエル・カントは[要出典]『判断力批判』において、バークの美学・崇高論を参照している。カントの思想は一部ニーチェに引き継がれた[要出典]が、結局のところドイツでは現代にいたるまで、このカント的[要出典]あるいはバーク的といえる思想は現実社会で具現化しなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF
(2015年5月29日閲覧)

今は昔、私は一応、かつて大学で西洋思想を専攻した人間です。ミシェル・フーコーについては疎いですが、彼がルソーとニーチェやハイデガーを混ぜこぜにしたという話は寡聞にして聞いたことがありません。私が世話になったポストモダンが専門の先生にそんなことを言ったら、鼻で笑われるであろうことだけは言えます。
ヘーゲルがルソー直系だというのも初耳です。ふつう、ヘーゲルはカントの影響を受けた、フィヒテ、シェリングと並んでドイツ観念論の哲学者に位置づけられます。ところで「ドイツ主流派」ってなんなんでしょうか。そういう学派は聞いたことがありませんが、ドイツ観念論隆盛の時代はまさにカントは主流派に位置づけられていたことでしょう。
カントの思想がニーチェに引き継がれたとありますが、ニーチェの主著を少しでも読んだことがあるんでしょうか。
ちなみにカントってルソーの『エミール』に大変な感銘を受けて、毎日決まった時間に行っていた日課の散歩を忘れてしまったほどなんですが、そういうエピソードも知らないんでしょう。
私は別にカント哲学を専門的に学んでいたわけではないですが、Wikipediaの記述がデタラメなことは、哲学史のテキストはおろか、高校倫理の教科書を読めば明らかなことです。教養とは縁遠いくせにしたり顔でこの記事を執筆した人たちや、疑問に思わず何年も野放しにしていた編集者気取りの方々には呆れ返るばかりです。
昨年になってようやく「要出典」タグがつけられていたのがせめてもの救いです。敢えて消さないのは、ウィキペディアがいかに信用できないかと警告を発しているんでしょうか。

そういえば、差別主義者、ネット右翼系のサイトで、ルソーやヘーゲルが一方的な理由で毛嫌いされていたり、フランクフルト学派がGHQと手を結んで戦後の日本を駄目にしたなどという馬鹿げた陰謀論が書かれていたのを見たことがあるのを思い出しました。たとえば、ネット右翼に精神構造が極めて近いと思われる渡部昇一なども、ルソーを罵倒するような本を出しているようです。(フランクフル学派陰謀論も、渡部昇一か他の人かは忘れましたが、安倍晋三と親交のある人が言及していた覚えがあります)
今回指摘した箇所の出典はわかりませんが、もしかしたら、Wikipediaの記事はそういう偏った見方から書かれたのかもしれません。一種の歴史修正主義者といえるでしょう。

彼らは一方でバークを持ち上げているようですが、たぶんバークのこともおそらく右翼的なイデオローグの本の受け売りで、本当はよく知らないと思います。
歴史を真剣に学ぶ気がないくせに、傲慢に真実を知っていると自信たっぷりに誇っているので平気で嘘が書けるのです。歴史の中の出来事、たとえばある思想同士の対立ならば、それぞれが生まれた歴史的な文脈、当時の社会状況や、影響力を持った理由、などを想像したり考えもしないのでしょう。そして自分の妄想ででっちあげた敵を叩いているわけです。(彼らは傲慢にも、哲学の専門的な研究者が書いた哲学史のテキストのほうが捏造、偏向されているとでも言い出しかねません)極めて悪質です。

こういう人たちは間違っても曲がりなりにも百科事典の編集には一切携わって欲しくないものです。まだ百科事典の編集くらいならそこまで社会に害毒は与えないかもしれませんが、上にも書いたとおり、こういう知性を馬鹿にするような連中と一緒に本を出したりするような人が首相をやったりしているのが今の日本ですから悪影響は決して無視できるものではありません。

ちなみに、哲学史のテキストは何冊か読みましたが、初めての人になにか一冊というなら貫成人『図説・標準 哲学史』がおすすめです。貫氏は確か、ハイデッガーの師匠だったフッサールの研究がもともとの専門だったはずですので、ルソーやヘーゲルが嫌いな自称・「保守」の方々でも安心してお読みになれると思います。

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コメント

  1. 通りすがり より:

    ニーチェがカントの影響を受けていたのは事実です。恐らくブログ主さんも知っているぐらい日本では有名な翻訳家だと思いますが、木田元や中山元なんかはそういう解説を色々な本に書いています。言うまでもなく、この二人は中川八洋のような怪しい学者ではありません。

    私もヘーゲルがルソーの直系だとは思いませんが、ルソーの影響はかなり受けています。シェリング、カント、ルソーがヘーゲルに与えた影響は、比率にすると同じぐらいではないでしょうか。むろん、通説ではヘーゲル哲学の構築に最も寄与したのはシェリングとされていて、私もそこには異論がありません。

    フーコーはハイデガーやニーチェの思想を援用して、「16世紀以降の西洋世界で確立されていった“人間”という概念が、それぞれの時代を支配するエピステーメーのひとつでしかなかった」と指摘し、「人間の終焉」を予言しています。ニーチェが指摘したように、西洋人は神を解体しましたが、フーコーによれば今度は人間という概念が解体に向かうだろうというわけです。

    その右翼チックなウィキ記事の下敷きにあるのは、木田さんが『反哲学』(これも哲学フリークの間では有名な本でしょう)で述べているような、伝統的な西洋形而上学の批判の先にある現代思想を、更に批判してやろうという「反現代思想」的理論でしょう。

    • フィルターの精度が悪いのか、こちらに限らずいくつかのコメントが自動的にスパムに分類されてしまっていました。お返事が遅れて申し訳ないです。

      木田氏も中山氏ももちろん存じ上げていますが、そういう解説をされているのは知りませんでした。ニーチェ自身はちょっとどの著作か出てきませんがカントを罵倒していた覚えがありますが…。
      個人的にはフーコーの教科書的な説明を書いてくださるのなら、そちらの出典と内容を知りたかったです。

      それはさておき、Wikipediaの当該記事の編集者に仰るような動機があるとは私には考えられません。もう私にとってはうんざりするようなジャーゴンですが、現代思想的な解体でも脱中心化その他もろもろでもなんでもなく単なるバークの名を使っての反動的なルソーやマルクス主義叩きにしか見えませんが。
      わざわざフーコーやハイデッガー等を持ち出す必要性もありませんし、そもそもこの見出し自体蛇足でいらないんじゃないでしょうか。
      独自の主張をするのなら出典を示した上で論理的に説明すべきですし、そもそもWikipediaはそういう場所ではありませんからね。おおかた、誰かは知りませんが関連文献一覧にある本に書かれている解説を適当にまとめただけじゃないでしょうか。それこそ中川八洋とか西部邁みたいな。
      私が指摘した箇所の見出し以下からは、野中郁次郎なる人物の本にそういうことが書いてあるとも受け取れますが、この人は経営学者で、政治学にも哲学にも素養があるとは思えない人物ですし、いずれにせよ乱暴で不適切な記述であることには違いありません。

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