実存主義は非歴史的なのか
とある神学の本を読んでいたら、実存主義は人間が歴史的存在者であることをないがしろにしているというような大意の文章と出会いました。
実存主義に関心がある人間としては本当にそうなのかと疑問がわきました。確かに、実存主義の祖と言われるキルケゴールの本を読んでいると、歴史的なものを敢えて無視しているような印象を受けますが、自分が実存主義者と言われることを嫌っていたものの、彼なしには実存主義を語れないハイデッガーの『存在と時間』を読んでいると、彼ほど人間の歴史性を重視していた人物もそうはいないように感じます。
実存主義を批判する神学者たちは、おそらくブルトマン、特にその非神話化を念頭においているのだと思いますが、果たしてブルトマンの神学は歴史性を軽視していたのか、これは自分の目で確かめる必要があると思いました。骨が折れる作業ですが。どこから手を付ければいいのかも悩みます。