非常識で迷惑な選挙活動(尾崎望氏と向原祥隆氏の場合)

昨日、大変不愉快な体験をしました。私はキリスト教徒でして、教会から帰ろうとしたら、なんと教会の看板の前の歩道で、横断幕を掲げた人たちが、大音量で選挙の応援演説をしていたのです。演説は来月に行われる京都府知事選挙の候補者、尾崎望氏のためのもので、応援者はおそらく、共産党系の左翼思想をバックボーンにしている人たちだと思います。

日本のキリスト教会の主流派は、第二次世界大戦中に、キリスト教会でありながら、天皇を頂く国家体制側に協力したという経緯があり、その反省から、特に私の所属している教派は政教分離の原則を大切にしているのです。

このようなことは以前にもあり、その時も共産党系の人たちが同じように演説を行っており、牧師が教会の前でやるのはやめてもらうように頼んだのでした。今回も演説をしていた人たちに、教会の前で演説をされると、教会そのものが特定の政党や候補者を支持していると誤解を招くのでやめてほしいと言ったところ、活動家の一人の女性が食って掛かってきたのです。曰く、許可をとって教会の前とはいえ公道でやっているので合法であると法律を盾にして抗弁するだけでなく、さらには、教会が演説を規制するようなところだとは思わず残念だ、貴方のような若い人がそんなのでは困るなど云々。
確かに法的に問題はないでしょうが、彼女は合法なら何をやってもいいと考えているのでしょうか。(そういう人に限って遵法精神優れた人でないことが往々にして多いものですが)極端な例を挙げますと、ヒトラーは合法的に政治権力を掌握したわけです。なにも教会が上から規制しようというのではなく、合法であろうとも、私が言っているのはそれ以前の一般常識の問題だと思うのですがいかがでしょうか。相手が共産党であろうが自民党であろうが日本維新の会であろうが同じことです。

結局、牧師がやってきて、別の場所でやってもらうよう改めて婉曲に頼み込んだおかげで、活動家の人たちには帰ってもらうことができました。私は特に攻撃的なことを言ったつもりはありませんが、直情的なところは確かにあると自認していますので、言い方がストレートすぎたのかもしれませんし、最初から牧師や他の人に任せておくべきだったのかもしれません。それでも、相手はいまいちこちらの主張を理解しているのか不明瞭で、尾崎望氏はこのようなことを認めているのかと気になり、帰宅した後に尾崎氏の事務所に電話をかけ、上のようなことがあったが、事務所の方ではどう考えているのですかと尋ねたところ、宗教団体や思想に関係なく、建物の前で演説をする時はそこに配慮をするのが当たり前であって、食って掛かるようなことは一番あってはならないことであると答えが返ってきました。非の打ち所のない回答だと思います。今回私に突っかかってきた活動家の人は、自分たちの主張のためには社会に生きている人間が当然配慮すべき常識を踏みにじって良いと考えているのでしょうか。

少し余談ですが、彼女はどうか知りませんが、往々にしてあの手の活動家は、人権の擁護を声高に叫ぶものです。当然その大義名分自体は全く正しい立派なものです。ところが現実の生活では、一方的に自分たちの権利を主張する一方で私の人格を攻撃するようなことを発言しているわけです。そんな人に人権を語る資格など、まして社会の行く末を語る資格などあるのでしょうか。足元が全く見えていないと思います。

ところで、今回のことで思い出したのは、一昨年の鹿児島都知事選のときのことです。当時私は大学にいたのですが、今回の尾崎望氏と同じく、脱原発を強く掲げている候補者の向原祥隆氏の後援者の車が大学の正門の前に止まり、大音量でギターと鐘を鳴らしながら演説を始めたのです。しかも演説の内容もお経のように調子で「○○、ふざけんじゃね~」と何を言っているのかもわからない、うるさいだけのものでした。建物の三階にまで大音量は響いてきて、大変耳障りで迷惑でしたし、しかもその時はまだ授業時間中だったのです。ふざけるなというのはこちらの台詞であります。確かに彼らは許可をとって完全に合法的に選挙活動を行っていたのは間違いありませんが、こんな時と場所をわきまえない演説をして、有権者である学生や教職員数千人は一体どう感じるか想像もできないのでしょうか。単なる気狂い、異常者と思われても仕方がないでしょう。今回の京都の件もですが、彼らのやっていることは、単なる一人よがりの自己満足以外の何物でもありません。

向原祥隆氏といえば、ちょうど昨日、「反原発・かごしまネット」代表として、鹿児島の川内原発の再稼働に講義するデモ「さよなら原発!かごしまパレード」に参加していたとニュースになっていました。私は上に述べたような傍若無人な振る舞いをしているのは末端の活動家(いわゆる「勝手連」のような)だけで、事務所の人のように、候補者の周辺の人は理性を持った人たちなのだろうと思っていました。ところが、ニュースの映像によると、向原氏は「まさに今、鹿児島県全滅の危機を前に、川内原発再稼働を阻止するために、あらゆる手段を使って断念させる」と声高に叫んでいたのです。
「川内原発の再稼働に反対する大規模集会開催」(2014年3月16日)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20140316-00000023-nnn-soci
あらゆる手段という言葉は危険をはらんでいるのではないでしょうか。目的のためには手段を選ばないという態度が、上にあげたような、己の大義名分に酔い痴れる一方で、なんら求心力のない身勝手な活動を生んでいるのではないんでしょうか。そんな人達で社会があふれたら、原発があろうがなくなろうが、世の中はどのみち破滅するでしょう。

私自身も、原発問題は決して無視できないことであると考えていますし、マルキストではないものの、別に左翼思想(余談ながら大半の活動家の人たちは自分たちの思想を本当に理解した上で行っているのかは怪しいものです)や彼らの社会活動自体を否定するわけでありませんが、真剣に社会の未来について考えているのならば上で挙げたような短絡的な活動家とは一線を画し、またそのような人たちが仲間内にいたのなら厳しく咎め、その上でもっと多くの人に理解してもらえるような方法を考え、ビジョンを示す必要があるのではないでしょうか。自浄能力のない組織ではどんな立派な主張をしても空虚なだけです。

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