京都国立近代美術館の横山大観展へ行く
昨日は、連日最高気温が38度に達する酷暑が続いている京都にある、国立近代美術館まで行ってまいりました。目当ては明治から昭和にかけて活躍した日本画家の横山大観の特別展です。
絵画は門外漢なのですが、たまにはこういうのを見てみるのも悪くはないだろうと思っていたのですが、出不精なもので結局最終日になってしまいました。近代美術館の中に入ったのは、2016年のポール・スミス展以来、電車で行ったのは初めてです。地下鉄東西線の東山駅から歩いて10分もかからなかった思います。
全く予備知識がなかった私は、ある時期の大観の作風は、輪郭線を用いないことから、当時の画壇からは「朦朧体」と呼ばれて攻撃を受けたことを初めて知りました。当然、全てがそういうタッチというわけではありませんが、おそらく大観の絵を語る上では外せないキーワードなのだと思います。現在の日本画ではそのような表現方法がどれだけスタンダードなのかは知りませんが、それほど当時は奇抜に写ったということなのでしょう。
おそらく一番の目玉は、40mに及ぶ大作、「生々流転」で、開催時期によって公開されている部分が異なり、最終日は当然後半部でした。
私はてっきり人の一生を描いているのかと思っていたのですが、水が雲から水滴として落ち、再び空へ帰っていくまでの一生だということも初めて知りました。
巻物の前には長蛇の列ができていて、警備員も誘導をするくらいで、並ぶのが嫌いな私は歩きながら列の外から遠巻きに眺めるくらいしかしませんでした。
絵の横に貼られている解説文で、大観はデッサンが苦手だと書かれていたことが印象的でした。おそらくわざと崩したのではなく、本当に不得手だったんでしょう。Twitterを見ると、他に行った人も同じような指摘をしていましたが、基礎技術に劣っていても他の面が無視できないほど優れていたから歴史に名を残したということなのでしょうか。
大観は西洋文化がどんどん流入した明治の生まれですから、西洋画の影響も受けているはずですし(もちろん、明治より前の日本から存在する琳派や、さらには南宋時代の中国の影響も受けていたそうですが)、上記のように画壇の保守派からは「朦朧体」のレッテルを貼られたりしたわけですが、特に第二次大戦中は戦意高揚に繋がるような富士山や桜などの絵を進んで描いていたようで、一方では民族主義、国家主義的な側面を持っていたようです。
明治の初めから第二次大戦後と、90歳近くまで生きた大観ですが、日本と西洋の文化がある時には衝突し、ある時には重なり合うような激動の時代を生き抜いた日本人の姿としても興味深いものを感じました。