なにわ淀川花火大会でのアルバイトの思い出とゴミ問題

昨日は毎年恒例のなにわ淀川花火大会があったそうですが、私はまだ高校生の頃(もう10年以上前ですね)、この花火大会から帰る観客の誘導のアルバイトをした経験があります。

もうずいぶん昔のことで細部までは思い出せませんが、それはそれは大変不快な経験だったのは確かでした。拡声器を持って、歩道を歩いてくださいなどと延々と叫び続けるものだったのですが、集団心理というものでしょうか、気が大きくなっている人が多いようで、見物客のマナーが良かったとはとてもいえず、歩道のガードレールに座って酒を飲んだり、聞こえているのを承知の上なのかこちらを小馬鹿にする連中や、中にはこちらの呼びかけに対してわざと挑発的な態度を示して車道をわざわざ歩く愚か者もいました。ゴミも散乱していたと思います。それからというものの、私は花火大会のみならず、こういう祭りを素直に楽しめなくなりました。空に舞い上がる花火の華やかさと、それに群がる人間や終わった後の地面の醜悪さとの落差があまりにも激しいことを痛感したからです。

ところで調べてみたら、一応、なにわ淀川花火大会のゴミに関しては問題視しているのはなにも私のみではなく、運営者側も頭を抱えているらしいことがわかりました。
https://thepage.jp/detail/20140731-00000012-wordleaf
(「花火大会のゴミなんとかならない? なにわの花火大会は運営ボランティアが楽しく処理/大阪」THE PAGE)

2014年の記事ですが、ゴミの処分については、客自身に持ち帰らせるのは不可能だと運営者側が判断し、ゴミ箱を設置した上で、なんと2000人ものボランティアが、早朝の5時から4トンのゴミ収集車60台以上分ものゴミ集めをしているそうです。ゴミ箱を設置しているといっても、当然、客全員がちゃんとそこに捨てるほどお利口ではないですから、結局はあちこちに散乱したゴミを拾い集める羽目になっているようです。ボランティアである以上、運営側からしたら人件費がかからないとはいえ、これだけの量のゴミを処分するための費用はバカにならないはずですし、もし人件費を出していたら資金がショートして運営に支障が出るレベルではないでしょうか。それに、240トン以上といっても、およそ60万人(私には理解不能な数字です)分ものゴミをすべて合わせたらそれだけの量になるのであって、一人ひとりの量は大したことがないのに、確かに持ち帰らせるのが難しいのかもしれませんが、そのためにここまでの手間を、大多数の客には何の責任も負わせずに、無償の奉仕でかけさせなければならないことに理不尽さを感じるのは私だけでしょうか。そこまでしなければ成り立たない花火大会を、身勝手な人たちの一瞬の快楽のために開催する価値が果たしてあるんでしょうか。疑問は尽きません。

花火に浮かれている見物客諸氏も、自身の浮かれ騒ぎが多くの人たちの善意によって支えられていることをよく考えて欲しいものですが、そういうことを聞く耳があったらそもそも問題にはならないでしょう。マスメディアも、ただ群衆と一緒になって花火の美しさに酔い痴れるのではなく、このような負の側面もちゃんと直視して取り上げてほしいと切に願っています。

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