「重い皮膚病」が「規定の病」という意味不明な訳語に(「聖書協会共同訳」)

日本聖書協会から新しく出版される「聖書協会共同訳」はわざわざ買う価値のある新訳だとは思えないと指摘しましたが、聖書協会の翻訳方針についての文書を読んだところ、さらに目を疑うような記述を見つけました。

新約聖書にはイエスが病気を治す物語がいくつもありますが、そのうち、古くは「らい病」、新共同訳の改訂で「重い皮膚病」と訳された語が新訳では「既定の病」と訳されるそうです。

この語はギリシア語では「レプラ」、さらに旧約聖書の律法に遡ると、ヘブライ語で「ツァラアト」です。

「規定の病」などという語は日本語としてもこなれておらず意味不明であり、社会的な圧力に配慮しすぎて翻訳を放棄したのではないかという印象を受けました。これなら新改訳のように「ツァラアト」とそのまま音写するのとどっこいどっこいです。

もう一歩踏み込みますと、たとえハンセン病患者側の支援団体が何を言おうが、皮膚に症状が現れることは聖書にはっきり書いてあるのですから、(重い)皮膚病と訳すことが差別につながるというならあまりにも短絡的な言葉狩りではないでしょうか。そもそも、聖書の時代にははっきりと、ツァラアトが社会的、宗教的にけがれているとみなされており、もしかしたら近現代よりも凄まじいかもしれない差別が存在したのは直視せざるを得ない事実でしょう。

確かに、レプラやツァラアトがすなわちらい病、ハンセン病とイコールなのかは断言できませんし、旧約聖書学やユダヤ学、考古学などの研究によってどの程度特定できるものなのかも私にはよくわかりません。(それでも本文を読む限りは、たぶん、なんらかの菌による感染性の皮膚病の一種だったのだろうは思わされますが)ですが、だからといって何者かに忖度を図ったのかなんなのか知りませんが、翻訳を捨てたかのような意味不明な訳語にするのは、かえって現実から目を背けることにつながらないでしょうか。ですから、私は新共同訳の「重い皮膚病」(旧約のように、人間以外のものに対してはなんと訳すかは難しいですが)がベストとはいえずとも、まだマシな訳だったのではないかと考えています。

この件については聖書協会よりも、現代で差別を受けた側である方の主張に問題があるように思えるのですが、今回はこれ以上は踏み込まないことにします。

(追記)ツァラアトと音写している新改訳とどっこいどっこいだと書きましたが、もしツァラアトが今でいうような病気、医学的な観点からの概念とは違って、もっぱら宗教的なけがれとしての概念なのであれば、むしろ「規定の病」などと訳出する聖書協会の新訳よりはまだマシなのではないかとさえ思えてきました。

そうでなくとも、家や革製品が人間のように病気になるわけがないのですから(人間や動物以外にも、木などの植物には病気という語を使いますが、生物ではないものには使わないでしょう)、やはり聖書協会共同訳のように十把一絡げにツァラアトを「規定の病」というのは日本語として変ですし、ここでもすべて「らい病」と訳していた口語訳以前に退行していると思いました。

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク