池田信夫blog「「十字架の神学」というマーケティング」という記事から見て取れた信憑性

退屈しのぎに「十字架の神学」というキーワードでググったら、池田信夫氏のブログ内での青野太潮『パウロ』読書感想文(?)がヒットして覗いてみたところ、どうも怪しげな記述を見つけました。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51993016.html

池田信夫という人はネット上でたまに名前を見かけますが、世の中のことにあれこれ口出しをするのが好きな方のようです。それは私も同じかもしれませんが。

当然有名だからといってその主張が正しいのか、信用できるかどうかは別問題ですし、むしろ私からすれば、どの辺が信用に値するのか全く理解できません。

まず最初に断る必要があるのは、全文はメールマガジンに登録しないと見れないらしいことです。ですから、ブログに公開されていない部分では適切に本の内容を踏まえた話が展開されているのかもしれません。

しかし、少なくとも誰でも見られる箇所を読んだ限りでは本をちゃんと読んだのか疑わしく、あらかじめ凝り固まった自分の答えを当てはめているだけではないかと疑問に思いました。さらに、他の文章からも池田氏がもはや誠実に物事を考えた上で公に言説を述べているとは考えられず、信用に値しない人物ではないかとの疑いが強くなりました。

まず、池田氏によると、「 本書もパウロの十字架の神学には、ユダヤ教に固有の「贖罪」と普遍主義的な「ゆるし」が混在していると指摘する。古代ローマ帝国でキリスト教が大流行した原因は、2世紀に疫病が流行したとき、特定の民族に依存しない「救済」を提供したからだと推定されている。それは初期には文字どおり医療による救護で、神を信じる人は誰でも救済した。 」とのことですが、「 それは初期には文字どおり医療による救護で、神を信じる人は誰でも救済した。 」というのは初耳です。私が読んだ青野氏の本ではそういう主張は見たことがありませんが、その本には書かれているのでしょうか。

それよりもさらに私が疑問に思ったのは、「 そこで彼はイエスが「すべての人類の罪を着せられて十字架で死んだが復活した」という奇妙な神学をつくり、刑罰の道具である十字架を救済のアイコンにした。 」というくだりです。

というのも、私は青野氏の『パウロ』は読んだことがありませんが、青野氏の他の著作はいくつか読みましたし、ご本人の講演も聴いたことがあり、どういう主張をする人かは(そして細かいところは違いがあれど、大抵毎回同じような話の展開なのも)それなりに知っているつもりです。

第一に、池田氏が言うような「イエスが人類の罪を着せられて死んだが復活した」いうような神学理論(贖罪論といいます)は、何もパウロが発明したわけではありません。新約聖書を読めば、あくまでパウロはすでに存在していた贖罪論を受け継いだにすぎないことがわかります。(コリント人への第一の手紙15章3節以下参照)

そして、第二に、まさにその贖罪論が一般的な定説に反して実はパウロにとって「十字架」とは結びつかないというのが青野氏が何度も何度も繰り返して説いているユニークな主張なのです。まさか、今更青野氏が宗旨変えをしたとでもいうんでしょうか。ご本人の評判を直接的、間接的に知っている者からすると、天地がひっくり返ってもありえないと思います。

ですから、青野氏の書いたものを扱う文章で、著者に対する反論でもない限り、贖罪論がパウロの主張の核心であるかのように書くことはありえず、著者に対して偽りを述べていると言っても良いくらいなのです。

これらの二つのことだけでも、基本的な事実に対する誤りがありますし、書評としても著者の主張を全然把握できておらず、読解力が疑われても仕方がないでしょう。

さらに、どうもメルマガは有料のようで、ご本人も自説を切り売りしている以上は仕方がないことかもしれませんが、公開されている部分だけでは読む人に誤解を招くという点でもよろしくありません。池田氏は博士号も取得している人のようですが、あくまでネットに載せる文章は学術的な厳密さを求められるものではないですから、 金儲けとして 割り切っているのならとやかく批判される筋合いはないのかもしれません。誠実さがない、などと。

もちろん、 もし池田氏が非公開の部分で、「しかし事実は」とか、「それに対して青野氏は」などという話の展開でもしていれば話は別ですが、「十字架の神学というマーケティング」などという、著者の主張とは全く関係のない、池田氏独自の思い込みによるものと思われるタイトルと、十字架の神学を素朴に贖罪論と結びつけているところからするに、そういう可能性は低そうです。

池田氏はおそらく自身の専門分野外の領域に対する言説で有名で、ただ有名なだけではなく、ご高説をありがたがって支持している人も数多くいるのだと思いますが、一体何をもって信用しているのでしょうか。

専門外の事柄に対して述べるときは、謙虚に、慎重になるべきだという良い見本だと思いましたが、そういう謙虚さは果たして池田氏はお持ちなんでしょうか。

ところで、池田氏は別の記事で「 反原発派の弱点は「原発事故と交通事故はどう違うのか」という批判に答えられないことだ。 」などと述べていますが、真剣に原子力発電に反対する人でそんな暴論に反論できない人などいるんでしょうか。むしろ相手にされていないだけなのではないでしょうか。原子力発電推進を主張する人とてそんな詭弁を弄しているとも思えず、もはや池田氏が本心から真面目に物を言っているのか疑わしくなってきました。フェイクニュースサイトと同じように、なんでも良いから多くの人に注目されるようなことを言えばいいという面白くもない芸、ビジネスなんでしょうか。

もっともこのような疑いは、当然のことながら池田氏に限らず、「言論人」やその周囲の人たちすべてに向けられるべきことですが。







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする