私の現状と『「甘え」の構造』と『モラトリアム人間の時代』
8月末から京都の空家賃を払い続けたままずっと大阪の実家に滞在していたのであるが、一昨日の夜に京都の下宿先へ戻ってきた。昨春に京都に来てから、徐々に心身に不調をきたし、研究への熱意も縮小して悪循環の末に大学院も辞めてしまい、現在心療内科で投薬治療を受けており、アルバイトなどもできるような状態ではなく、ようはただの無職であるにもかかわらず、仕送り頼みの生活を送っている。金銭的な余裕はあるとしても、当然、いつまでもこのような生活を続けるわけにはいかない。単なる穀潰しもいいところだからである。不要品を売却ないし処分して見切りをつけたら再び実家に帰るべきなのだろうが、私は昔から、現在の唯一の出資者となって下さっている母親との関係がぎくしゃくしており(ついでに五歳下との弟とは、父の通夜のときに口論したことを除けば5年ほど口を利いておらずお互い無視である。)、実家にいたらいたらで孤独だし苦痛なのである。その代わり近くに住んでいる祖母や親戚は未だ私を可愛がってくれるのであるが、この年になってあまり頼りにしても申し訳ない。田舎には後述の友人もいるのだが、彼も無職から脱出しようとあれこれ足掻いていて忙しいようである。私の方は論文を書いたりという創作力はないものの、単純な勉強をするための意欲はあるので、視野を広げるきっかけがつかめればと思い、受験生時代にまったく使わなかった高校生物の参考書を読んだり、数学の問題集を解いたりしている。私は私立文系型の後期入試で国立大学に滑り込み、数学理科をおろそかにしていたので今でもちんぷんかんぷんなのである。こちらにいる間は家事をしながらこのような生活を続けるつもりだが、これから一体どのように生きていくべきか悩み、葛藤が生じている。今はまだとても再び大学院に挑戦したり、仕事をしたりという大それたことはできそうにない。まずはおのれの心身の健康を回復、向上させなければならない。
そんな現在の自分の状況を把握するにあたって、書棚にあった土居健郎『甘えの構造』、小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』を理解することが有益のように感じている。現在、『「甘え」の構造』のほうを読み進めているが、思ったより難しい。ルース・ベネディクトの『菊と刀』への言及も少なくない。『菊と刀』は友人から何度か読むように進められたことがあるのだが、結局未だ読んでいないのである。『「甘え」の構造』を読み終わったら書評でも書きたいが(そうしてアウトプットしないと内容をなかなか記憶できないだろう)、まだ長文を書く意欲が湧いてこないのである。単純で短い感想文でもいいから何か書きためていくことがリハビリになるのかもしれないが。