注目されるのが目的の俗物たち(高須克弥を一例として)
私はヤフーをよく利用するのですが、ヤフージャパンのトップページを開いたら、「あなたのへおすすめ」として、汚らわしくて見たくもない高須クリニックの高須克弥を取り上げたスポーツ新聞の見出しと高須氏の顔写真が出てきて困っています。
記事によると、なんでも立憲民主党の議員に言いがかりをつけて訴える(しかも刑事告訴)つもりだそうです。以前にもそんな話がありましたが、当然のごとく敗訴になったはずです。
一応は医者らしいですし、悪知恵は働く輩だと思うので、実際のところは自分が勝つとは本気で考えてはいないのではないでしょうか。財産はいくらでもあるでしょうし、敗訴したとしても失うものもないでしょう。
なお、内縁の妻らしい漫画家の書いたものはあまり読んだことはありませんが、無責任に独断的なことを書き散らしているという印象しかありません。酸いも甘いも味わったはずの歳になってこんな老人に媚びて生きざるを得ないなど、情けないにもほどがあります。
なにも高須氏に限らず、私が批判したいかがわしいサイト、世間でもてはやされているYouTuberなどに至るまで含めて彼らに共通しているのは、結局自分の主張の正しいかどうかなどはどうでもよく、ただ注目されるのが目的だということです。そして、それが彼らの懐を潤すことに繋がったり、そもそもそういう人たちを無批判を取り上げることで潤う人たちが存在する社会の仕組みが成り立ってしまっていることが問題だと思います。
調べてみたところ、高須氏は、地裁での敗訴後に、スポーツ新聞の取材に対し、わざとらしく顔を歪めて写真に写っており、しかも「想定内の判決だが、『陳腐』という発言に僕は傷ついている。控訴します。最高裁までいくのが夢だ」(強調は引用者)などと話していたことがわかりました。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201804240000190.html
この発言が私の見解が間違っていないことをよく表していると思います。写真には西原理恵子もタレント気取りかニタニタと笑みを浮かべながら高須氏のイラストを掲げて写っており、おおよそ真面目に裁判に臨んだ者たちの態度だとは思えません。本心では裁判の結果や、自分たちの主張が正しいかどうかなど二の次三の次なのでしょう。
このような手合いは議論の余地がなく、同じ土俵に乗ってしまえば向こうの思う壺なので、なにか喚いていてもまともに相手をせずに徹底的に無視したほうが良いのかもしれません。あちらは相手をしてほしくてたまらないのですから、誰にも相手にされなくなることによって社会的に抹殺されるのが彼らにとって一番のダメージのはずです。とはいっても見たくもないのに視界に入ってくるのは目障り極まりないのですが。