リベラルでもなんでもない危険なハフポスト

スペインのバルセロナの児童図書館が、グリム童話などが性役割分担意識を子どもたちに植え付けるとして、図書館から撤去したと、ハフポストが報じているのを見つけました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00010010-huffpost-int

自分たちが考える有害なものをただ排除するのははた迷惑な一律的な価値観の押し付け、パターナリズムでしかなく(大人が語るべき教育を責任転嫁しているに過ぎません)、『はだしのゲン』を図書館から排除しようとした日本の極右活動家とやっていることはそう違いはありません。(あとはプラトンの『国家』の詩人追放論も思い出しました)

一番恐ろしいと思ったのは、これを無批判どころか肯定的に取り上げているハフポストです。以前から、まるで右翼を逆立ちさせたような作為的に一面的な文章ばかり書くと感じていましたが、改めて危険だと思わされました。

ハフポストはリベラル系のメディアだとみなされているようですが、自由民主主義を掲げている政党が実際は自由も民主主義も尊重しているのか疑わしいのと同じくらい、こんなものはリベラルでもなんでもありません。彼ら(ここは(彼女ら)と併記すべきでしょうか?)の掲げる理想を実現した社会などディストピア以外何物でもないでしょう。

右翼的な出版物のように見るからに怪しいものではなく、一見、市民に寄り添う「リベラル」の顔をしているだけかえって悪質だと思います。

ハフポストの記事は、

幼い子どもたちの身近にある童話やテレビ番組のジェンダー観は、急激にアップデートされつつある。

伝統的なプリセンス像を子どもたちに届けてきたディズニーも、「自分の力を信じる」「ベストを尽くす」「絶対にあきらめない」など新しいプリンセスの定義を打ち出している。

日本でも子ども向けの人気アニメシリーズ「プリキュア」で、2018年に初めて男の子のプリキュアが誕生するなど、正面からジェンダーの問題に切り込んだ。

などと締めくくられていますが、こういう手合いを見て馬鹿馬鹿しいと感じるのは、一見進歩的なことをやっているように見えて、実際は新しくもなんともなかったり、むしろ時代に逆行していたりすることです。(ジェンダーや女性のあり方についてはそんな横文字がなかった大正時代の日本でも与謝野晶子などが「母性保護論争」などで盛んに論じていたりするのですが)

なお、私自身は、昨年にある場所で見知らぬ人と口論になった際、刑事事件に発展することを避け、証人を立てるためにそこの従業員を呼んできたら、相手に「男らしくないぞ」と罵倒されて、即座に「こんなことに男も女も関係ないでしょう」と言い返したくらいの人間ではあります。気違いではないのかと思いました。

別に「男らしさ」とか「女らしさ」を自分の信念として掲げるのは一向に構わないのですが、それが普遍的なものでも、確固たるものでもないことに気づかず、相対化できないのはダメダメですね。

ところで、私にジェンダーの概念を初めて教えてくれたのは、トンデモで一部で有名になってしまった今は亡き大塚清恵先生で、授業の中で「ジェンダーフリーは決して『男らしさ』や『女らしさ』を否定するものではない」と述べていて、学術的な実績があるジェンダー論の専門家ではなかったものの、どれほど穏健でリベラルな立場だったのか思い知らされました。







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