宇佐神宮の歴史修正主義?(と巫女さん)の覚書
ふと、一昨年日本縦断したときに立ち寄った宇佐神宮のことを思い出した。
高校日本史で学習する宇佐八幡宮神託事件の舞台。展示館のような建物の中で、和気清麻呂が道鏡の陰謀を打ち破ったなどと書かれていたが、道鏡に天皇の位を与えようとしたのは称徳天皇の合意があったことのはずなのに(ただしwikipedia情報だがこれに関しては諸説あるらしい)、道鏡一人が悪人にされ、称徳天皇の責任は一切言及されていない。とはいえ、少なくとも、法王の位を与えるなど称徳天皇が道鏡を重用して、諫言した和気姉弟を配流し屈辱的な名前に改名させたことは確実なことであるのにそれに関しても全く触れられていなかったように思う。
千数百年も前の人物であっても、とにかく天皇に都合が悪いことは書かない、隠蔽、改ざんするという宇佐神宮の歪んだ信念が見て取れた。学校教育の教科書に書かれていることすら否定するのは、かなり強引な歴史修正主義だと思われても仕方がない。キリスト教のファンダメンタリズムにも通じる。
ところで宇佐神宮の巫女さんは可愛い子が多かった。特に上に行くほどレベルが上っていて、本殿のおみくじ売り場の女の子が一番だった。8月だったので夏休みの学生アルバイトかなにかだろうか。壁にかかっていた皇族カレンダーを見ていたら、扉を開けて顔を出してきたが、気味悪がったのかすぐに引っ込んでしまった。
あれは絶対私のような助平心から顔で選んでいるなと。若い神主がいたのであれが人事担当者に違いないなどと勝手に妄想した。
ところで、おみくじの他にも祈祷の名目が延々と並べられていて、中には「選挙当選」というのもあってご利益信仰と金儲け主義ここに極まれりと思った。俗物が神を利用して恭しくしているのは滑稽。