(転載)鹿児島市立南中学校の伝統行事を考える

※この記事は、旧ブログに2010年11月18日に投稿したものを暫定的にコピーアンドペーストしたものです。

鹿児島市の松原小学校の水泳同好会がテレビで取り上げられ、その中で映されていた指導が、熱中症や溺れたりする危険を無視した虐待まがいだとTwitterで問題視されているようです。

私自身、他にも鹿児島市内に異様な「教育」を行っている公立学校をこの目で確認した経験があることを思い出し、そのような学校がまだまだ存在することに対して警鐘を鳴らすために当時書いた記事を復活させました。今よりもまとまりのない拙文ですが、今の自分が一から書いたとしたら当時よりは簡潔に(かつ激烈に)批判すると思います。コメントをよこしてくれた当時の中学生たちが、そのまままっすぐに成長してくれていることを願うばかりです。

確認したところ、南中学校はまだこんな馬鹿げたことをしていることがわかりました。他の市内の学校も同じようなことをしていないか注意する必要がありそうです。
https://www2.keinet.com/minamic/wp-content/uploads/sites/433/2018/09/f2c4b50d902797e5af05354685e73baf.pdf

余談ながら、私は小学生の頃、戦前から存在する、軍隊の影響が残っているような厳しい指導で知られている浜寺水練学校という水泳教室に通ったことがありますが、課せられた泳法のフォームを細かい点までちゃんと習得しないと試験では絶対に昇級できなかったため(厳しすぎて初級にすら上がれなかった)、スパルタといっても上の小学校や戸塚ヨットスクールなどとは違って安全管理についてはかなり配慮していたのかもしれないと思いました(実際に重大事故が起こったという話は聞いたことがない)。

(以下から転載)

前の記事でも書いたとおり、昨日は友人と遊びに行きまして、その帰り道にある、「鹿児島市立南中学校」を覗いたら、女子生徒が二、三人、ほとんど人のいない運動場の片隅で、後ろに手を組んで立っているのです。
角を曲がってもう一度中学校を見てみたら、学校と歩道とを隔てているフェンスと、体育館らしき建物との間の細い空間に、やはり生徒が数人、竹箒を持ちながら目をつぶって立っているのです。
そして、フェンス越しの道路から、iPodのような音楽プレーヤーの緑色のイヤホンを耳につけた、坊主頭で大柄の教師と思しき男性が立って子どもたちを見ていました。
異様な雰囲気を漂わせていたので、「おや、これは一体なにをしているのだろう。もしかしてなにかの罰ではなかろうか。」と不審に思い、イヤホンをつけた先生らしき男性に、「これは一体何をしているんですか?」と尋ねてみました。こういうことがいちいち気になって黙っていられないのは、私の悪い癖です。
すると男性は耳からイヤホンを外し、もう一度聞きなおしてみたら、「~(聞き取れず)の黙想みたいなもんです。」と答えました。
私は、「ああ、そういうことなのか。しかし部活の黙想なら、体育館の中で座ってやればいいものを。やっぱりこれは異常だよなあ。」と思って再び自転車を漕いで、友人に合流してこのことを話してみたら、彼も同じ感想を抱いたようでした。
あまりに気になって仕方がないので、帰ってから中学校に電話をかけて詳しく聞いてみました。すると、腰の低い、丁寧な女性が応対して説明してくれました。
なんでもあれは、「静思」なる伝統行事らしく、太鼓の音が鳴り響くと、校内のどこにいようがその場で立ち止まらなければならないのだそうです。
後でホームページを調べてみると、以下のように書かれていました。
「1日3回、朝の会・掃除・帰りの会の前に、生徒会長のたたく太鼓の音とともに、静思を行います。目を閉じ、次に何をすればよいかを思い描きながら、心を落ち着かせます。静思の間は、学校全体の時間が止まったかのようです。」
どうやら太鼓が鳴る時間は決められているようです。私が見たときは竹箒を持っていたので、きっと掃除の時間だったんでしょう。
さて、「静思」のことを電話で聞いた後、「いやあ、子どもたちも大変ですねえ。」と私が笑いながら言ったら、「みんな暴れますから。」と答えていました。本気か冗談かはわかりませんが、そのときだけ妙に冷たい口調に変わりました。どちらにせよ、そういう発言が出るということは、この「静思」には、生徒たちをコントロールしようとする意図が含まれていることは明白といっていいでしょう。(「次に何をすればよいかを思い描きながら」という点で、無心を目指す瞑想の類とは決定的に異なる。)
これが巧妙なのは、太鼓というコントロール装置を、コントロールする対象である生徒自らに叩かせていることです。つまり、教師から生徒へという上意下達ではなく、自分で自分を拘束させることによって、発案者は学校側なのだろうけど、形の上では自主的な取り組みになり、不満の矛先が教師に向かうことを抑えているのではないでしょうか。
他にも同ページには、
「無言清掃 (創自)
静思のあと、そのまま無言で清掃を行います。
南中では、『自らを創る』と書いて『創自(そうじ)』と呼んでいます。
自ら気付き、考え、行動する。
無言で清掃をやり終えたそのあとには、美しくなった環境と、磨かれた新しい自分が待っています。」
なるものもありました。
以上のような行事から見えてくるのは、教師たち(そして親たちも?)の子どもたちへの不信感です。彼らを自由にさせてはなにをしでかすかわからないから、統制しなければならない。ただし、ただの抑えつけではなく、巧妙な手口で。
「創自」にしたって、言葉に出してのコミュニケーションを行うことで連帯感を育むとも考えられるはずですが、自由にさせると、だらだらと喋って全然進まない。いつまで経っても終わらない。汚いまま。だから、文字通り有無を言わせずやらせる。
ものぐさでなかなか掃除をしない私が言っても説得力がないかもしれませんが、掃除は掃除であり、喋ってやろうが黙ってやろうが、終わったあとに、磨かれた新しい自分が待っているなんて大げさなのもいいところです。
いや、逆にものぐさだからわかるのです。だって面倒くさいですもん、掃除なんて。そうまでして無理やり黙ってやらされないとやる気になりませんよ、まったく。
ですから、これも「創自」というのは、円滑に掃除をさせるための方便にすぎないと私は思うのです。
静止は静止、掃除は掃除、巧妙な言い換えで方便を作って、都合のいいようにコントロールしているに過ぎません。
もし、ここまで手のこんだことをやって、校内が荒れているのなら愚かとしかいいようがありませんが、私の直感ではあの学校はそうではなく、むしろ教師たちの目論見は成功しているように見えます。その直感が正しいとしたら、それが悪いことなのかどうかは私にはまだ判断できません。
しかし、少なくとも、私個人の経験からすると、確かに、中学生を規則で縛ることなく自由にしておけば、無秩序状態に陥りがちだとは思います。
私の卒業した、大阪府高石市立高石中学校では、覚えている限りでは、南中学校のような運動はありませんでしたし、あったとしても、それが前面に押し出されていたとは思えません。生徒会などは形骸化していました。厳しい規則があったわけでなく、良くいえば自由な校風だったと思います。
ではそんな中学校はどんな中学校であったかというと以下のようなものです。
教師の原付を破壊したり、コンドームに水を入れて膨らませて水風船のようにしたものを投げつけるなどという信じられないようなことが行われ、また暴力による弱い者への弾圧はいくらでもあり、おおよそ秩序らしい秩序はなく、あるとすればそれはただ狡猾で強いものが正義だというただ一点のみでした。
上記のようなことが起こっても教師はその都度怒鳴りつけるだけ、彼らに哲学はなく、経験から来る偏頗な傲慢さがよりどころであり、生徒を、学校を良い方向に導こうとする信念はまったく見えてきませんでした。(もちろん、教師だけの責任ではないと思う。親や生徒自身のウェイトも大きい。)
これでも市内では一番まともな中学だと言われていたのです。
言いたい放題書きましたが、私が教師の立場なら、あんなガキ共に物の道理を言い聞かせることができるかと問われれば、無理だと答えざるを得ません。サルに人間の言葉がわからないように。それくらいの隔たりを感じます。ですから、事なかれ主義の教師たちの気持ちもわからなくはありません。むしろ中にいたら私も同調してしまうでしょう。
一方、南中学校では、校内が落ち着いているのなら、手段はどうであれ、高石中学校よりは教育方針として優れていることにならないでしょうか。
それでも、私はやっぱり、少なくとも「静思」に関していえば、ああして竹箒を持ちながら外を向いてつったっているのは、晒し者のようで、外から見れば異様なものは異様だと思います。そこまでやらないと子どもたちは無秩序になりかねないというのは、上述のとおり、私個人の体験からも十二分に理解できるのですが、それはあるべき姿ではないはずです。
わざわざ太鼓を使ってまで、行動を束縛する、それもどこにいようがその場に立たせることはないんじゃないでしょうか。(じゃあチャイムや時計もいらないのかという反論もあるかもしれませんが、それはまたの機会にでも。)
しかもわざわざそれを外の歩道から監視するなんて。それに、あの緑色のイヤホンは一体何なんでしょう。先生は何を聴いていたんでしょう。
私の友人である豚君の考えを借りれば、子どもたちはそれが理不尽だということはわかっていて、さらりと受け流すだろうとのことですが、そうだとしたら、結局子どもたちが習得するものは、ただ理不尽なことに黙って耐えるということであり、不正を不正だと言えない、悪に対して見て見ぬふりをする大人になるだけだと思うのです。
裸の王様の話を思い出すと、大人たちがおかしなものも見て見ぬふりをするものだというのは教育がどうであれ、昔から国を問わず変わらないのかもしれませんが、本当のことをただ一人述べた子供を、世間を知らない愚か者だと、果たしてアンデルセンは描きたかったのでしょうか。
私は口下手なので、電話で先生のことは聞けなかったのですが、実際に南中学校に通っている子どもたちは一体どう感じているのか知りたいものです。
それにしても、教育について考えてみるのもなかなか面白いじゃないですか。しかし、私はそれをするにはまだまだ未熟であり、今感じている直感を大切にしながら、それの裏付けとなる知識や、議論の鋭敏さを身につけていきたいと思います。
(コメントの転載)
この記事へのコメント

こんな前の記事に
コメントすみません;;

偶然見つけたので
コメントしてみました。

南中って、最寄り駅が
南鹿児島駅の中学校ですよね??

現南中生の女子です。

南中は、全くといっていいほど
荒れてないです。

というか、鹿児島市で1番、
平和な学校といっても
過言ではないと思います^^;

静思はいらないんじゃないか…
と、皆言ってるし私も思います。

でも、南中の伝統として
これからも受け継いでほしいという思いも
ありますね^^

イヤホンの先生…笑
その人ゎいっつもイヤホン耳につけてます。
なにを聞いてるのかなぞですw

Posted by 名無し at 2011年04月16日 21:21
どうもはじめまして。
いえいえ、逆に半年も前に書いたこんな記事にわざわざコメント下さってありがとうございます。そうですそうです。南鹿児島駅が一番近いと思います。
なるほど、南中学校はそんなに平和な学校なのですね。
静思については、正直なところ、鹿児島出身でもない外の人間の私から見たらぎょっとするような光景でしたが、生徒の貴方方が批判的に考える一方で、受け継いで欲しい伝統として好意的に受け止めていることに心底安心しました。
実際に通われている生徒の方の貴重な声が聞けるとは思ってもいませんでした。どうもありがとうございました。
好き勝手書きましたので、お気を悪くされたら申し訳ないです。先生が何を聴いておられるのかは生徒の貴方でもわからないのですね。是非一度尋ねてみてください(笑)。
Posted by 鴉 at 2011年04月17日 00:00

返信ありがとうございます☆

気は悪くしてないので大丈夫ですよ^^

まぁ、他の人からみたらびっくりしますよね^^;
掃除の前の静思は2年前に始まったばかりで
私も最初『え…』と思いました(笑)

でも、昼休みとのけじめをつけるためには
いいと思いますね。

イヤホンの先生に
何聴いてるかたずねてみます(笑)

Posted by 名無し at 2011年04月17日 08:15

こちらこそ、お返事ありがとうございます。

え、静思はたった二年前に始まったのですか?てっきり何十年も続いている伝統行事だと思っていました。

まあ、先程も書きましたように、好意的に受け止めてらっしゃるならいいのかもしれませんが、一体どういう経緯で導入されたんでしょう。

イヤホンの件は、聞いたら後でこっそり教えてください(笑)。

Posted by 鴉 at 2011年04月17日 09:58

朝と夕方の静思は
結構前からあったけど、
掃除前の静思は2年間に
始まったばかりだと思います。

どういう経緯で導入したんでしょうねぇ…

Posted by 名無し at 2011年04月17日 20:13
ああ、朝と夕方はもともとあって、掃除前が比較的新しいという意味でしたか。
学校の行事の歴史って案外知らないもので、その起源を調べていくと色々と面白いかもしれませんね。
Posted by 鴉 at 2011年04月17日 21:39
突然スイマセン
現南中生の男子です。昔はかなり荒れていたことは
耳にしたことがあります。
それに比べると現在は落ち着いてきています。
しかしまだいじめなどがあることは確かです。
校内火遊びの件も起きました。
よりよい学校にしたいですね。静止の件は当時の生徒会長が提案したと
聞いたことがあります。
)ホントかどうかはわかりませんが…。
その当時は”南中革命”とかいって、
他にも色んな事をしていたような…。
つい最近な話なんですけどね(笑)>名無しさん
イヤホンの先生って気づきもしませんでした。
きいて見てください)気になるw 爆あと、何年生ですか?▼予想▼
3‐4 元陸上部かな?
2年前って言ってるし…。
あっ、控えても大丈夫です。>鴉さん
長々しくかつ、余談多いかつ、
生意気なコメントで
不快を感じさせてしまったことと思います。
すいませんでしたm(_ _)m
Posted by のでぃー at 2011年09月19日 00:38
どうもはじめまして。
いえいえ全然不快になど思ってないので気になさらないでください。火遊び事件なんかが起きたのですか。完全に平和とはいえないようですね。でも、「よりよい学校にしたい」という思いをお持ちなのは素晴らしいことだと思います。さて、個人的には静思というのは、お話を聞く限りではおそらく色々考えた末に作られたものなのだと思いますが、自分の身体を他人に管理させるようでどうも気味の悪さを拭いきれません。この前、ある人が、幼稚園の時は活発なのに小学校に入った途端に大人しくなってしまう鹿児島の子供たちの話をしていました。どうか、作られたルールの言いなりになるのではなく、おかしいと思ったことは、たとえ一人でも恥ずかしがらずにどんどん主張できる人になってください。それでいて、人を押しのけるのではなく、特に弱い立場の人の気持ちをくみ取れる人になってください。
Posted by 鴉 at 2011年09月19日 09:33

ども

現南中生の女子です

確かに火遊び事件はありましたね。

というか
私の部活の後輩が含まれてたんですけどね。

あと、私の塾の先生(20代前半)が
南中卒業生らしくて

めっちゃ荒れてたらしいです。

でわ
いきなりすんませんでした。

Posted by 來人 at 2011年10月07日 23:17
久々に来てみたら
南中の生徒が結構書き込みしてますね私は中3ですよ。静思は周りを見てみると
してない人も多いから
最近「意味ないんじゃない…??」
っておもいます。確かに自分の身体を
他人に管理させてる感じですよね^^;静思いがいにも
無言清掃とか色々制度?ができたけど
無言で掃除したから
なんなんだろう。。とか
疑問が多いです今の2年は結構色々やらかしてるから
来年がちょっと心配。。。
先生を殴ったりとか
噂もあったし;;
Posted by 名無し at 2011年10月22日 09:23

なんだか勢いで書いた記事ですけど、もう一年近く経つのに意外に現役南中生の方々が見られててびっくりです。

平和だと思ってましたけどそんな噂があるのですか。それならあれこれやっていても効果があるのかどうかわからなくなってきましたね。まあ、これでは学校側も学校側で色々苦労が耐えないでしょう。

もしこれをご覧になっている先生方もいらっしゃれば、県外出身の一通行人から見た率直な感想として参考にして下さればと思います。

Posted by 鴉 at 2011年10月24日 05:03
いきなりすみません。
なんとなく見ていたらいろいろ書きこまれてて…こちらは現中三です。静思についての意見は同感ですね。
みんな結構目をあけているので
意味がなく感じます。それと最近すごく校則が厳しいと思いませんか??
髪型とか靴下とか…
少し厳しすぎだと思っています。
Posted by 春夏秋冬 at 2011年10月25日 01:17

どうもはじめまして。

「静思」についてみんなが目を開けているので意味がないと書かれていますが、大事なことは、周りがやっていないから意味がある、ないではなくて、自分にとってはどうなのかということではないでしょうか。
自分自身にとって、これをよい学校生活を送るため価値があると認めて賛成して実行するのか、それともはっきりと反対の意思があるからやらないのか、人に流されて決めるのではなく、それをしっかり考えられる人になって欲しいです。

確かに、鹿児島の学校は全体的に校則が厳しいとは聞いたことがありますが、実際のところはどうなんでしょう。
私の勝手な思い込みでは、鹿児島の中高生って、割と真面目そう人が多いような印象があるのですが、校則の厳しさと関係があるのかはよくわかりません。
不満があるのなら、それを変えるにはどうすればいいのか、周りの人(お友達でも先生でも)としっかり話し合ってみてはいかがでしょうか。

Posted by 鴉 at 2011年10月25日 04:12

お返事ありがとうございます。

私たちが南中学校をよりよくしていかないと
いけないですもんね。
最上級生として頑張ろうと思います。

Posted by 春夏秋冬 at 2011年10月25日 20:40

どぉも^^*

現南中生2年の女子です。

確かに最近の静思でゎ目を開けてる人が多いですね;
校則もメッチャ厳しくなってるし><

今の生徒会ももぅすぐで後期になるので
新生徒会で頑張らないといけませんね。

今の2年生でやっていけるか心配です。。。

でゎ・・・いきなりすみませんでした^^

Posted by ユッキーナ at 2011年11月05日 22:40

どうもこんにちは。これで南中生の方は何人目でしょうか。

どうして校則が厳しくなったのか、また、先生方は校則を厳しくしてどういう方向に向かわせようとしているのか、私にはわかりませんが、そういうことを考えてみると現実が見えてくるんじゃないでしょうか。

もう随分前の話ですが、私が中学生の頃は、生徒会も形だけのもので、一体何をしているのか私は全然知りませんでしたし無関心でした。

その点、自分たちが頑張らないといけないと考えているということはちゃんと機能はしているのでしょうし、たとえ無力であってもそのような自覚をお持ちなのは立派なことだと思いますよ。

Posted by 鴉 at 2011年11月06日 21:18

ぉ返事ありがとぉござぃましたァ^^

南中生いっぱぃいますね((笑

なんか急に厳しくなってビックリです@0@;
新しい生徒会になるからでしょうか・・・

私も新生徒会役員になったのですが
その新生徒会でこれから一年間この南中を
引っ張っていけるのか,本当に心配です;;

まぁ・・・一生懸命頑張って南中ももっと
すばらしぃ学校にしていきたぃです!

Posted by ユッキーナ at 2011年11月06日 22:33
ユッキーナさん、新生徒会役員なんですね!!
これから頑張ってください☆旧生徒会の人たちに負けないように!!
53期は生徒会長が凄い人だったから
それに引っ張られてましたから!!次の会長も良い人なので
期待してます♪頑張ってくださいね!!!
Posted by 春夏秋冬 at 2011年11月19日 21:07
初めまして。南中を6年前に卒業したOBです。
僕の時は創自?はありませんでしたが、附属中の実習で無言作業を見たので取り入れたのでしょう。
まぁ作業が進まないからやってるだけであんまり意味ないような・・・静思は伝統ですから受け継いでほしいですね。
あの太鼓って確か岐阜県の中学校から贈られたものなんです。生徒の頃を思い出すとナニコレ?って思ってましたが、その学校との友好の証なんだよっていう話を聞いてからみんなやるようになりました。
なんか今は形骸化してるみたいだけど、そういったエピソードも一緒につたえていってほしいですね!
Posted by ココ at 2012年03月19日 23:43
はじめまして。
附属中といいますと鹿大の附属中のことでしょうか。静思にはそういうルーツがあったのですね。
私は外部の人間ですので好き勝手書かせていただいてますけど、卒業されてから随分経ってからもこうして案じておられるということはきっと楽しい中学校生活を送られたのでしょう。
Posted by 鴉 at 2012年03月21日 20:57

こんばんわ

急でごめんなさい(´・ω・`)

僕は伝統と言う意味ではこれからも後輩の皆さんに受け継いでほしいきがします!

僕が卒業したのが四年前。

今でも凄くよい伝統だと信じ、実際にそう思っています。

Posted by わけわかめ at 2013年09月21日 23:52

コメントありがとうございます。

よい伝統だと信じ、実際にそう思っているとのことですが、そう仰るならその論拠を示さなければ、疑問に思っている生徒たちは納得しないでしょう。

お気を悪くされるかもしれませんが、伝統とされているものが必ずしも残す価値のあるものとは限りません。
伝統の名のもとに不条理なことを強いるようなことがあってはならないというのが私の立場です。
「伝統」と祭り上げられているものであっても立ち向かうことを恐れずにたえず批判的な目を向けて反省することを忘れないでほしいと願っております。

Posted by 鴉 at 2013年09月22日 02:46

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