教員いじめの温床?
神戸市立東須磨小学校で、本来いじめにに対処しなければならない立場のはずの複数名の教員が、別の教員に対して、被害者の主張からすると刑事事件として立件されてもおかしくないようないじめを行っていたことが発覚し、当該校の校長や教育委員会が記者会見までする事態になっていますが、一連の報道を見て、私は以前書いた記事に寄せられたあるコメントを思い出しました。
以下に抜粋します。
教職課程をとっている大学生です。
ツイッターのリンクでこちらの記事を知りました。
私は高校時代、吹奏楽ではなく別の部活動に所属していましたが、淀川工科高校の例と同じような状況にありました。先生や先輩からお前は本当にダメだなど、技術の上手い下手ではなく人格を貶める暴言を吐かれ、精神的に追い詰められた後に、お前は素晴らしい、この部活にはお前がいないとダメだなどと褒め言葉のシャワーを浴びせられて、感情が激しく揺れ動き、部活動と「共依存」していました。完全に洗脳だったと思います。私は心の底ではおかしい気がする、辛い辞めたいと思っていましたが、心酔している部員たちとの絆()が壊れるのを恐れて辞めませんでした。必死で自分にこれは正しいんだ、部活は楽しいんだと言い聞かせていました。卒業時には、部員の前で部活は素晴らしかった皆ありがとうと泣いて見せたりしました。
卒業し、カルト宗教やモラハラについての本を読んで、これは部活動の思い出と一緒じゃないか!と衝撃を受けました。
管理人さんが指摘しているように、私も辞めればいいという意見は的外れだと思います。あの非日常的な異空間での同調圧力は、恐ろしいものです。辞めた者を裏切り者扱いなど平気でします。先生もします。それが本当の教育でしょうか。また辞めたとしても、暴言や暴力で受けた心の傷はなくなりません。その上裏切り者、落伍者のレッテルを貼られる。その傷を負って上を向かなくなった人を弱いやつだと言い切るコメントの数々に驚きを隠せません…。先日教職の授業で、「部活中体罰を受けたことがあるか」「体罰は許せるか」という質問を学生全員で答え、議論をするというものがありました。そこで、私は本当にびっくりしました。
「部活中体罰を受けたことがある」と答えた学生が半数にのぼったのです。その上、その学生たちは皆「指導上有効ならば体罰を行なってもいい」との立場を取ったのです。指導上有益ならば???と頭は?でいっぱいでした。皆口を揃えて、「殴られたり、バカとか死ねとか言われたけど、それは私たちを思ってのことだったから」と言っていてめまいがしました。彼らはその思い出を胸に、大学まですくすく育ってきたようですが、その後ろに、その暴力暴言に傷つき、その後の人生に暗い影を落とした人たちが何人いるのだろう、と途方にくれる思いでした。そして、こういう考えをもつたくさんの人が教職課程をとっていることに震えました。
教職課程にこういうパワハラまがいの暴力や暴言を肯定するような人が少なからず存在するのなら、教員間の暴力沙汰が蔓延ってもおかしくはないでしょう。このコメントは部活内での体罰の経験を取り上げたものですが、誰かがTwitterでも似たようなことを言っていましたが、たぶん、かつていじめに加担した側が、その反省や時には自覚さえなく、そういう経験を肯定したまま教職課程に進学して教員として現場に経つケースもあるのではないでしょうか。あくまで想像ですが、そういう人が跳梁跋扈すると、いじめなどに対する問題意識を持って教員になった人が、組織の中で埋没し、悪い場合には潰される結果になることも考えられます。
教職課程では明らかに教育者としての適正を欠いているような人がふるい落とされるとは限らず、そのまま採用試験まですり抜けてしまうことがあるし、採用側にも問題のある人がいるのではないかなど、考え出したらきりがありません。
上のコメントは2017年に投稿されたものですが、投稿した方が心を折られることなく、教員として活躍してくれる(くれている)ことを願うばかりです。