福音派信徒によるWikipediaにおける聖書学者への中傷行為
私はキリスト教徒でして、キリスト教関係の調べ物をする時、Wikipediaを参照することがあります。しかし、Wikipediaのキリスト教関係の記事には酷いものがあります。どう酷いのかといいますと、以前にも何度か指摘したことがありますが、偏った考え、自分の教派のドグマで頭が凝り固まって自分を客観視できない狂信的な人が、そのドグマの見方から他の考えを意図的に貶めるような記事を書いていることがあるのです。以下で取り上げる「Evangelical」のような人は百科事典の編集者として不的確なのは火を見るよりも明らかであり、Wikipediaの管理者もこのような人物は排除して欲しいと思っています。
今回取り上げるのは、聖書学者の山我哲雄氏の記事です。現在は削除されていますが以前の版では以下のように書かれていました。
『図解これだけは知っておきたいキリスト教』は非キリスト教徒を視野に書かれた教養としてのキリスト教の入門書である。山我はルカによる福音書はかなりの創作が入っていると考える[1]。彼は日本基督教団がエキュメニズムに果たした役割について肯定的に評価している[2]。またキリスト教原理主義の特徴は逐語霊感説、聖書無謬無誤説であるとし[3]、最後の「教会生活の手引き-信者になるにはど-うすればいい?」で、注意するべき原理主義的な教派として福音派をあげ、その見分け方は『新共同訳聖書』を使わないことと、日本キリスト教協議会(NCC)に加盟していないことだとしている[4][5]。人工妊娠中絶の問題については、原理主義者の多くがプロライフであり、リベラルとフェミニスト神学はプロチョイスの立場だと解説している[6]。
5.^ カトリック教会はNCCでは一部参加にとどまり、正教会は一切参加していないが、いずれも「福音派」ではないため、この「見分け方」には説明不足もしくは誤謬が含まれる。また正教会は奉神礼では新共同訳聖書を使わず、日本正教会訳聖書を用いる。
私はこの『図解これだけは知っておきたいキリスト教』は読んだことがありますので、果たしてそんなことが書かれていたかと違和感を覚え、読みなおしてみました。
まず、キリスト教原理主義の特徴については以下のように述べられていました。
「特に注意を要するのは、最近ではアメリカ同様、日本でも『福音派』を自称する、原理主義的な傾向を持つ超保守的な今日はが教勢を増している点だ。ひとつの目安は、福音派系の教会は聖書に『新共同訳』を用いず、日本キリスト教協議会(NCC)にも加盟していないことである。」(p.154)
確かにこのような書き方ですと、カトリックや正教会が原理主義であると誤解を与える可能性はあるかもしれません。ところが、この記述は段落が変わっているものの、カルヴァン派やメソジストに続いて書かれているものであり、山我氏はあくまでプロテスタントの枠組みの中の話をしているのは文脈上明らかでしょう。(福音派についてもこれより以前にページを割いて説明されています)確かに、より正確には山我氏は「プロテスタントの教派においては」と断っておくべきだったかもしれません。ですが、この本の中ではカトリックや、正教会についてもページを割いて説明されていますので、山我氏がそのような教派を無視していたとは思えません。しかも、この見分け方は「ひとつの目安」であり、絶対だとは言っていないわけです。Wikipediaの引用の箇所は、揚げ足を取るような些細なことであり、わざわざ取り上げる必要のあるものとは思えません。
あえて山我氏の主張を補足するならば、「福音派系の教会は聖書に『新共同訳』を用いず」というよりも「福音派系の教会は聖書に『新改訳』を用いており」とでも書いたほうがよりわかりやすかったかと思います。新改訳を使っている教会で福音派でないのはほとんどないであろうからです。
次に、人工妊娠中絶については以下のように述べられていました。
原理主義者の多くは、神の与えた生命を破壊するものとして、強姦による妊娠や、明らかに遺伝上の問題が存在する場合も含め、中絶に全面的に反対する。これを「プロ・ライフ」の立場という。(中略)
これに対し、よりリベラルな教派や、特にフェミニスト神学(125ページ参照)の影響を受けたグループは、産む、産まないは女性に選択の権利があると主張する。これを「プロ・チョイス」の立場という。(p.136)
このように、あくまで山我氏は、「原理主義者の『多く』」は中絶に全面的に反対すると述べているのであって、原理主義者が例外なくプロ・ライフだと述べているわけではないのは明らかです。また、プロ・チョイスの立場についても、「『より』リベラルな教派や特にフェミニスト神学の影響を受けたグループ」と書かれています。常識的に考えて、人工妊娠中絶のような重大な問題は、教派をあげてイエスかノーかと簡単に決められるようなものではありません。当たり前ですが山我氏もそのことは十分理解している上で書いたのでしょう。こちらも引用の仕方は恣意的だと言わざるを得ません。
そもそも、上でも述べたように、山我哲雄氏を百科事典で説明するために、たとえ著作の一つの中に説明不足があったとしても、そのような記述を代表させること自体が疑問です。他にも書くべきことはいくらでもあるはずです。この記事を編集したEvangelicalという人物は山我氏が単純な誤りを犯す、信用できない人物であることをWikipediaを見る人に知らしめるために、わざわざこの記述を引用したとしか思えません。
ちなみに以前からカルト性が指摘されていた牧師の独裁、セクハラ問題がついに明るみに出たヨハン早稲田キリスト教会の記事のノートで、ヨハン教会の問題に長年携わっている川島堅二氏について、「川島堅二氏は、婚前交渉の罪を容認するなど、到底正統的なキリスト教では認められないことを主張しているので、キリスト教福音主義の専門家とは見なせません。」などとのたまっていた人物です。教義に縛られて目の前の虐げられている人を大切にしないのは、まさに新約聖書でイエスが徹底的に非難したパリサイ人や律法学者そのものです。
ちなみにこのようなEvangelicalの行いは、今回取り上げたのは氷山の一角に過ぎません。他にも彼が編集した記事には偏見に基づいて書かれた酷いものがいくつも見つかりました。このように物事を客観視できない人は百科事典の編集に携わるべきではありません。Evangelicalとは福音派という意味ですが、このような人物がなどと名乗っていると、福音派の印象もますます下がることでしょう。
また、筆者の意図を汲まずに字面だけを追って、それでいて自分に都合の良い解釈をするのは原理主義者に特徴的な聖書の読み方でもあります。