ちきりん氏のツイートで学ぶクリティカルシンキング

https://te-koku.com/archives/6000

上の記事の続き。考え出すとなかなか楽しいので、ちきりん氏の当初のツイートの文が、クリティカルシンキングがお得意らしいご本人の意図に反して、「IT力」が実際に高いか低いかについてはなんら述べていないことの実例をあげてみましょう。

「オンライン申請の手間がかかるのは日本のIT力が低いからではないのです。日本のIT技術が高度で専門化しすぎているがゆえに情報格差が広がって申請をスムーズに処理できない一部の自治体が出ているのです。」(適当な思いつきで本当にそうかどうかは知らない。個人的にはちきりん氏の主張よりは説得力ありそう)

このとおり、ご本人の主張に反する文も、論理的にはなんの違和感もなくつなげてしまう。ちきりん氏も次の文頭に「確かに低いものの」とでも書いておけば誤解の余地を与えない論理的な文章になったでしょうが、そのように反省する分別があればそもそも何年も有象無象の耳目を集めようとすることなど恥ずかしくてできないでしょう。

あるいはもうちょっとわかりやすい卑近な例にしてみましょう。「浮気をしたのはあなたが嫌いになったからじゃないの。あまりにも彼が魅力的だったからなの。」というセリフはどうでしょうか。

確かに日常的な実感としてはおそらく言った側も言われた側も、それぞれ相手を嫌っていないし自分が嫌われているとは感じていないことがほとんどだとは思いますが、浮気をした女が交際している男を嫌いになったことと、浮気相手が魅力的だったから浮気をしたということとはたとえ因果関係がなくても実際は両立可能です。ですから、上のセリフを聞いた男が、少なくとも自分が嫌われてはいないと判断するのは論理的には早計なのです。

「あんたのことなんてとっくに大嫌いよ。でも浮気したのはそれが原因じゃなくてただ彼があんまりにも格好いいから…。」というセリフと上のセリフは矛盾しないでしょう?現実にありえるかどうかは疑問ですが少なくともゼロとはいえません。嫌嫌ながら辛抱強く付き合っていたところに王子様が現れたのかもしれない。

余談ながら、私自身は昔からこの手のインフルエンサーだかデマゴーグのような類の人物に対して免疫があったわけではなく、むしろ信じ込みやすい人間だったと思いますが、今ではなんとか批判的に見ることができるようになっているのは論理的思考の本でもクリティカルシンキングの本のでもなく、以下の二冊のおかげではないかとふと思いました。


ソクラテスの弁明・クリトン(プラトン) (岩波文庫)


小型聖書 – 新共同訳

どちらも主人公にあたる人物が権力におもねるようなことを拒否したがゆえに最後に処刑されてしまうという共通点があります。前者はデマゴーグの語源になった人(ギリシア語のデーマゴーゴス)たちが跳梁跋扈していた時代に書かれたものです。何度でも読み直す価値がある本です。

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