「ご主人」禁止?

配偶者に「ご主人」と呼ぶのを禁止するのは言葉狩りではないという主張をNGOだかNPOだかの代表が行っている文章を読んで、正気の沙汰ではないと思いました。こういう手合は相手にするのもバカバカしいのですが、私などよりも社会的影響力の強そうな人なので一応一瞥しておきましょう。

たとえば、そういう人たちが重視していると思われる「ジェンターギャップ」が日本より低いであろうドイツ語圏なんて、日常的に使われる、男性につける敬称Herrは、まさに神に対しても使われるほどの「主人」という意味合いがもともと強い言葉のはずですがそれは問題ではないのでしょうか。もっとも、あるドイツ語学者によると(気が向いたら本を探し出して出典載せます)、ドイツでも実際に取りやめる運動がフェミニストによってなされたことはあるらしいですが浸透はしなかったのは言うまでもありません。

しかも「夫」なら良いらしいですが、これも字源を調べたら、「一」と「大」に由来しているという説もあるようで(直接字典を引いたわけではないので真相は不明)、おそらく呼称に限らずそのような字源や語源をもった言葉など探せば他にもいくらでも見つかるでしょう。「ご主人」やら「旦那」やら「嫁」やらを問題するような連中はいくらでもいちゃもんをつけようと思えばつけられるはずですが、当然ながらそんなことをしても不毛なだけです。彼らは不毛だと思わないかもしれませんが、あまりにも一面的な難癖ですし、はっきりいって無教養をさらけ出しているだけです。

そもそも、「ご主人」という呼称を使ったら、「うちには夫はいますが旦那はいません」などと答える女性など、相手を馬鹿にしていて根性が曲がっているだけです。実際に似たようなことで同じような対応をした女性と何人か出会ったことがありますが、人間関係を損なうような皮肉を言うことが社会正義の実践のはずもない。自分たちの都合の良い清潔な空間で生活しているだけで、およそ現実で生きていない人たちの発想です。彼らが目指すような「多様性」が重視される寛容な社会とは一体なんなのでしょうか。『1984』の「ニュースピーク」が話されるような社会のことなのでしょうか。

私が関わっているいわゆる「リベラル」(実際はリベラルでもなんでもないのだが)なキリスト教会の人たちは、そういう主張に耐性がなくて真に受けるのが少なくない気がして嫌気がさしてきます。聖書の翻訳に対しても当てはまりますが、誰も傷つかないような言葉を追求していたら、結局は骨と皮だけの空虚なものにしかならないと思いますし、そもそもテキスト自体が差別だらけの世界で編まれたものだということは否定のしようがありません。

ちなみに当たり前の話ですが、私は「主人」という言葉を使おうが、新約聖書が書かれた時代のように奴隷制を再興する気などありませんし、神以外の主は一切認めません。

ただ、どうなんでしょうか。「社会的影響力の強そうな人なので一応一瞥しておきましょう。」と書きましたが、「ノイジーマイノリティ」なんて言葉もあるように、いわゆるネット右翼や陰謀論者のように、彼らは自分の主張がそもそも話題にされることを狙っているとも思われるため、一切相手にせずに無視したほうがよいのでしょうか。

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