浅ましい寺の掲示板

Twitterで、エヴァンゲリオンのセリフを看板に書いている寺の写真を知人がリツイートをしているのを見つけました。

このような掲示板はその寺に限らず、少なからずの寺が同じようなものを作っているようですが、一体何が面白いんでしょうか?私からすると浅ましいだけです。まず、たとえ拙くても自分で言葉を紡ぎ出すことを放棄して他人の褌で相撲を取っていること、また、流行に媚びれば大衆に寄り添っていると見せかけられると思い込んでいるという点で二重に浅ましい。

おそらくは寺院側も本気で民衆のために役に立ちたいと考えているわけではなく、単なる人気取りや商業的戦略の一環としてやっているに過ぎないとは思いますが、いずれにせよ浅はかなことには違いありません。そして、こういう寺院の宣伝を嬉々として広める人たちも浅ましい。彼らも彼らで、そういう寺が本気で自分たちに親身になってくれると信じているわけではなく、ただ面白がって群がっているだけだとは思いますが。

そういえばかつて京都に住んでいた時、北大路通に面している大谷大学の前をよく通ったのですが、大学の入り口にもやはり同じような掲示板があり、さすがにアニメや漫画はなかったと思いますが、主に歴史的な思想家の言葉が転載されていました(マルティン・ブーバーの『我と汝』の言葉が書かれていた時期があったのは記憶にあります)。一体どういう意図があるのか不明です。好意的に解釈すれば、通る人が掲示板に転載されている言葉を見て、それを語った思想家や著作に関心を持って欲しいということでしょうか。

掲示板に限らず、対外的に軽いノリを見せて人気取りをしようとするのは仏教寺院だけでなく、キリスト教会関係にも稀に見かけますが、最悪なのは、表面的には軽いようで実は原理主義的な団体だったというケースで、関わってしまうと歴史的な知の積み重ねを頭ごなしに否定させられる羽目になるなど(キリスト教会なら進化論とか)社会生活に悪影響が及ぶおそれがあるため、尚のこと、表面的な印象で宗教団体の是非を判断しないように注意したほうが良いと思います(下のURLの教会のQ&Aがしょっぱなから、少しでも神学をかじった人ならわかる、事実に反する嘘、インチキであることは気が向いたら書きます)。

それはさておき、穿った見方をすれば、そういうものを載せれば何か新奇なことをしていると見せかけられると思ったり、見る側も何かしらの面白さを感じるということは、寺院や教会がそれほど一般市民の日常生活からかけ離れたものに成り下がっている(あるいはそういうものでないといけないと思いこんでいる人が多い)ということなのかもしれません。よほど禁欲的で原理主義的な宗派(実際に「映画を見てはいけない」と命じる教会で育った人が知人にいますし、「ポケモン禁止(たぶん「進化」するから)」の教会もあるらしい)ならいざしらず、僧侶だろうが牧師だろうが漫画も読めばゲームもしようが私からすれば何も不思議ではないですし、そういう人がいる宗教団体が現実の人生と誠実に向き合うものかどうかは全く別の話です。

「ポケモンNG」の教会と関係があり、まとめブログからツイートしたいのちのことば社社員

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