Facebookアカウント削除

以前から消そうか迷っていたFacebookのアカウントを削除した。削除した理由は、もともと友人が多いわけではないし、プライバシーを晒してまで無意味に人脈を広げる気もなく単純に利用価値を感じないのと、一部の知人の独善や馴れ合いに嫌気が差したからである。一時に比べれば下火になったものの、中にはデマやゴミのような情報を撒き散らす者もいて、仲間内でありがたがっている様は醜悪である。かくいう私も以前は好き勝手に下品なことをつぶやいていたが、幸いにも分別の付く歳になったようで恥ずかしく思い、自分の投稿は随分前にすべて削除していた。

特に滑稽だと思ったのは、もう随分前のことだがフランスのシャルリ・エブドへのテロ事件が起こった際、知人の中にもアイコンにフランスの国旗を重ねていた者がいたことである。特にキリスト教会の関係者は散々日の丸君が代やら靖国神社やらに反対する言説を聞いていると思われるにもかかわらず自己矛盾を感じなかったのだろうか。しかも連中はシャルリ・エブドがどういう「風刺画」を描いているのかも知っているのだろうか。そういえばちょうどしょうもない茶番が長々と世間を騒がせているらしいが、手足が一本になった者はいても、手足が三本ずつになった者はいるのだろうか。指摘しても虚しいだけでやめた、まとめブログを情報源にして排外主義的なデマを撒き散らす中年男と同じ穴の狢である。Facebookに嫌気が差し始めたのはその頃あたりからだと思う。積極的に利用する人が減った現在では、このような声高に独善を喚き散らす連中だけが余計に目立つ形になった。

そうはいっても、Facebookページの管理者、編集者になっていたし、知人周りの人間がどういう手合いなのかを知るための情報収集には使えるし放置状態にしておけば良いと思っていたが、今日ログインしようとしたらなかなかできず、苛立ったついでにこのまま削除する決心がついた。

こうして書いていて、Facebook上のリストに入っている「友達」の何割かには、もはや私は友情を感じていないどころか、愛想が尽きていることに改めて気づいた。

ここで述べたことはTwitterにもほとんど同じことが言え、メインで使っていたアカウントの自分のツイートは1年以上前に全て削除した。このサイトについても例外ではないが、どれだけの方が見て下さっているのかは疑問ではあるものの、とりわけゴミのような情報への批判には全く価値がないとはいえないと自負しているのでかろうじて残している。

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