淀川工科高等学校の吹奏楽部のドキュメンタリーに対する違和感

(2021年12月8日追記)本文は相変わらず手つかずですが(前回の追記から4年も経っていたことに驚きました)、丸谷氏が亡くなったことへの所感を書きました。

丸谷明夫氏死去でページビュー10倍以上

(2017年5月8日追記)
今までに少なからず反響を頂いており本文を読み返してみましたが、冗長な文章ですのでいつか要点を絞ってまとめるべきかと考えております。

私はほとんどテレビを見ない人間です。見ていて不快になることのほうが多いからです。しかし、嫌でも目に入る機会はあるもので、先日、大衆食堂でご飯を食べていたら、大阪の淀川工科高等学校というところの、吹奏楽部のドキュメンタリーが、NHKの番組で特集されていました。私は内容が生理的に受け付けられなかったのですが、私の心がひねくれているのかと思って黙っていました。ところが、昨日知人とたまたまその話になり、その人も気持ち悪いと感じていたことがわかりました。これをご覧の皆さまはいかがでしょうか。ネットで検索してみたところ、淀工の吹奏楽部や、顧問の丸谷明夫という人に対する賛辞ばかりで、批判的な視点からの文章が見当たらなかったので、少し危機感を覚えて、私なりに、気持ち悪さの根っこを探った過程を公開してみることにします。

まず気になったのが、こういういわゆるスパルタ教育(?)の常なのか、日常的に、丸谷氏によって、子どもたちに非常に口汚い罵声が浴びせられていることです。そしてそれが問題視されている様子はありません。厳しいが、愛情のある熱血指導者として演出されていました。しかし、子どもたちの人格を否定するような言動が、教育者として許されるのでしょうか。大学でこのような指導が行われたら、パワハラやモラハラとして訴えられかねないでしょう。番組では随所で丸谷氏へのインタビューが行われていましたが、記者への態度も横柄と感じさせられるものでした。吹奏楽部で金賞をとったからといって一体それが人間的になんなんでしょうか。私からしたら、彼らのやっていることは、狭い、排他的な、世間から隔絶された世界で動物に芸を仕込んでいるようなもので、お山の大将が威張っているようにしか見えず滑稽です。

次に違和感を覚えたのが、丸谷氏は70歳近くにもなっているのに、「名誉教諭」の称号を得て、未だ強権を握っていることです。大学の名誉教授ならともかく、高校の名誉教諭など寡聞にして聞いたことがありません。私は教育は、未来を作り出す仕事でもあると考えています。それならば、教授する者も次世代に引き継がせるのも教育者の役割だといえるのではないでしょうか。そうであるのに、いつまでも一人の人が教えているというのは、教育現場体制の不健全さや、教育者の無能さをさらけ出していることに他ならないのではないでしょうか。指導歴数十年を誇り、70近くになっているのならなおのことです。独裁の肯定、第三者の批判を受け入れない排他性がかいま見られます。おそらく、丸谷氏が自ら引退を拒んで名誉教諭になることを望んだわけでなく、学校が要請したのだとは思いますが、それはそれでやはり教育現場として問題のある行為です。

(2017年5月8日追記)
読み返すとわかりにくい文章。
すでに定年退職した元高校教諭に「名誉教諭」の称号を与え、課外活動の指導に携わらせ続けていることからは、吹奏楽部が丸谷氏に依存しきっており、丸谷氏なくては部が成り立たたない状態であることが伺われる。さながらワンマン経営のようであるがそれは学校の部活動あり方として適切なのだろうか。
もっとも現役教員ではなく、「外部委託」している点は、教員の負担を減らすという意味では合理的かもしれないが。

先ほども書いたとおり、ネットで調べても、一方的な褒めちぎりですが、そこになにか真実が隠されているのではないかと私は興味深く思いました。たとえば、出処の不明の文章ですが、あるサイトにはこのようなことが書かれています。
大阪府立淀川工科高等学校 吹奏楽顧問 丸谷先生のいい話partⅠAdd Star(2015年2月2日閲覧)

吹奏楽部の人は絶対読むべきです!!

~全身全霊の指導者~

音符の化身のような人がいる・・・。

魂どころか、細胞のすべてが音符で出来ているような人なのだが、いかにも音楽家然とした紳士ではない。

皆、この人の噂をするときは限りない尊敬と親しみをこめて、

丸ちゃん。

と、呼ぶ。

が、この丸ちゃん、皆さんも知ってる通り実は指揮者として非常に高名な人である。

本名は丸谷明夫さんというのだが、大阪府立淀川工科高等学校の吹奏楽部顧問にして、大阪音楽大学特任教授、全日本吹奏楽連盟副理事長など、肩書きだけで名刺が真っ黒になりかねない程の吹奏楽界の重鎮なんです・・・。

ところが、丸谷先生の印象は、極めて愛くるしい。誤解を恐れずにいえば、歯に衣着せぬ関西弁と人懐っこい笑顔を持ち合わせた「おじさん」なのである。顧問をつとめる淀工吹奏楽を全国有数の実力校に押し上げ、全日本吹奏楽コンクールにおいて前人未踏の20回以上の金賞を獲得させた教育者ともなれば、威厳たっぷりの寡黙な先生ではないかと想像しがちだが、まるで違う。

「あほっ、ぼけっ、何しとんねんっ。」

と200人の部員に強烈な叱咤をぶちかまし、

「しんどいんか、しんどくないんか、言うてみ。」

凄まじい剣幕で追い詰めていくのが丸谷先生だ。

生徒にしてみれば、たまったものではない。うちひしがれ、萎縮し、涙をこらえる。トイレに閉じこもったり、夜も寝られずに悩んだりする。

けっして大げさでなく、生徒達は起床してから就寝するまで楽器のこなし方に悩み、どうしたら上手に吹けるのか悶え続ける。並大抵の苦しみではない。

だが、生徒達はどれだけドヤされても丸谷先生についていき、ひたすら上手くなろうと努める。

部外者にはとても入り込めないような信頼の絆が、丸谷先生と生徒達を結んでいるからだ。

「誰も見てくれなくても、丸谷先生は必ず見守っていてくれる。」

その信頼は絶大だ。あほだの、ぼけだの、おもいっきり怒鳴りつけてくるが、全身全霊で怒鳴りつけてくれる教師はそうざらにいるものではない。

生徒達は、丸谷先生の優しさをよく理解している。だから、猛烈な練習にもめげることはない。だが、そこまで生徒達に信頼される丸谷先生の人格は、いったい、どのようにして作られてきたんだろう・・・

いい先生ですね・・・

このような指導とその環境全般に言えることですが、世間から隔離された環境に子どもたちを置き、汚い罵倒を浴びせかけることによって、子どもたちの精神を疲弊させ、心身ともに追い詰めていき、適宜感動的なエピソードが伴った褒め言葉(番組の中でも、コンサートで丸谷氏が号泣している姿が放映されていました)を使い、極限状況の中で、頼るものは自分しかいないという信念を作り出していっていることが推測されます。これは教育でもなんでもなく、宗教的カルトでもよく行われている洗脳の手口にほかなりません。私の記憶では、淀川工科高校の吹奏楽部では、丸谷氏の指導のもと、生徒同士で演奏の点数を付けさせるようなことが行われていたような気がしますが、たとえ図らずともこのような異常な環境を強化するものとして機能しているように感じ、寒気がしてきました。「部外者にはとても入り込めないような信頼の絆」という表現からは、上で書いたように、やはり排他性を持っていることが伺えます。
ところで、知性を欠いた、暴力的な体育会系の人間は、脳みそまで筋肉でできているようだという意味の皮肉で、「脳筋」という言葉がありますが、自称しているわけではないにせよ、魂や細胞のすべてが音符でできているという表現は、その脳筋と近いものがあります。褒め言葉として書いたであろう、細胞が音符でできているという表現は、実際は褒め言葉ではなく、皮肉にも暴力的指導を暗示させる表現として浮かび上がってきます。所詮、ここでいわれている「音符」は競技のための技術に過ぎません。その技術で魂が埋めつくされているというのは、人間性を欠いているということを意味しているのです。
そもそも、高校生が夜も眠れずに、ひねもす楽器のことを考えていることを無邪気に描いている事自体が倒錯的で狂気をはらんでいます。当たり前ですが、高校生の本分は勉強であって、吹奏楽部など、所詮は課外活動に過ぎないからです。工業高校ならなおのことでしょう。
引用した文章は、先程も触れたとおり出処不明のものですが、読んだ限りでは、NHKのドキュメンタリーで描かれていた光景と一致しています。

あくまで、今回取り上げたNHKのドキュメンタリー映像や、上で引用した文章は、淀川工科高校の吹奏楽部の一部分を描いたものに過ぎず、実際に丸谷氏が日常的に暴力的な指導を行っている人であり、吹奏楽部の子どもたちがそのような指導や自分たちの置かれている環境を一方的に支持しているのかはのかはわかりません。しかし、少なくとも、淀川工科高校を取材して、このような「物語」を作り上げたNHKの番組製作者や、上の文章を書いた人は、非人間的で野蛮な指導者や環境を理想化し、肯定していると受け取れるでしょう。それはあまりにも一面的な印象を見る人に植え付けるもので、大変危険なことです。

子どもたちは本当にかわいそうだと思います。私自身、似たような経験があるから、余計に心を痛めているのです。無意識下に抱えているストレスは計り知れないものがあるはずですが、洗脳的指導によって、感覚が麻痺してしまっているのかもしれません。以前、甲子園大会に出場した、鹿児島の鹿屋中央高等学校の野球部で体罰事件があり、同じく体罰を受けた生徒が、体罰に耐え切れずに退学した生徒を罵倒して、体罰を加えた野球部の体制をむしろ擁護していた倒錯的な状況を取り上げたことがありました。今回、テレビに出ていた生徒は目を輝かせて、丸谷氏への敬意をインタビュアーに語っていて、それに近い恐ろしいものを感じました。(もちろん、NHKの意図的な編集のせいもあるでしょうが)
淀川工科高校の子どもたちは、鹿屋中央高校のように、今後、暴力の連鎖に傾かないことを祈るばかりです。

今、いじめや体罰が全国的に問題視されるようになってきていますが、これでは栄光の影で少なからず存在しているであろう、声をあげようとしてもあげられない、傷ついた子どもたちに声を傾けることはできないでしょう。問題の解決には、彼らの存在に気づくことが必要であろうに、マスメディアが、不用意に異常な環境を美化し、隠蔽に加担していることは問題です。見る側も見る側で、未だ無批判に持ち上げる人たちが多いのでしょうか。私は全然共感できないのですが、甲子園然り、ほかのスポーツ然り、日本人はああいう「汗と涙」の熱血エピソードに弱いのでしょうか。

子供は、特に小さな子供は顕著なのですが、本当にこちらの目線での常識が通用せずに、全然いうことを聞いてくれずに手を焼くものです。そんなガキどもに、罰や恐怖を使って、支配することって、簡単な事だと思うのです。でも、それは教育といえるのでしょうか。
学習心理学、教育心理学の教科書では必ず登場する、オペラント条件付けを体系づけたスキナーは(ネズミを使った実験が有名ですね)は、ある行動を抑制するための刺激、つまり「罰」(ネズミの実験なら、ネズミが痛いと感じる肉体的な刺激を与える)を与え続ければ、その行動は止みますが、罰を与えることをやめれば行動が再び見られるようになることから、教育的な悪影響を考慮すると、罰を用いて問題行動を抑制することを批判していたそうです。テレビや本でよくもてはやされるようなお偉いセンセイ方が聞いたら世間知らずの机上の空論だとあざ笑うでしょうか。しかし、何か競技で実績を出すにはああいった指導が必要なのでしょうか。あれこれ思いを巡らせてみましたが疑問は尽きません。

これだけは書いておきますが、今回にかぎらず、私は怒りを感じています。もっと激しい言葉で、上で取り上げた、教育者とは名ばかりの暴力的指導者や、それを肯定する人たちを非難したい。それをどうにか抑えてできるだけ冷静に綴ったつもりです。

(8月25日追記)
検索でよくアクセスされている割には珍しく脅迫や恫喝のコメントが一つもついていないので気になっていましたが、調べてみたらコメント機能に異常があることがわかったため修正しました。
もっとも、そんなコメントが投稿されたところで相手にするつもりはございませんが。

(2016年6月15日追記)
このところコメントを連日多数受けるのでアクセス解析で確認したところ、Facebook、2ちゃんねる、twitterなどにこの記事のURLが貼られていたようで、昨日のページビューは5000件近くにのぼっていました。
ところで、学校教育での柔道の危険度の研究などで名が知られる、名古屋大学の内田良氏も、Twitterで吹奏楽部に言及していることが分かりました。内田氏には吹奏楽部関連の相談も多く寄せられているそうです。


(2015年7月11日のツイート)

どういう文脈で内田氏が取り上げたのかはわかりませんが、ここで問題視されている「過熱ぶり、精神論、練習の苛酷さ、教員のカリスマ性」は、私の視点とほぼ同じです。逆に言えば、教育学者でさえも、吹奏楽部をそのように捉えているということです。いや、客観的データに基づいて学術的研究を行っている人でさえそのように言っているということは、私などよりもっと厳しく批判的な目で見ているといってよいでしょう。
なにも吹奏楽部に限ったことではありませんが、いかに部活動の場が往々にして、教育現場であるにもかかわらず、内部だけでしか通用しないような異常な論理で活動しているかが窺い知れると思います。

(2019年5月14日追記)

さしあたり、これまでに頂いたコメントを総括しての要点をいくつかまとめ。

・淀川工科高校で顧問である丸谷氏による暴言など人権を無視した指導が行われているのかは肯定と否定両者の声がある。真相は不明であるが、年代によって変化した可能性もある。実際には私が指摘するように丸谷氏は吹奏楽部の現場に介入しているわけではないと冷静に私の見解への反論を行った人は少数いたものの、丸谷氏を教祖のように絶対視している人は少なくなく、個人崇拝を否定できない体質があるのは確かだと思われる。中には嘘をついてまで丸谷氏らを庇い立てするような人もいた。

・いずれにせよ、そのような体質を美化するような演出を行うメディアの害悪は決して小さくなく非難されるべきである。(NHKは以前もプロジェクトXで淀川工科高校の吹奏楽部※に対する捏造を行い批判を受けているという)

(※取り上げられたのは吹奏楽でなく合唱部との指摘を受け、2019年8月16日訂正)

・淀川工科高校に限らず、競技での結果を至上目的として、そのためなら生徒の人格を蹂躙しても良いというような暴力的な指導を是認するような体質が全国の吹奏楽部には根強く、また、そのような指導を受けた若年層と思しき中にも暴力を肯定する人が相当数存在することは明らかになった。そのような人たちがいずれ社会に出て暴力の連鎖を行うことが、長い目で見れば一番の問題であるし、そのような人たちの根強さをあぶり出したことについては拙文が果たした意義はあると思われる。

・名誉教諭の称号について、自治体や学校が丸谷氏に無批判に依存しているのではないかと指摘したが、吹奏楽連盟にもそのような持ちつ持たれつの関係や、審査の公平性が疑われていることもわかった。

(2019年9月7日追記)ヤフーニュースで、千葉日報が、柏市立柏高等学校の吹奏楽部を無邪気に称賛している記事を書いていて、それを妹尾昌俊という教育評論家が批判していたことを知りました。案の定、記事へのFacebook(実名)でのコメントはこちらの多数のコメントと同じくらい低劣なものでした。とりあえずメモ。

金賞より「最高」を 感動追求“イチカシ”の音 市立柏高吹奏楽部 【戦う文化部】

何のための部活動なのか?(学校教育で部活動をおこなう意味はどこに)

淀川工科高等学校の吹奏楽部のドキュメンタリーに対する違和感” に対して209件のコメントがあります。

  1. まるちゃん より:

    確かに丸谷先生は厳しい方ですが、吹奏楽部にしている大阪の中学生の中でどうしても吹奏楽コンクール全国大会に出場して金賞を取りたいと思ったら必ず進学を考えます。
    野球部の中学生の中で甲子園で優勝したいと思えば強豪校に野球留学しても入学すると思います。
    淀工は必ずコンクールで金賞を取れる学校(野球部で甲子園優勝が約束されているようなもの)どれだけ厳しくてもついて行くものなんです。
    野球部のスパルタは認めて吹奏楽部のスパルタは否定されるのですか?

  2. 鴉(管理人) より:

    コメントありがとうございます。
    まずひっかかるのが、現実にそうなのかはさておいて、必ず淀工に進学を考える、必ず金賞が取れる、甲子園優勝が約束されているという表現です。野球でも、必ず甲子園優勝が約束されている高校などはありえないからです。淀工に入れば必ず金賞が取れるというのなら、公平な技術の審査というより、権威的ものによって賞が決められているような、コンクールの体制そのものに不健全なものを感じさせます。(たとえば数年前に書道界で明るみに出てニュースになった日展の審査のように)
    また、必ず、約束されているからという表現は、ただ丸谷氏にすがってロボットのようになればよいというようで、子どもたちの主体性はどこにあるのかわかりません。非人間的な考えだと思います。教育現場としていかがなものでしょうか。

    暴行事件にも言及しましたように、私は野球部に限らず、スパルタの名で正当化されている暴力的指導には極めて批判的ですし、高校、大学問わず、スポーツ推薦などの制度にも、それは普通に勉強するために入学して(もっとも一般入試でもどれだけいるか怪しいですが)卒業していく人たちと一緒くたにして良いのだろうかと疑問に感じています。(制度的に高校、大学である必要があるのかどうか)
    もちろん、中には高いレベルで文武両道を両立して卒業する人もいるのでしょうけれども。

    1. 匿名 より:

      野球でいう甲子園優勝が約束されている高校、確かに表現としては適切でないかもしれないかもしれませんが、大阪桐蔭高校が限りなくそれに近いですね。近年もう一つのライバル校履正社高校には連勝していますし。大阪桐蔭の西谷監督も相当ひどいですよ。部員たちはかなりのプレッシャーと緊張を強いられている事でしょう。

  3. あだこ より:

    記事拝見させていただきました
    私は中学で吹奏楽部に入っていて、とあるご縁からよく淀川工科高校で指導を受けさせていただいていました。
    確かに丸谷先生は厳しい方です、記事にもあったような言葉も使います
    しかし、部員のことを誰よりもよく見ていて誰よりもよく考えているように感じました。
    実際に生徒のみなさんもしんどい練習のなか続けていけるのは丸谷先生の優しさ厳しさがあるからだと思います。
    みんな楽器がすきで淀工吹奏楽部が大好きで、
    そんな雰囲気がたくさん感じられる素敵な部活でした。
    外から見ていると感じることは人それぞれだと思いますが、実際に直接話してみると部員のみなさんももちろん丸谷先生もみなさん優しくて楽しそうで生き生きしていました。
    わたしはとても素敵な部活だと思います。

  4. 鴉(管理人) より:

    コメント感謝です。
    淀工のOBの方でしょうか。

    私にはどうも、子どもたちの感覚がマゾヒスティックに麻痺しているのでないかと感じるのです。
    「部員のことを誰よりもよく見ていて誰よりもよく考えている」という表現は、父権主義的な監視、生活の支配とも受け取れます。アメとムチを巧妙に使うから、生徒は従わざるをえないのでしょう。本文でも書きましたように、カルト宗教の構造に近いものがあり、やはり不健全だと思います。(かつてあるカルト宗教の信者と話したことがあるのですが、彼らの言動に近いものを感じます)
    実際に、地方の大学の修士論文レベルですが、吹奏楽部に在籍していた人が、吹奏楽は音楽性とはかけ離れたカルトに近いということを論証しようとした論文があります。
    http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/html/10129/642/tm_418_kogawa.pdf

    また、丸谷氏の人格について、あだこさんの仰るようなことが事実であるとしても、まだ十代の子どもに向かって人権を侵害するような暴言を吐くことが必要だとは到底思えませんし、それを本来の意味での厳しさと履き違え、無批判に取り上げて垂れ流したNHKの番組製作者の責任も無視できるものではありません。

  5. 実際いた人 より:

    実際、OBの者です(^^)
    こんにちは!
    映像やWebなどのコメントで、貴方みたいな捉え方をして、いったいどうなんだと言う方は沢山いらっしゃいますが、人の人格を崩すような発言、暴力などは一切ありません。
    音楽を勉強しながら楽しみながら、社会に出ても大丈夫なように、人として成長出来る場をつくる為に常、生徒の事を第一に考えてくれている先生です。

    私から言わせてもらうと、映像、webでのコメントなどを見るだけで、このような人だと決めるけるような貴方の考えの方が1番、人として最悪だということに気付いたほうが宜しいかと思いますが?
    そこでの経験をしたことが無い、本人に会ったことすら無い、話したことがない、そんな貴方に何が言えるのですか?

    まず、貴方のその人の見方というものを1から学びなおした方が宜しいと思いますよ。

    長文失礼致します。

  6. 鴉(管理人) より:

    ご自分の主張に反し、淀川工科高校の吹奏楽部が、人格や社会性を育むのに何ら寄与していないことをわざわざ公表してくださりありがとうございます。

  7. yoshihisa より:

    記事を拝見させて頂きました。
    確かに生徒さん達に酷い罵声を浴びせているのは事実です。
    しかしそれは生徒さんのことを思っての事なのではないでしょうか。
    私はよく動画サイトなどで淀川工科高等学校のマーチングを拝見しますが、とても高校生とは思えないほどの素晴らしい演奏演技でとても感動してしまいます。丸谷先生の厳しい指導があったからこそあのような演奏演技が出来ているのではないのかと私は思います。
    生徒にどんなに厳しい罵声を浴びせてでも全国に行かせてあげたい。全国で金賞を取らせてあげたい。そのような気持ちで丸谷先生は指導されているのではないでしょうか。
    確かに不愉快に思うかもしれません。たかが部活でなぜそこまでするのかと思うかも知れません。でもそれは生徒さんを思っての事だと思います。
    実際私も現在高校生で吹奏楽ではありませんがスポーツをしています。
    ですがたとえどんなに先生に酷い罵声をあびせられても、結果が出れば嬉しいし、もっと頑張ろう。という気持ちにもなります。
    生徒さん達もそのように思っているのではないでしょうか。
    そんなの綺麗事だ。そう思うかもしれませんが私はそこまでしてでも自分を強くしようとしてくれている。自分達の事を考えて指導してくれている。と逆に感謝するべきだと思います。
    周りから見れば確かにパワハラなどと言われてもおかしくないかもしれません。それでも言い続ける理由は少なくともむやみやたらに生徒さん達の人権を侵害しようとかという軽い気持ちではないはずです。
    最後に淀川工科高等学校のマーチングや座奏をきちんと見た事がないのなら是非1度でいいからきちんと見て欲しいというのが私の気持ちです。そこには丸谷先生が暴言を吐いてまでも生徒さん達を指導してきた努力の結晶が詰まっているはずです。
    長文失礼します。

  8. 鴉(管理人) より:

    正直に言って、特に高校生がこういう思考をしていることが恐ろしいです。教師に依存しきっていて(教師も生徒に依存しているのでしょう)、狂った体罰さえ肯定するような典型的な考え方です。もっとも、外から見ればパワハラだとみなされないと認めている点ではまだ正常な感覚が残っているとは思います。
    ですが、特に次のくだりは感覚が麻痺しきっていて異常だとしか思えません。
    「ですがたとえどんなに先生に酷い罵声をあびせられても、結果が出れば嬉しいし、もっと頑張ろう。という気持ちにもなります。
    生徒さん達もそのように思っているのではないでしょうか。
    そんなの綺麗事だ。そう思うかもしれませんが私はそこまでしてでも自分を強くしようとしてくれている。自分達の事を考えて指導してくれている。と逆に感謝するべきだと思います。」
    もうご存じないかもしれませんが、かつて大量殺人などの凶悪犯罪に手を染めた、オウム真理教というカルト宗教の信者も極めて似たようなことを述べていました。やはりカルト団体の体質と、そこでの教祖と信者の関係によく通じるところがあります。

    結果が出ているとか、丸谷氏のような人が生徒のことを思っているかどうかなどは問題ではありません。学校という場において、教育、指導の名のもとに、生徒に暴言を吐いたり、カルト宗教のような体質が許され、それをメディアが肯定的に取り上げるのが許されてよいのかという話です。
    結果以前に、人格を持った人間としてどうなのかという話ですが、なぜそれが問題なのかということから説明しなければならないのでしょうか。
    嘆かわしい話ですが、きっとこれは学校現場だけの話ではなく、大人の社会全体で歪んだ価値観が支配的だからなのでしょう。

  9. lightning より:

    記事を拝見させて頂きました。
    私はとある工業高校でマーチングをしてる者です。
    私はとても淀川工科を尊敬しているものです。
    出来ることならば淀川工科に入りたいと考えていた位です。
    丸谷先生は非常に音楽界でも有名な方で、
    淀川工科の吹奏楽を率いてる長でもあります。
    ところで、話は変わりますがあなたは高校野球をご存知ですよね?
    高校野球の方々も日々、練習に励んでいます。
    高校野球をされている方々もこの様な
    言葉を投げかけられています。
    プロ野球選手もこの様なことを言われ続けてプレイして来ました。そして今はメジャー、日本プロ野球と素晴らしい功績を出しています。
    話を戻しましょう。
    私は先程、工業高校のものと申し上げました。
    今回のマーチングコンテストでは残念な結果でした。
    それでもチームメイトはこう言いました。
    「来年も頑張ろう!精一杯教えてくれた先生やコーチの方にも!」と。
    淀川工科吹奏楽部の方も同じことを仰っています。
    これを見てまだ、理解出来ないのなら、
    あなたは一度何かに熱心になってみてください。
    そうすれば、彼らの気持ちが分かるかも知れません。
    部活動は運動部でも文化部でも厳しいのは変わりないです。
    あなたはその一言で吹奏楽を、いいえ、
    部活動全体を批判しているのですよ?
    それに命を賭けてやってるいる人は厳しい事も乗り越えて生きてきたのですよ?
    それを淀川工科に絞り、尚且、顧問の人格まで否定するのは、
    少々人間性に欠けていると思います。

    一つだけ言います。マーチングをやるのに
    他人に自分の意思を干渉されることなどありません。洗脳なんて以ての外です。
    長分失礼します。

  10. 鴉(管理人) より:

    ちゃんと読んだ上でコメントしているんでしょうか。高校野球の体罰などの暴力的な指導に批判的であることは本文やコメントで言及しています。ただし、吹奏楽だけでなく、部活動全体を批判しているということだけは正しいです。なんであれ、部員に罵詈雑言を浴びせる教員は生徒の人格や社会への悪影響を考えれば一刻も早く辞めてもらいたいですし、そういう団体は潰れて欲しいと思っているからです。さらにいえば別に部活動にさえ限った話ではないのですが。

    野球部といえば、多数の名高いプロ野球選手(私からすればプロ野球選手だからなんぼのもんやと言いたいですが)を輩出したPL学園の高校野球部さえも、いじめや体罰が問題視され、ついに廃部寸前の状態になりました。今ではかつての甲子園優勝の栄光もありませんが、それでも暴力のあった以前の姿に戻るべきだとでもいうのでしょうか。
    巨人のエースからメジャーまで行ったOBの桑田真澄氏も母校をはじめとする暴力的指導を批判していますが。
    「Q:体罰を生む背景は?
    桑田:勝利ですね。「チームが勝ちたい」「自分が勝ちたい」ということですね。例えばチーム内であれば、自分がレギュラーになるために後輩をつぶしていかないと自分がレギュラーになれないとか、指導者は優勝しないと周りに対しての示しがつかないとか、首になるとかですね、勝利至上主義になってしまっているということですね。
    本来、誰もが、子どもを育てる、選手を育てるという育成を目的にしているのにもかかわらず、実際にスポーツの現場で行われているのは勝利至上主義ですよね。僕はプロ野球は勝利至上主義でいいと思っているんです。でも、アマチュアは勝利至上主義よりも人材育成主義、育成主義ではないとダメだと思っています。」
    http://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/4ac932627a427790319b9c6ba7dd946e

    あるいは仮に、ある名のあるクラブで、顧問や部員に暴言を浴びせられ、ついていけなくなって辞めた人がいたとしたら、その人は部活動への熱心さが足りなく弱いから辞めたことになるんでしょうか。そうだとしたら、暴行を受けて退部した野球部員に汚い言葉を投げかけていた実在する野球部のOBらと同じだということになりますが、本気でそう言い出しそうで恐ろしいものです。

    丸谷氏が音楽界で有名だとのことですが、音楽(演奏家?)の世界など、社会のほんの一部分ですし、そのまたほんの一部分の吹奏楽の世界のお偉いさんでしょう。私からすれば一体何様のつもりだと言いたいです。にもかかわらずその狭い世界の実績だけで名誉賞やら客員教授をあげ、熱血教師ともてはやす大人たちの価値観こそ問われて然るべきですが。
    そもそも偉い人の言うことなら批判せずに従うべきだというならその時点でおかしいです。それで喜ぶ人も多いとは思いますが、一人の人間としてどうなんでしょうか。

    どうやらカルト宗教と同じで、内実を知らずに洗脳される人もいる一方で、無批判に自ら望んでいかがわしい団体に入った人も相当数いるようです。学校に入る以前の環境の影響で歪んだ価値観が形成されたとみなすこともできますが、少なくとも、こんな恫喝まがいのカルト的な部活動は、子どもたちの人格の形成、教育を目的とする学校でやるようなことではありませんし、そのような場所で育った人間が社会に出ていくなどおぞましいことです。これではパワハラ、過労死や自殺は減らないでしょう。
    精神活動の自由が保障されているとはいえ、そんなことをしても結局当人の人生のためにならないからこうして書いているのですが。

  11. carmen より:

    記事を読ませて頂きました。
    失礼ですが被害妄想のしすぎではないでしょうか。
    確かにあなたが体罰などに似たような経験があるからここまでおっしゃっていられるのでしょうけれどもあなたが受けたような酷い体罰が淀川工科高校で実際に起こっているのかは実際に淀川工科高校の吹奏楽部にいた人や、実際に見学に行った人にしかわからないのではないでしょうか。たかが1回NHKのドキュメンタリーを見た人に何がわかるのでしょうか。それこそNHKの編集のせいでそう感じているのではないでしょうか。
    そしてあなたはまるで丸谷先生が淀川工科高校に名誉教諭の名のもとにずっと居座り続けているかのような発言をされていましたが、丸谷先生は以前引退するとおっしゃっていた事がありました。しかし生徒さんが引退しないで欲しい。と強く願ったために未だに吹奏楽部の顧問として生徒さん達を指導されているのです。
    確かに暴言は吐いていますがそれは強くさせてあげたいという強い気持ちからくるものではないでしょうか。あなたの言い方はまるで仲良くやれればそれでいい。例え地区大会の1回戦で相手にどんな大差で負けようと別に構わない。だって暴言も吐いてないしずっと優しくしてたから別にいいんだ。
    そんなことあるわけない。先生はそれでいいのかも知れませんが生徒はどんなに悔しがるでしょうか。どんなに泣き叫ぶでしょうか。そんな顔をみたくない。生徒達を勝たせてあげたい。部活を受け持っているほぼ全ての顧問の先生がそう思っているはずです。だから厳しくするのです。だから暴言を吐いてしまうのです。そこまでしてでも良い結果を残して欲しい。丸谷先生もそのようなお考えなのではないでしょうか。
    と言っても私の言葉くらいであなたの心は変わらないと思うのでhttp://youtu.be/xuwIEpe0jgo
    是非これを見ていただきたいです。これは昨年の淀川工科高校のマーチング全国大会の演奏です。注目して欲しいのは演奏している生徒さん達。とてもいきいきとしたいい笑顔をされています。日頃丸谷先生からの酷い体罰や暴言を吐かれ続けていたらこのような顔にはならないと思います。生徒さん達は心から吹奏楽を愛し、マーチングを楽しんでいるのではないでしょうか。
    最後になりますが淀川工科高等学校を全国屈指の吹奏楽の強豪校へと導いた丸谷先生とあなたへ体罰などをしてきた人を一緒にしないで下さい。そしてNHKの意図的な編集のせいで生徒さん達が目を輝かせていたのではなく、本心で丸谷先生を尊敬してらっしゃるから目を輝かせてNHKのインタビューを受けていたという事を覚えておいて頂ければ嬉しいです。
    長文失礼致しました。コメント失礼致します。

  12. 鴉(管理人) より:

    これまでのコメントから見るに、別に指導者が一方的に暴君や教祖のように振舞っているわけではなく、生徒のほうも依存していることが伺えます。どこまで共依存的なところがあるのかはわかりませんが。
    もう一つは、やれ強豪校だから、金賞をとったから暴言などが許されるという発言です。典型的な、桑田真澄氏が指摘するような勝利至上主義に毒されている考え方だと思います。体罰がなくとも桜宮高校などの体質を肯定するのと同じロジックだということがわからないんでしょうか。
    そもそも勘違いしているようですが、厳しく指導することと、アホやらボケやらの罵倒をすることは同じではありません。たとえ了解を得ていようが教育者が学校でそのような暴言を吐いてそれが許されるのは問題だと言っているのです。そういう暴言が出るのはもともと品性が下劣であるか、情動を抑えきれないだけに過ぎません。

  13. 匿名 より:

    丸谷先生に会いに行けばいいんじゃないですか?

    丸谷先生は、確かに吹奏楽に対する姿勢は、厳しいですが、先生の中でも人気のある方です。
    本人を知らず、外野でどうのこうの言う前に、違和感があるのでしたら、自分自身が動かないと、誰が何を言っても違和感は晴れないのではないでしょうか?

  14. 鴉(管理人) より:

    極論には相手をしません。

    これまでコメントを投稿した人は文体や内容から察するにおそらく現役高校生か大学生くらいの若い人だと思いますが、丸谷先生、丸谷先生と崇めていて本当にカルト宗教の信者のようです。これが学校の部活動のあるべき姿なのでしょうか。

  15. 自分の意思で淀川工科高校へ行ったのだから別にいいんじゃないでしょうか? より:

    ガチで部活やりたい人は、部活強豪高校へ行けばいい。
    エンジョイで部活やりたい人は、部活弱小高校へ行けばいい。
    淀川工科高校吹奏楽部に行った高校生たちは、どれだけ罵倒されようが、3年生でもオーディション落ちようが、自分の意思で淀川工科高校へ行ったのだから別にいいんじゃないでしょうか?

    僕はエンジョイで吹奏楽やりたかったから、弱小吹奏楽部の高校に行きました。
    ・部活の時間は普通にこつこつ真面目に練習、日曜日は7月以外は休み。
    ・部員数が、コンクール制限人数未満だったので全員コンクール出場。
    ・難易度の高い曲はさけて、初心者でもコンクールまでに演奏できる自由曲を選択。
    ・夜遅くまでの練習じゃないので、塾で勉強したい3年生は塾に行ける。
    そういうエンジョイ弱小吹奏楽部だあったけど、自分に合ってたので楽しかった。

  16. 鴉(管理人) より:

    そのようないわゆる自己責任論は100歩譲って社会に出た大人になら通用するとしても、公教育の場である学校の生徒にまで適用させるべきでしょうか。いくら強豪校とはいえ、果たして学校は部活動が中心の場でしょうか。そのような問いを放棄して狭い世界のコンクールや大会での優勝に執着することに教育上、また社会的にいかなる価値があるのでしょうか。というようなことは何度も書いているのですが。

    なお、二回投稿を下さっていましたが、現在当サイトのコメントは承認制になっております。イタズラやスパムを防ぐため、私が確認、承認するまで表示されませんので、投稿後すぐにコメントが表示されなくても異常ではありません。

  17. 若い人です。 より:

    私はとある吹奏楽新興強豪校に属していた者です。
    学校名についての言及はご遠慮ください。
    たまたまこの記事と出会いました。主様の違和感、私よくわかります。
    その上で以下の文章を御覧いただけたらと思います。

    ドキュメンタリーで主様が観て感じられた教育方針は私の知る限りではよくあることでした。
    ある高校に私が属していたころも洗脳の様な行為を行っておりました。
    厳しい罵詈雑言を浴びせ、心身ともに追い詰め、適宜感動的なエピソードが伴ったほめ言葉を述べる。このようにして、「この先生についてきて良かった」と思わせる方法はされていました。
    以上のことを経験者から述べさせていただくのなら、『よくある話』です。
    生徒と教師の共依存も勝利至上主義も暴言、カルト的、ここには書けないその他諸々は『よくある話』です。そして『よく聞く話』です。
    最も、私はもう『疲れてやめてしまった人』なので吹奏楽には関係ありませんし、主様のように怒りも感じません。

    最初にも書きました通り、主様の違和感はよく分かります。
    ただ、これは感覚的なものなので、上手く説明がつきません。自分のボキャブラリーの無さが恨めしいです。

    そして私の経験はもう数年前の話です。
    今、私が挙げた事が在籍していた学校で行われていないことを祈りつつ、指を置きます。

  18. さとう より:

    51歳、吹奏楽歴36年の男です。途中ブランクあるので演奏歴は20年ぐらいです。
    感じ方は人それぞれですし、また万人全てが淀工吹奏楽部を肯定すべきだとも思いませんが、貴方の感想には違和感を感じます。
    もちろん自分の考えと違っても”興味深い”文章と出会うことは時には必要ですけどね。

    一般論としてはある程度正しい話だと思いますが。
    丸谷先生を知っている人とでは話がかみ合わなくて当然なのかもしれません。
    そういう私も個人的にお会いした事はありません。合同演奏で数百人の参加者の一人として指導を受けたことがあるだけです。

    親子にしたって一般論は言えても、実際に子供がどう思っているかは全く別問題ですよね。一般論の域を出なければ話がかみあわなくて当然なのかもしれません。
    こう言ってる私だって、どれほど丸谷先生のことを知ってるか、というと疑問ですけど(笑)。
    とはいえ30年以上も「吹奏楽雑誌などでの発言」「数少ないながらも直接指導を受けた体験」そして何よりも実際の演奏、に接してきています。
    その経験だけからいえば、丸谷先生は少なくとも「裏表がある」という人ではないです。一般参加者がいる合同練習でもけっこう怒鳴ってます。個別に注意されたいとまでは思いませんが(笑)。

    実際に会ったこともない。生で演奏を聴いたこともない。勝手に編集されたドキュメンタリー番組1本だけで全否定はいかがなものでしょうか。
    「某番組で紹介されていた某部活の某先生が」ぐらいの一般論なら、もう少しは賛同できそうなんですが。

    私自身は30年来の経験と淀工の「コンクールなんぞという狭い枠組を超越した鮮やかな演奏」を生で聴いてしまったので支持する、というところでしょうか。

    別に「貴方に考えを変えてほしい」と思っているわけでもないのです。
    ただ「淀川工科 吹奏楽部」で検索すると貴方の文章が最初に表示されてしまうのです。私もそれで来ました。その語句で検索する人と貴方の考え方ではたぶん基本的スタンスが違ってしまうのです。
    わざわざ検索した上で「違和感を感じる文章が目に入ってしまう」のも”不幸”と言えるかもしれません。
    わざわざ検索して最初に出て来たのが貴方の文章だったら吹奏楽経験者は反応/反発するでしょうね。
    その意味でも一般論ではなく学校名人名を明記して批判したのは間違いだったかもしれません。
    「世間に対して淀工の問題提起をしてやった」とお考えなら別でしょうけど。どうでしょう?

    長々と乱文失礼致しました。

    1. 鴉(管理人) より:

      取り急ぎのお返事ですが、まず、「某番組で紹介されていた某部活の某先生が」というのは一般論ではないですね。匿名にしただけであって、指しているものは同じだからです。
      何も淀工や丸谷氏個人を攻撃しても仕方ない話です。野球部の記事にもリンクしているように、やたら持ち上げられている彼らを取り上げることを通して、まさに仰るように世間(当事者を含めて)に部活動のあり方やマスコミの取り上げ方が抱える病理を問題提起したつもりです。

      現在、このページが検索エンジンで上位表示されるのは存じ上げていますが、それは私が意図したわけではありませんし、検索する人の思惑に都合の良いページばかりが上位表示されるわけではありません。

      それに同意するか否かは別として、ご自分の価値観がと違った文章と出会い、興味深いと感じてくださったのでしたら(そして価値観が揺さぶられるのでしたらなお)、淀工や丸谷氏を賛美するページの中で存在する意味は果たしているのではないかと感じています。

      1. さとう より:

        コメントありがとうございます。
        『部活動のあり方やマスコミの取り上げ方が抱える病理を問題提起したつもりです』一部は賛同します。

        部活動に対する問題提起、の意図はわかります。
        わかりますが、そこで引き合いに出されるのが淀工吹奏楽部だと凄く違和感あります(笑)。
        確かに怒鳴ることが多い先生なので批判するには格好の材料でしょうし、イヤなテレビ的演出が加われば更に嫌悪感増すでしょうね。

        そもそもテレビ番組なんて編集次第で印象が変わりますからね。
        よく知ってる事柄や人物がテレビで取り上げられて「ウソじゃないけど、かなり違うぞ」と思ったことは何度もあります。
        話の発端であるNHKでの淀工ドキュメンタリーは「たぶん、録画してまだ見てないアレかな?」てのをさっき思い出しました。
        見てないので何なんですが、たぶん「ウソじゃないけど違う」と思いそうです(笑)。
        私も”違和感”を感じそうな気がしますが、貴方の”違和感”とは別種のものになりそうです。
        今度見てみようかな。いや、そう言いながら見ないまま終わる可能性が高いです(笑)。

        『淀工や丸谷氏を賛美するページの中で存在する意味は果たしているのではないかと感じています』
        私も丸谷先生を神と讃えるつもりはありませんよ(笑)。
        実績を正当に評価して”日本屈指の吹奏楽指導者”だと思ってるだけで。
        「実績」と言いましたが、コンクールで金賞かどうかは私にとってはどうでもいい話(笑)。
        「会場で実際に演奏を聴いて感動した」ということが私にとっての”丸谷先生と淀工の実績”。その私から見て「正当に評価されるべき人」だと思うんですけどねー。
        やたら賛美する必要もないですが、ボロカスに非難されるような人でもないですよ。

        検索結果上位なのは貴方の責任じゃないのはもちろん承知してます。
        普通程度に「淀工の吹奏楽が好き」って人が検索してたどり着いた先で読まされたら大変だろうなーと思うだけで。

        問題提起なのは理解しますが、やはり何か違和感ありますね。
        とはいえ、いい着地点も見当たらないので、ここまでにしておきましょう。

        何ヵ月も前に書かれた文章なのに、今ごろコメントしてすみません。
        ご対応頂きありがとうございました。

  19. Tom より:

    丸谷先生を評価する以前に結論ありきだと思います。残念ですが、今日の恐ろしい風潮だと思います。批判する前に、物事を判断する前に、事実を知ることが大切なのではないでしょうか?最近のテレビやバラエティー番組でも同様で、言論の自由は守られるべきなのでしょうが、世間に自らが意見を発表する時には自由のための責任もあるはずで、なによりも出来るだけの事実を知ることが先行すべきで、事実を知らずに述べる意見は単なる感情論であり、自らを肯定するための手段としか思えないのです。事実さえ知れば、批判は自由であり、だれも犯すことのできない権利だとおもうのです。事実の前にもっと謙虚であるべきだと思います。
    たとえば、丸谷先生の指導に対しても、それを受けた生徒の意見やその後の人間形成などい一言も言及されていません。そうではないかという空想、仮想しか述べられていません。個人の名前を出して公に批判する以上、その責任はあると思います。失礼ですが、今日のバラエティー番組で芸能人が事実も知らずに無責任な発言を繰り返しているのと同じように思えます。特に個人名を出して批判する以上、自由であると同時に責任も大きい筈です。また、あなたの仰有っている教育論もはっきりわかりません。公に個人を批判する以上、事実をもっと知った上で評価すべきだと思います。貴方のおさえている事実は、あまりにも表層的、一般的画像的ではないでしょうか。何か恐ろしい風潮に思えるのです。

    1. 鴉(管理人) より:

      「事実」、「事実」とおっしゃいますが、その「事実」とは一体何であるのかと問いたいところです。丸谷先生様のご指導や指導を受けた生徒のその後の人間形成云々おっしゃっていますが、そういうTomさんはすべての事実をご存知なんでしょうか。それを知っていなければ意見を述べられないんでしょうか。(言論の自由ってそういうものなんですか?そんなバカな!)

      私は限られた情報から私なりに隠されたものを推測しようとしているわけですが、個別の話をしますと、少なくとも、丸谷先生様様が、「生徒に罵声を浴びせている」、「名誉教諭」なる称号を与えられているのは事実でしょう。(やらせか、嘘つきばかりでなければ)
      少なくともこれらの確認可能で合意が得られているであろう事実に対して私はおかしいと解釈して、意見を述べているわけです。もちろんその意見が正しいかどうかは批判の余地がありますが、プロセス自体は否定できるものでしょうか。

      実は、Tomさんが仰っていて、私を従わせたいであろう「事実」とは、事実ではなく、私と同じくその解釈ではないでしょうか。そのことをもっと自覚されるべきではないでしょうか。

      もっと書きましょう。たとえばTomさんが引き合いに出している、「今日のバラエティー番組で芸能人が事実も知らずに無責任な発言を繰り返している」というのは、果たしてあなたの強調しているような「事実」でしょうか。それも限られた情報を解釈した上での意見ではないでしょうか。人に事実、事実とおっしゃるわりには、やっぱりご自身は意見と事実の区別がファジーで、随分大雑把な憶測を言うものだと私には思えてならないのですが…。もっとよく考えてみてください。

      私は丸谷氏個人はたまたまテレビに映っていた、よくいるタイプの典型として今回取り上げただけで、別に個人的な恨みがあるわけでもなんでもありませんが(まあお近づきになりたくはないのは確かですが)、こんなところでまで丸谷先生丸谷先生とまるで教祖を崇拝するように褒めちぎっている人が何人もいることのほうが(しかもおそらく現役の生徒や若い人であろうにもかかわらず)権威主義的なおぞましさを感じます。

      だからこそ別の見方もできるのではないかとこうして書いているのですが、それに目くじらをたてる人がこうも多いという「事実」が、なおさら胡散臭さを醸し出しているように思えます。

      まあ、自分もまだまだ若いと思っていますけど、個人的には若いうちはたとえ馬鹿にされてももっと常識を疑って、先生や偉い人のいうことに積極的に堂々と反対してみたほうが面白い人間になれると思うんですが意外と保守的な人が多いんでしょうか。

  20. 魚の揚げ物 より:

    こんな記事を書く暇があるのであれば、一度丸谷氏とお話してみてはどうでしょうか。
     テレビでは「編集」が必ず伴います。ですから一度、ご自身の目で淀川工科高等学校吹奏楽部の実態を見て、記事を書いたほうが良いと思います。
     ちなみに私は丸谷氏とは何ら関わりはありません。

  21. 鴉(管理人) より:

    あなたが会う手はずを整えて身の安全を保障してくださるなら考えてもいいですよ。(私も暇じゃないのでいちいち真面目に答えるのが面倒くさくなってきましたすみません)

    それにしても、ほんとそこまでしてかばいたくなるものでしょうか。

    ですが私は優しいので改めて要点をまとめてあげますと、

    1、事実がどうであれ、少なくとも下で述べるような教育上問題と思われる状況を肯定するような作為的な編集をした番組制作者の責任は大きい。

    2、丸谷氏が指導の上で口汚い暴言を吐いているような人物であることはこれまでの情報から事実と思われる。これは教育上不適切であるし、競技での実績があるから看過できるという発想は、昨今問題視されている体罰等の肯定につながり危険である。

    3、丸谷氏が名誉教諭なる称号を得ているのは事実である。たとえ丸谷氏が望んだことでないとしても一高校教員に名誉職を与えるなど前代未聞であるし、定年後も現場に関わらせているとしたら組織として不健全である。特に公共性が高い公立の学校の振る舞いとしていかがなものか。

    4、私が収集した情報から、カルト宗教的体質、100歩譲って丸谷氏自身がそのように振る舞っていないとしても丸谷氏を教祖のように依存的にまつりあげているという推測は、これまでのコメントの内容から裏付けられていると思われる。

    以上。

  22. 魚の揚げ物 より:

    まあ、あなたが行きたくないと言うのであれば、それでいいんですけどね。私には強制する権利もありませんし。

     ただ、これだけは覚えておいてください。あなたに淀工を批判する権利はあっても、手出しする権利はありませんからね。
     

    1. 鴉(管理人) より:

      手出しするってどういう意味でしょう?角材や鉄パイプを持って殴りこみにでも行くということでしょうか?
      だとすれば被害妄想もいいところですね。直接利害関係のない団体や人物をそれほど庇い立てできるのはある意味すごいと思います。

  23. J. I. G より:

    私は近年、とある強豪(?)の吹奏楽部がある高校を卒業しました。また、幸いなことにも淀工と共演する機会にも恵まれ、素晴らしい経験をさせていただきました。
    私の部の顧問も非常に厳しく、罵倒も浴びせ、そのまま帰ってしまうことも多くありました。私たちも非常に悩み、苦しみました。今思うと、よく耐えられたなと思います。
    しかし、先生が怒っていた事全ては私たちが本気を出さず抜いていること、何度も注意されても直さないことなど、私たちに非があり、先生は音楽を良い方向に持っていく為ゆえの言葉でした。泣き出す人は1ヶ月に1回どころではありませんでしたが、皆その事を理解し、自分を追い詰めて努力した結果、最後に素晴らしい形で引退することが出来ました。
    もし、先生が厳しい口調で言うことが無かったらどうなるでしょうか?部員は自分に甘くなり、欠点を直そうともせず、限界を作らず妥協する…そんな所は全国大会はおろか、県大会でも良い結果を残せるか疑問です。
    淀工と共演する事が伝えられたとき、とても不安でした。丸谷先生は鬼のような怖さだと聞いていたからです。リハーサルの前、一人の淀工の部員さんがきて、私たちに一人ずつ「リハーサルの時間が遅れてしまいすいませんでした」と言っていました。私は何だろう?と他の人に聞いてみると、その部員さんは本当に小さな誤りでわずかに予定が遅れている、(私たちは遅れているのが分からなかった)という事でした。予測通り怖いんだなぁと震え上がりましたが、リハーサルでは丸谷先生はとても明るく面白く、もちろん厳しく指導もし、しかし何より特筆すべきなのは、淀工の部員全員が常に精一杯音楽に取り組み、音楽を心の底から楽しんでいるという事でした。私は淀工の「上手さ」より「真剣さ」や「まっすぐさ」に感動しました。それは他の人も感じていたようで、そこから私たちの部の雰囲気や勢いもがらりと変わりました。
    先生の罵声は、1度も部員を侮辱したり、精神的に破綻するものは1つもありませんでした。丸谷先生も同じでした。逆に先生は誰よりも私たち部員を思っての言葉でした。
    先に述べた淀工生がどこかに就職をするとします。その淀工生は、仕事を妥協するでしょうか。結果を見てすぐに諦めるでしょうか。それが他の高校生よりする確率が少ないのは自明です。
    ただ音楽を極めると言うだけではありません。この吹奏楽部での経験を活かして、立派に社会へ巣立って欲しいと先生が誰よりも思っているからこそ、そのような厳しい言葉を言うのです。その事は卒業すれば誰でも分かります。
    そういった当事者の想いをただ番組1本を見ただけでカルト集団だの、体罰だのと書かれると、私たちが今まで悩んだ日々、死に物狂いで努力した日々、私たちが抱く夢や先生方が抱く生徒への想いを全て否定されているようで、非常に、非常に腹が立ちます。

    1. 鴉(管理人) より:

      コメントを友人に見せたところ、「奴隷根性」だと言い表していてまさに的確だと思いました。
      将来、過労死したりさせたりするようなことがなければよいのですが。

  24. J. I. G より:

    奴隷ですか…?笑
    どこが奴隷なんだか具体的に説明お願いいたします。
    少なくとも私は貴方のようにやられたら引きこもるタイプではなく反抗するタイプなので、隷属などしませんがね笑
    世の中の吹奏楽部の皆さーん、先生について一生懸命やっていると、奴隷に思われるみたいですよ笑
    それから、過労死なんてしませんよ。そこまで追い詰めませんから。本気でやり遂げた事、貴方はありますか?辛い日々が報われたその時は、言葉では現せないほどのものがありました。部活以外でもそれは同じことです。勉強だって、自分を追い詰め、最後には志望校に行くんだと言う気持ちでやるじゃないですか。もちろん上手くいかないことの方が多いですが、自分を追い詰め夢に向かって突き進むことは素晴らしい事でしたよ。
    何でも良いから、何かに本気で向き合ってくださいよ。やったことがないからこんな記事をかくんですよ。
    出来れば検索したら一番最初に出てくるこの記事、一秒でも早く削除して頂きたいのですが…

  25. J. I. G より:

    それから、私の中学時代は運動部に所属していましたが、自ら進んで吹奏楽部の中に入って行ったし、誰よりも吹奏楽が好きだと言う自信があります。
    奴隷根性などと勝手に決めつけないでくれませんか?

  26. 鴉(管理人) より:

    >出来れば検索したら一番最初に出てくるこの記事、一秒でも早く削除して頂きたいのですが…

    検索エンジンで上位表示されている責任は私にはありませんし、単に、主張が気に入らない、不快であるからというだけで消えるべきだというのは、社会における思想や信条の自由という観点からしても危険な発想です。
    一体何のために高校に行って、何を学んでいたのか、また教員は何を教えていたのかと言われても仕方ありません。

    他にもいくらでも突っ込みどころはありますが、結局、そんな言葉が出てくるということは、いくら誇ろうとも空虚さを晒しているだけです。

  27. J. I. G より:

    話しても無駄な人か。
    本当に悲しい人ですね。

  28. ナクカ・ジキソク より:

    これまで、この記事を投稿されてから約1年間、あなたの意見に擁護、賛同される方が誰ひとりもいないのは何故でしょうか?
    そこに違和感は感じませんでしたか?
    (おそらく、反論されるネタはたくさんお持ちだと思われますが・・・)

  29. 鴉(管理人) より:

    >これまで、この記事を投稿されてから約1年間、あなたの意見に擁護、賛同される方が誰ひとりもいないのは何故でしょうか?
    そこに違和感は感じませんでしたか?

    別に感じません。むしろそういうものだと思っていますがそれがなにか。
    そもそも誰一人もいないというのは誤りですね。これだけ長ければコメントを全部読むのも面倒くさいでしょうが、それならば勝手な思い込みをわざわざ書く必要はありません。

    いい加減鬱陶しいですので、今後はこの類の、本文や返信をちゃんと読んでもいない、中身がないと判断したコメントは承認しませんのでそのおつもりで。

  30. たつや より:

    OBです。仰る通りの現実がそこにはあります。
    ヒトラーみたいな独裁吹奏楽部であり、自分の意思に反する者は排除するという事が日常茶飯事でした。
    自身も阿保だの頭悪いのぉ!とか言って打楽器のバチでどつかれたこともあります。
    演奏に関しても淀工=上手いというフィルターのもと聴いているからそうなのであって。。。
    ブラインドで聴くと全国金賞なんてとんでもない。。。
    そこには金と地位と名誉に溺れた教師がいるだけである。
    卒業してからも淀工吹奏楽部だからと言って偉そうにする輩も山ほどいます。
    あなたの意見を支持します。

  31. 響け! より:

    ブログ主のの意見に賛同される方はひとりもいない、と言われると、それはちょっと違うんじゃないですか?と思ったので、コメントさせて頂きます。私は、このブログ主のような意見が出てくるのは当然だと思います。

    いまスポーツ界で、体罰反対の立場で名将とされている人たちも、若い頃は体罰していたと聞くこともありますよ。時代の変化、人の価値観の変化に対応して、常に修正しつつ成果を上げているからこそ、名将なんです。旧態依然とした指導をしていたら、たとえ成果をあげていたとしても外部から指摘、批判されるのは、当然のことではないでしょうか。世間から取り残されている事に気づいていないだけです。

    また、吹奏楽を好きな人ならば、その代表みたいな先生を批判されるのはすごく辛いことですが、それ以上に闇雲に周囲がかばい立てするのは、自浄作用のない集団であることを証明しているようなものです。年老いた先生が悪いのではなくて、祭り上げている周囲の人間が悪いのではないですか?

  32. 通りすがり より:

    私も全国大会出場経験があります。今にして思うと洗脳そのものでした。
    吹奏楽や高校野球を否定するわけではないですが、全国金賞や甲子園出場って、世間からしたら「へえ、すごいね」で終わりです。
    価値観は人それぞれですから、金賞や甲子園が無意味とは言いませんが。。。

    そもそも「音楽」って誰かにしごかれて表現するものではないです。
    これほどまでに賛美される淀高吹奏楽部ですが、世界で通用する「音楽家」となった方はいらっしゃいますか?
    それが答えではないでしょうか。

  33. ダンサー より:

    全国で毎年金賞を取っている吹奏楽部出身者です。暴言、暴行の日々を過ごすと「これが当たり前。殴られたのは私が上手くないから悪いんだ!センセイの為に!みんなの為に!」という思考になります。洗脳番組をみたとき、まぁーびっくり。洗脳の仕方が吹奏楽の顧問のやり方と同じではないですか。洗脳が解けるのって難しいんですってね。きっと擁護してる方は洗脳が解けてないんでは……?と感じてしまいました。こんな横暴なやり方はダメだ!という意見がなかなか通らないのが怖いな〜日本。
    にかく日本の野球と吹奏楽はオカシイ。

  34. ハシゲ より:

    コメントの方向性が極端に変わりましたが、公開するコメントの方向性を選んでいらっしゃるのでしょうか??

    あと、大変恐れ入ります。丸谷氏の罵倒は具体的に何と言っていたか教えていただけますでしょうか?当方で録画が残っている笑ってこらえてではなぜか一言も罵倒と取れる言葉がありませんでした。

    私自身は記事自体に肯定も否定もするつもりはございません。
    ただ、どのような発言が管理人様の琴線に触れたのかが気になりコメントいたしました。

  35. 鴉(管理人) より:

    公開するコメントの方向性を選んでいるというのは、私が情報操作しているという意味ならそれは邪推というものです。全く中身が無い罵倒しか書かれていなかったり、差別発言と判断したものでない限り、コメントは公開するようにしています。以前書いたように、内容も読まずに同じような話を延々と繰り返すコメントも相手にしないつもりですが、警告してからは今のところ投稿されていません。
    そもそもないものは選びようがありません。捏造すれば別かもしれませんがそこまで暇ではありませんし性根が卑しくないつもりです。

    もう随分前ですし、わざわざ録画するほどの価値があるものではなかっため、いちいち細かい発言は記憶していません。
    その笑ってこらえてという番組の編集でも公開する言葉を選んだ上で放送しているのかもしれませんね。

    なお、琴線に触れるという表現は、ふつう良い意味で感銘をうけたものに対して使います。私が見た番組での丸谷氏の発言が琴線に触れるようなものでは決してなかったことだけは確かです。

  36. 匿名 より:

    とても共感する記事でした。
    私自身関西のそれなりの高校にいましたが、この高校はいつも同じ曲、いつも同じ構成のマーチングだけを先生の言いなりになりながら延々とこなす高校…練習風景ももちろんこの目で見ました。
    こういうことを思ってても言う人が少ないので、とてもスカッとしました。ありがとうございます。

  37. 吹奏楽経験者より より:

    私も吹奏楽経験者として一言。全国大会常連校によくある話です。丸谷先生の罵声やバカやろーは関西だから普通なのだと思ってました。
    吹奏楽部は課外クラブですから教育の現場ではありません。そこが問題の発端です
    教育委員会や学校関係者が関与してないので指導者のやりたい放題世界です。誰もが洗脳や悪意はありませんが、コンクールに勝つためには厳しさや罵声、差別が当たり前になってるアマチュア洗脳世界です。
    私はその方向に進む意味合いもわかります。しかし、それについていけない生徒の現状もよくわかります。
    世の中、平等ではないからです
    結果主義、個人ではなく団体主義です

    外の世界から見たら違和感のある吹奏楽世界、だから一般的に認知してもらえないのだということを吹奏楽関係者は理解する必要があります

    吹奏楽の世界を広めて認知してもらうには、このような意見も大切だと思います!

    1. 鴉(管理人) より:

      コメントを多数頂いていますが、取り急ぎ一点のみ。
      課外クラブは教育の現場ではありませんとありますが、これは大きな誤解です。部活動などの課外活動は、あくまで教科教育課程外だというだけで、法令で定められた、れっきとした学校で行われる教育活動の一つです。そうであるがゆえに尚更私は問題視しているのです。

  38. 通りすがり より:

    こんにちは

    僕は大阪出身でヨドコウとはライバル関係にあった全国大会常連校でした。
    現在は東京でプロとして活動しております。

    学校の教育の一環である吹奏楽部の目標は
    音楽の素晴らしさを体感する事
    仲間と過ごす時間を分かち合う

    コンクールの上位結果で入学者の増加が見込まれる
    これは野球部でもサッカー部でもどこでも一緒。

    色んな学校が教育の一環である吹奏楽部を学校の看板にしています。

    そうするとどうでしょうか、本当に結果を出し続ける学校はいつまでたっても入れ食い状態の優秀な新入生が入り続けますね、その結果一極集中が色んな地域で起こります。
    集中した学校の先生は本人の知らないうちに地方の吹奏楽のボス的存在に勝手にされます。(もともとなりたい人もいますがwww)
    ボスの元、生徒たちには先輩たちの残したコンクールの結果、伝統を受け継ぐ使命感が生まれます、だから頑張って先生に喰らい付いて必死に頑張るんですね。
    まぁこれを洗脳と呼ぶのかどうか。

    野球選手が自分のチームを優勝するために頑張るのも洗脳
    巨人が優勝すれば喜ぶのも洗脳
    サッカーの日本代表を応援するのも洗脳ですね

    音楽の素晴らしさを学ぶのか人として頑張る(頑張らす)ことを勉強することが大事か
    芸術なのか教育なのか
    言いなりなのか尊敬してるから食らいつけるのか

    生徒は音楽が大好きです
    コンクールもいい賞を残したいって目標を掲げて入学してきます。

    まぁ少なからず挫折者も出る中、いい賞が取れようが取れまいが三年間を素晴らしい経験(個人の思い出として)を積んで人としての経験を積みます。
    ↑↑
    ここでまずこの人たちの思い出を第三者がどーのこーの言う必要はないと思います。
    なのでこの書き込みに熱い思いをぶつけてくる人たちの怒りはここから来てますね。

    色んな大人がいる中で、本当に怒ってくれる人が大嫌いな人もいますので、学校の先生にずっと反発して青春時代を過ごした人からするを馬鹿なことしてるなあと思われるのはごもっともですね。
    途中で先生との相性のせいで挫折した人たちは音楽を好きなまま辞めざるをえない、傷ついて追い込まれたことでしょう。
    残念ですね、歯を食いしばって頑張って続けたら年を取っても思い出を語り合える仲間がいっぱい残ったのに。
    この思い出を清算するために先生が悪かったことにすると気が楽になるのでしょう。
    ↑↑あなたの書き込みに対しての同調される方

    次に音楽に対しての姿勢として
    音楽のレッスンは人によりますが、まぁ僕が音楽大学で受けたレッスンも高校時代のレッスンも罵倒罵声ですよwww
    「おなえなんかやめちまえ、無理だ」
    「そんな難しいことできても金を取れねえぞ」
    「大阪に帰れ」ですねwww

    本当に自分はダメだなぁ、どうしたらいいか、毎日考えさせられます。

    おかげさまで現在東京で詳しくは言えませんがまぁあなたもテレビを見ていれば絶対僕の音は聞いたことがあるような立場のミュージシャンになれました。

    なので互いに信頼関係のある愛情のある罵倒。
    これは若いうちに経験がないとわかりません。

    なので人それぞれですが、このような公の場でジャンケンのような問題文を掲げるのはどうかと思います。

    1. 鴉(管理人) より:

      貴兄がどのような社会的地位にあるのかは私には関心がありませんし(テレビはあまり見ないもので尚更)、支離滅裂な文章でいくらでも突っ込みどころはありますが、少なくとも、単なる個人的感情やルサンチマンで批判をしているのではありません。
      逆に、貴兄のようなあくまで特殊な環境での体験や思考を安易に一般化して賛美し、優れた人間であるかのようにみなす社会的風潮を疑問視しているのです。
      そうやって、ドロップアウトせざるを得なかった人の生き方を理解せず、劣ったものとして見下しているところからも、私の問題提起が的を射ている事を表しているのでないでしょうか。

      1. チルチル より:

        本文もコメントも全部拝読しました(のでこの時間になってしまい、社会人としてどうなのか自分^^;)。
        私は「通りすがり」さんのコメントは良コメントだと思います。
        鵺さんの本文を読んだとき、そういう見方があって当然、と感じていましたが、コメントへの対応のされ方を見て「そうでもなかったかも。。。」と思ってしまいました。

        1. チルチル より:

          失礼しました、鵺さんではなく鴉さんですね。

  39. 指導者失格 より:

    日本の部活の吹奏楽は音楽をやっているように見えますが、全く音楽とは別の物です。私自身20年以上、吹奏楽部の顧問を務めてきました。しかし、途中退部する生徒が多く、頭を悩ませてきました。練習は内容、時間ともに標準的なものだと思います。ある時、辞めたいという生徒に理由を尋ねたところ、「全然楽しくない。」と言われ、ショックを受けました。そして、保護者からの多くのクレームに精神的苦痛を受け、休日のない過度の勤務などが原因となりうつ病に罹り、今は、指導からは完全に離れていて、指導者として復帰するつもは毛頭ありません。あのような思いは二度としたくないです。同じような経験をした先生は沢山いると思います。部活は教師にとっても大きな負担になっています。家族も犠牲にしなければなりません。
    私は丸谷先生のことは尊敬しています。教育現場の吹奏楽部が抱えている多くの矛盾点や問題点を全く、感じない鈍感さ、あるいはそれらに気づいていても無視できる強靭な精神力を尊敬申し上げています。丸谷先生は吹奏楽コンクールという「格闘技」の優秀な監督です。どうしたらこの「格闘技」に勝利できるかを試行錯誤でノウハウを獲得した優秀な監督です。改めていいますが、部活の吹奏楽部は音楽はやっていません。

    1. 鴉(管理人) より:

      うつ病で苦しんでおられるとのことお察しします。

      教員が部活動の顧問を半ば強要されて長時間拘束されたり、保護者から無茶苦茶な要求を受けたりすることがようやく少しずつ社会的に問題視されるようになってきましたが、現場の心ある先生たちは、政府や文科省の政策を含め、各方面からの要求されるものは増える一方で大変かと思います。
      決して個人の資質のみに帰することではありませんので、どうか指導者失格などと思われずに療養なさって下さい。

      確かに、丸谷氏もさすがに長年続けているわけですから、問題点や矛盾も承知の上でなのかもしれませんね。彼の中でそのような現実に対する葛藤があるのだとすれば、テレビ番組ではそれを素直に放送してくれればよいのにと思いますが、それだと視聴率が取れないし、世間も喜ばないのでしょう。

  40. 吹奏楽経験者ですが より:

    70歳近いのに「名誉教諭」の称号を得て強権を握っているとの違和感はわかります。
    丸谷氏は、「名誉教諭」であるだけでなく、全日本吹奏楽連盟理事長、つまりコンクールの主催者であり、コンクールの審査員の選任に関与する立場にあります。
    丸谷氏の悪口を言っただけで吹奏楽界から追放されることはないと思いますが、理事長就任後もコンクールに出場し、全国大会連続出場記録を伸ばし続けることについて苦々しく思っていても、それを公に発言できない関係者がいることはお察しください。

  41. kei より:

    小学校の音楽活動クラブ(授業)でボランティアをしています。
    卒業生が中学で吹奏楽部に入り、プロ講師に「こんなこともできないのか、○ね!」等の言葉の暴力を受けているとしばしば愚痴を言いに来るので非常に心苦しい限りです。はっきり言ってそのような指導者は教育現場に必要ないと思います。彼女はまだ洗脳されていませんが、同級生の何人かは信奉しきっているようです。
    また、他の中学の事例ですが、コメント内の論文にあるような「先輩や指導者から渡された、もしくは指導されたものをそのまま踏襲することによる思考停止(しかも間違っている)」が見られたので、一から楽典(音楽の理論です)を教えたこともあります。

    私自身、中高は非常に自由な吹奏楽部に所属し部の運営は生徒自身が主体、大学は軽音楽部。音楽(授業)の先生はずっと声楽科出身の方ばかりで非常に刺激を受けました。一日5時間以上練習することもありますが、今でも音楽を続けているのはその魅力に憑りつかれているからであって、顧問というカリスマに洗脳されてのことではありません。
    音楽は楽しむものです。罵倒されてやるものではありません、たとえそこに「愛(笑)」があったとしても。

  42. 地方業者 より:

    こちらの記事は何度か拝見させて頂いておりますが、再び目にする機会がございましたので初めてコメントさせていただきます。

    ある地方のしがない外部業者として音楽教諭の方々や吹奏楽・音楽系の部活動や子供達に関わらせていただいております。
    コメントのやりとりも改めて全て読ませていただきました。
    怒りを露にされている方々のお気持ちは察しますが、管理人様の問題提起とはかけ離れた議論をしようとする方しかいらっしゃらず(そしてそれに気づかず)、最初からすれ違っているように感じます。

    問題とされている所謂スパルタ指導(指導と言っていいのかも複雑ですが、とりあえずこう表現します)を耐え抜いて「結果」を手にしてきた方々とすれば、全て正しかった!と思わざるを得ないのでしょう。
    奴隷根性とはドンピシャな表現です。あるいは社畜根性とでも言いましょうか。
    それらに耐え切れず解放の道を選択した子供達は、「根性がない」「やる気がない」「使えない」などと往々にして切り捨てられているのが現状です。

    もちろん全ての現場が同じではありません。
    私の知る先生方には部活動も教育現場の一つであることを忘れず、粉骨砕身の努力で生徒の育成に励んでいる方々もいらっしゃいます。
    そのような先生方の指導現場には共通して、体罰や暴言は存在しません。
    子供はのびのびと学び、考え、打ち込み、自立していくのを目にしています。
    叱るときもあります。が、「怒る」のではなく「叱る」のです。

    管理人様の仰るとおり、音楽業界…さらに言えば吹奏楽業界などというと社会全体でみればごくごく小さい世界です。この国では特に顕著です。
    そんな小さな世界の小さな賞一つに挑むのに、プロの世界は結果至上主義でご自由に…と思います。
    ただ教育現場で取り組む場合、重視することは結果ではなく過程、更に言えばその過程を生み出す自主性のはずです。
    それを無視して結果が出たからいいでしょ?なんて言い草は間違っても教育者のするものではないし、認められていいはずがありません。

    子供を育む環境を今一度色々な方に注視していただきたいです。
    第3者として関わっているものとして、思うところあり長文失礼いたしました。

  43. ぷー より:

    いろいろ読ませて頂き、何を申してもそれは、今までの歩んできた環境からの考え方なので、そう考えてる方がいるんだ、ぐらいにしか思いません。
    でも、ひとつだけ引っかかりました。
    関西の方ではないのでしたら、関西弁は暴言にしか聞こえないはずです。
    そこからの愛情が分かるのは、やはり関西に暮らして長くないと難しいかもしれませんね。
    ましてや、ドキュメンタリーで抜粋されているなら言葉使いにびっくりされるのは間違いないでしょう。
    あなたが暴言と感じとられた言葉は、その地に根付いている愛情たっぷりの言葉。
    暮らしてみないと分からないです。

    1. 鴉(管理人) より:

      また一日に多数のコメントを頂いていますが、調べてみたら2ちゃんねるにURLが貼られているようですのでその影響でしょうか。

      私はさほど愛着があるわけではありませんが大阪で生まれ育ち、今は京都に滞在しています。
      私も今でも親しい友人とはアホやら死ねやら言い合う時がありますが、あくまでそれは対等な立場で、しかもプライベートな場で、冗談を言い合う時に限ったものです。

      一方、大人からの暴言は暴言でしかありませんでしたし、今でも目上の人に上のようなことを言われれば不快ですし恐ろしさを抱くでしょう。地域的なもので正当化できるものではなく、暴言は暴言であって傷つく人は傷つくことを見逃してはならないと思います。パワハラやいじめを正当化しかねない危険な論理です。

  44. 匿名 より:

    丸ちゃんなんて客寄せパンダですよ。
    それも分からず、それに気付かず、神格化してる周りが悪い。
    丸ちゃんが振れば「凄い!」ていう子供たち…。正しく北朝鮮ですわ。

    大阪音楽大学の使徒たちによる吹奏楽の定期演奏会で丸ちゃんが指揮振ってますが、はっきり言って下手くそ。演奏が止まる寸前の時もありました。
    まあ…演奏してるのが、日々音楽を専門に勉強してる生徒たちばかりですから
    さすがに曲は止まりませんでしたが…。

    宗教者まがいのオーラや権力はあっても、音楽的実力は欠片もない。
    それが丸谷明夫です。

  45. 指導者失格 より:

    私がドキュメンタリーを見て一番違和感を感じたのは、ラベルのダフニスとクロエ第2組曲の冒頭部分のクラリネットをつかまえて何度もしつこく「合ってないやんけ!」「合ってないやんけ!」と吹かせているところでした。少なくとも、どこがどう合っていないのか生徒に伝えるべきで、少なくともテレビではそういう言葉は一切、聞かれませんでした。ただ、罵声を浴びせているだけでした。これははっきり言って音楽のレッスンとは言えません。ただの時間の無駄です。生徒にはどこが合っていないのか、どうしたら合わせられるのかをアドヴァイスするのが、指揮者の役目です。おそらく丸谷氏も合っていないことはわかるが、どうしたら良いのかは、さっぱり分からないのでしょう。結果、苛立ちから、罵声を浴びせるだけの指導になってしまうのだと思います。
    吹奏楽部に所属している生徒が、音楽大学を受験するため、レッスンを受けに先生の所に行くと大抵の先生は「部活は辞めなさい」と言います。つまり、部活で身に着けた奏法は正しくないということです。野球部員がプロのスカウトから、ドラフトに指名するから野球部は辞めなさいとは言われませんよね。
    それだけ、部活の吹奏楽部は異質な世界なのです。
    これだけ吹奏楽が盛んなのに、金管楽器、特にトランペット奏者で世界的な奏者がまだ日本から出てこないのは、部活の吹奏楽の間違った指導のせいだと指摘する人もいます。丸谷氏のような「素人」が第一人者として君臨しているのは、日本の吹奏楽界の矛盾の象徴だと私は思います。

    1. 鴉(管理人) より:

      現場にいた方からの具体的な指摘は参考になります。ありがとうございます。
      事実であるなら、指導の名を借りた単なる罵詈雑言に過ぎず、丸谷氏がコミュニケーション能力を著しく欠いており、指導者として無能である証拠だと思いますし、番組制作者や視聴者がその光景を肯定的に捉えているならば、教育以前に人に物を教え伝えることがなんであるのか全く理解していないと言わざるを得ません。

      野球部の名門校でも同じような指導といえない指導は蔓延っているようですが、それでもプロは輩出しているわけですから、仰るとおり、学校吹奏楽とクラシックなどの音楽の演奏の間には大きな隔たりがあって両者は全く異質なものなのでしょう。

  46. 鴉(管理人) より:

    お気の毒ですが、さすがにもう丸谷氏や吹奏楽の世界の体質に問題がなく、ただ賞賛するのは分が悪くなってきたのではないでしょうか。

    あまりにも低劣で承認しなかったコメントに、「外野が何を言っても雑音」というものがありました。仮に吹奏楽関係者であるとすれば、こういうことを言う人が存在すること自体が異常性を物語っています。高校で行われている課外活動であるという自覚が全くなく、まるでオウム真理教やヤマギシ会のような社会から隔絶したカルト団体の発言です。著しく自浄能力を欠いていることの証左でしょう。

  47. 指導者失格 より:

    文科省は学校の吹奏楽の問題に本腰を入れて取り掛からなければなりません。まず指導者の質の向上です。少なくとも丸谷氏のような「素人」は排除すべきです。最低でも音楽大学を出た音楽科の教員を顧問として採用し、吹奏楽の知識と指導法を教え、資格を与え、この資格がなければ指導出来ないようにすべきです。教員免許が無ければ、授業は出来ないのになぜ部活は「素人」が指導できるのでしょうか。運動部も同じだと思います。「素人」が教えているために、事件や事故が起きるのです。日本の部活動はあまりにもずさんです。ずさん過ぎます。良識ある多くの現場の先生方はこの事は気づいているのですが、文科省が動かないために、結果多くの子供たちが犠牲になっています。何とかしなければといけません。

    1. 鴉(管理人) より:

      確かにごもっともですが、そのような専門家を指導者として迎えるには、吹奏楽部に限っていえば、吹奏楽そのものの自己規定を問い直す必要がありますが、内部の人間にそのような自浄能力があるのかということ、吹奏楽部に限らない面では、適切な教員候補が果たして足りているのか、また、雇用するほどの余裕があるのかという疑問が湧いてきて、問題意識がはっきりと認識され、改善されるまでにはまだまだ道は遠そうです。

  48. 淀工OB より:

    このような劣悪な環境から子ども達を助け出すのは簡単で、公益通報制度を使って調査させれば身を引くしかなくなるでしょう。

    が、それによって目標を見失った部員達が生まれるのも事実です。
    大半の生徒は3年間の宗教活動を終えると、それぞれの人生を楽しんで歩んでいます。

    淀工の生徒は大半が就職するので、吹奏楽の世界の狭さに気付き、卒業後に学校に来ても丸谷氏の事なんて全く気にも掛けてないので、あくまで生徒達にとってはその程度の人物だという事です。

    1. 鴉(管理人) より:

      公益通報制度は主に労働者の内部告発を保護するための制度ではないのでしょうか。
      他のコメントを見ますと、こちらの淀工OBさんとは違って、卒業後も自分のいた世界の狭さに気付かず、傲慢な態度を振るい続けているOBも相当するいるようですが…。

      1. 淀工OB より:

        大阪府の公益通報制度は、外部からの通報にも対応しています。
        参考までにURL貼っておきます。
        http://www.pref.osaka.lg.jp/houbun/humin_tuhou/

        過去の通報例を見ても、外部から学校関係者に対する通報が多いことがわかると思いますので、管理人の方が本気で子ども達を救う気持ちがあるのであれば通報を検討してみてはいかがですか?

        1. 鴉(管理人) より:

          通報内容を確認しましたが、確かに、外部からの通報も可能のようですし、教員も対象になっていますね。

          しかし、別に丸谷氏は明確な法令違反をしているというわけではないでしょうし、物的証拠もないわけですから、私が公益通報制度を利用しても無意味だと思います。

          直接の関係者が被害を受けた証拠、たとえば音声をこっそり録音するなどして提出するなどすればまともに取り上げてくれるかもしれませんが、そもそも暴言が公共の電波で問題視されずに放送されていたわけですから、尚更外部の人間が物を言っても難しいでしょう。

  49. ぴー より:

    学生時代の私は、先生から理不尽ことを言われても、どんなに辛い練習を強いられても、「ここで味わった辛い経験が後の人生に活きてくるんだ」「今こんなにキツイんだから、社会の荒波に飲まれても耐えられるはず」「先生は私たちのためにひどいことを言っているんだ」と思っていました。
    辞めていく部員たちに対して馬鹿じゃないの?恥ずかしくないの?くらいに思っていました。
    高校を卒業して6年たちますが、私が部活で経験したことは、ほとんどが意味の無いものだったと感じています。
    ただキツイだけだったなぁと。
    キツイことを経験した分、人に優しくなれる人ってすくないんじゃないんでしょうか?
    私は吹奏楽部で培ったわけのわからない「皆同じでなければならない」「皆で頑張らなきゃいけない」という信念のせいで、進学先で友達をなくしてしまいました。
    今振り返ってみれば自分がアホすぎて恥ずかしいです。
    吹奏楽というものは大人数でするものなので、ある程度「洗脳」をしなければ統率がとれないんだなと、今になっては思います。
    コメントに「吹奏楽は音楽ではない」と書かれている方がいらっしゃいましたが、まさにそうです。
    学生の吹奏楽は、何千何百回フレーズを繰り返しても、全く同じに演奏できるロボット集団だと思います。
    ロボット集団を作るには、洗脳することも必要になってくるのかな?と・・・。
    学生時代思いっきり洗脳されて、ロボットのように楽器を吹かされて、心から音楽を楽しめなくなってしまいました。
    私の中では「音が苦」のままです。

    1. 鴉(管理人) より:

      >キツイことを経験した分、人に優しくなれる人ってすくないんじゃないんでしょうか?
      私もそう思います。若いうちに苦労することがそれだけで価値あることのようにまことしやかに流布しているように思いますが、自分が苦労したからといって人の苦労を我が身で感じられるかは別の話なのではないでしょうか。むしろ、ぴーさんのように、ご自分の生き方を反省したり、自分がなじんでいた環境を批判できる人のほうが珍しい気がしますが、果たしてどこが分かれ道なのでしょうか。

      ところで、たまたま芸術学の本を読んでいますが、その本によると、芸術の特徴の一つは自己目的的であることだそうです。つまり、たとえば音楽の演奏が芸術であるならば、賞をとったりするためではなく、ただ美しい音楽を奏でることそのものが目的であって、確かに競技などの側面はあるものの、それは本質的ではないということです。そうであるにもかかわらず、やれ金賞だの実績だのという面ばかりが強調されれば、芸術としての音楽の本質を捉えそこねているし、「吹奏楽が音楽でない」というのもうなずけます。プロのオーケストラなどではどうなのでしょうね。「洗脳」は克服できているのでしょうか。
      ともあれ、音楽そのものの体験を取り戻すことができればいいですね。

  50. 指導者失格 より:

    日本に西洋音楽が入って来た明治時代、欧米のような伝統が無いため音楽を勘違いして捉えたまま、現在に至っていると私は思います。一握りの天才はそういった影響を受けずに世界的な奏者、指揮者、作曲家として活躍していますが、一般の人たちは音楽を正当に評価する能力を身に着けられないまま大人になります。日本の音楽教育の問題点とも言えますが、その最たる物が、学校教育における吹奏楽だと思います。音楽活動ではなく、勝ち負けにこだわる「競技」です。コンクールの自由曲を選曲する際、顧問の先生から「この曲で勝てますか?」と聞かれることがあります。私は返答に困って、「まー、どうでしょうか?」といつも言葉を濁すしかありません。また、最近は難易度の高い曲ほど有利(勝てる)とされていて、これも異常です。生徒に過度の負担をかけますし、運動会じゃあるまいし、より速く指を動かせた方が勝ち、みたいな異常な方向にコンクールは向かって行ってます。審査員はプロの音楽家ですが、一体、何を聞いて審査してるのでしょうか。技術的には難しくない曲を良い音できれいにハーモニーを合わせることの方が、指を速く動かすより、難しいというのは音楽の常識です。吹奏楽コンクールはそういった音楽の常識からもはずれていっています。一体全体何を目指しているのでしょうか?また、生徒たちからも「この学校の吹奏楽部は”強い”、うちは”弱い”」と、まるで甲子園を目指す野球部員が口にするような言葉が聞かれます。この洗脳から一刻も早く解き放ってあげないと日本の吹奏楽の未来はありません。

  51. 指導者失格 より:

    学校の吹奏楽はコンクール至上主義にならざるを得ない事情もあります。私が新任として赴任した時、楽器が満足にそろっていなかったため校長に楽器を買ってくださいとお願いしました。しかし、校長に「まず、結果を出してください。」と言われ、はて、音楽で結果をだせとはどういうことだ?と悩みました。結局、分かりやすいのはコンクールで賞を取ることだと思いコンクールに出場するようになりました。先ほど、日本は音楽を正当に評価する文化がない旨の投稿をしましたが、金賞という分かりやすいものが無いと、評価が出来ないのです。学校に予算を要求するにも「強く」ないとダメですし、部員をより多く獲得するにも「強く」ないとダメなのです。そのバンドが良い活動をしてるとか良い演奏をしてるかどうかは評価の対象にはならず、あくまでもコンクールの結果で評価されるのです。巷で流行っている音楽(私は音楽とは思っていませんが)は、奇妙奇天烈でへんてこりんな曲ばかりです。曲が良いから流行っているのではなく、可愛いとか、ダンスが上手いとか、スタイルが奇抜だとか、音楽以外のことで評価されているのです。歌が下手なのに可愛いだけで人気がでる「アイドル」のようなものは欧米では考えられません。世間一般がこのような状態ですから、必然的に吹奏楽の評価も「強いか弱いか」で評価されてしまうわけで、結果、コンクールに血道を上げることになってしまうのです。

  52. ヤコブ より:

    はじめてコメントします。私も丸谷さんには理事長を辞めていただきたいです。淀工を指導されてる方が理事長では、審査が公平になされているのか疑問を抱いてしまいます。
    色々な学校があるので吹奏楽部の練習もさまざまかと思いますが、勝ちたいのは淀工だけではありません。

  53. 指導者失格 より:

    これは、あるホルン奏者の方が述べている言葉です。とても共感できる内容なので、紹介させていただきます。
    「わたしが自分の一生涯を使って取り組んでいきたいことは『音楽の教育から暴力を無くしていく』ということです。
    ある著名なホルン奏者は、アルコール中毒の父親に育てられました。子供の頃から寒い日でも街頭に立たされて、道ばたでのホルン演奏を命じられました。通行人から小銭を恵んでもらうためです。集まったお金は、父親に渡されました。もし稼ぎが悪いと、彼は父親に殴られました。そしてもう一度外に行かされ、演奏させられました。もし音を外したりすると、やはり父親に殴られました。このホルン奏者はのちに、世界最高峰まで登り詰めました。しかし常に人間関係に問題を抱え、最後は同僚に対する傷害騒ぎを起こして、オーケストラから退団するはめになってしまいました。
    たしかに、暴力や暴言によって厳しい圧力にさらされながら演奏を学ぶと、ごく一部のひとは非常に強靭になり、ミスをしない凄いプレイヤーになるようです。しかしそういうひとの多くが、大人になってから友人関係、結婚関係などがうまくいかず、アルコールや薬物に溺れたりします。また、自分の生徒に対しても同じような接し方をします。どれだけ素晴らしい芸術家になったとしても、健康や幸福を犠牲にして彼らが得ているものは、いったいどれほどの価値があるのでしょうか?わたしたちに素晴らしい音楽を聴かせてくれますが、それを演奏している奏者自身の内面や健康の犠牲のうえに成り立っているものを、わたしたちはよく考えもせず享受してしまってよいものでしょうか?
    そして忘れてはならないのは、暴力と暴言による圧力で成り立つ教育には、ほんの一握りの「生存者」と、大多数の「敗者」が生み出されてしまうのです。
    年齢やプロアマ関係なく、暴力と暴言で傷付き疲れ果てた音楽家たちは、もはや音楽を奏でたいという気持ちを潰されてしまい、音楽をしなくなってしまうのです。それは、この社会に対して、音楽文化の歴史に対して、大きな損失ではないでしょうか?
    20世紀までは、暴力と暴言の圧力を「ふるい」にして、そこで残った強靭さを持ったひとだけを集中的に育てればよかったのかもしれません。しかしそれは、「人」という社会最大のリソースを食いつぶすようなやり方です。人は、強さだけが長所ではありません。
    芸術を生み出す独創性、創造性、感受性。それを備えたひとたちの多くはむしろ、繊細で傷付きやすいひとたちです。
    音楽教育に、暴力や暴言はふさわしくありません。しかしわたしたちの多くは、残念ながらそういった教育を受けて育ってきていません。それの最大の悲劇は、わたしたち自身がその教育の犠牲者なのに、そういった教育しか分からないから、人を育てる側に回ったときに、同じようなやり方をどうしてもやってしまいがちなのです。」

    丸谷氏の暴言を肯定的に捉える発言も見受けられますが、暴言は暴言です。人の心を傷つけるものだと認識して欲しいです。

  54. 通りすがり より:

    元淀工吹奏楽部の人間です。

    鴉さんの記事を読んで、昔の思い出が鮮明にと蘇ってきました。
    同時に、元OBらしき方のコメントを読み、その無神経さに唖然としてしまいました。

    確かに3年間近くあの吹奏楽部にいて、楽しかったことはゼロではありません。
    「吹奏楽部にいてよかった!」という人間も中にはいるでしょう。

    でも、それと同じく、3年間辛い日々を送ってきた人間もたくさん見てきました。
    私だって、その一人です。
    今でも、あの時のことを悪夢として見てしまいます。

    部活動の勧誘で部員から「吹奏楽面白いで!」などとウソぶかれて半ば無理やり入部させられ、ほぼ3年間ムダにしてしまったことを、今でも後悔しています。

    先に辞めた人間が先生や他の生徒から「ネタ」にされたり、親からも「あんなすごい吹奏楽部を辞めるなんてアホか!」と叱られ、なかなか辞めるに辞められませんでした。
    (実際私自身3年目でようやく退部した時、他の部員から蔑みの言葉やちょっかいをかけられたりしました)

    あそこは「音楽を楽しむクラブ」ではなく、「コンクールで金賞を必ず獲るために給与ゼロで奉仕する場所」です。

    今でも、「吹奏楽」「マーチング」という言葉を聞くと、鳥肌が立ってきます。

    「丸谷先生の言動に感動した人間もいる!」などとおっしゃいますが、そういった方はその一方で、丸谷先生の言動に傷つけられた人、ひどいトラウマを抱えてしまった人がいないと、本気で思っているのでしょうか。

    酷い時には竹刀を持ち、指揮棒を投げ、「お前気持ち悪い!」と夜まで暴言を吐き続けたあの先生の言動に、精神的な傷を負った方はいないというのでしょうか。

    それとも、そんな人間は「落ちこぼれ」だから関係ないと・・・?

    ご立派ですね。

    是非、自身のお子様にも丸谷先生の指導方法をそっくりそのまま実践してあげてください。

    1. 指導者失格 より:

      せっかく、音楽という素晴らしいものに出会ったのに、台無しにされてしまったのですね。教師たるもの、生徒に音楽を愛好する心を教えなければならないのに、結局、自分のことしか考えていないのだと思います。暴力や暴言に耐えられた者だけが生き残るといった、選民思想は絶対に許してはいけません。改めて怒りがこみ上げてきました。

  55. 指導者失格 より:

    丸谷氏のような、音楽経験がほとんど無い人が指導者になり、しかも第一人者になるということは欧米ではまずあり得ません。それだけ日本は、音楽後進国だという証拠ですが、日本に音楽を正しく評価する文化が芽生えない限り、同じような「悲劇」は続くのでしょう。将来、これが「あれはひどかったよね。今じゃ考えられないことだよね。」と笑い話で済まされるようになることを、切に願う次第です。

  56. 指導者失格 より:

    私はわけあって、今は吹奏楽の指導からは離れていますが、教えていた時は、生徒を怒ったことは一度もありません。普通の言葉で言えばきちんと伝わるからです。そういう意味では、良い生徒に巡り合って、幸せだと思っています。暴力や暴言でなければ、教えられないということは、猛獣使いと一緒です。淀工の生徒さんは猛獣のように気を抜くと牙をむくのでしょうか?時間と気力が必要ですが、粘り強く怒らず、「言葉」で言えば必ず伝わります。そのプロセスを省略し、恐怖による支配という安易な方法に頼っているいわば手抜き工事になっていると思います。手抜き工事は短期間で完成しますが、後で大変なことになるということは、ご承知の通りです。

  57. tt より:

    体罰が許容されてた。20世紀の遺物ですかね。子供は山ほどいたし、目も行き届かなかった。挫折した子供を手厚く保護してサポートしてくれる家族や友人も多くいた。厳しく指導しても、自宅や地域社会でゆっくり癒され、また頑張れたんだとおもう。それを暴言や愛のムチのお陰という妄言を吐く人びとは理解できない。一面しか見てないですよね。

    いまは、子供が少なく共働きの21世紀です。数少ない子供を手厚く育てるために体罰や暴言を除去していくのは自然な流れだと思う。

    表に出てこない、数多くの挫折者。挫折が、心に傷を刻み込まれた高校生はその後の人生を無事に立て直せたのだろうか。

    そういうことだと思うのに、私は耐えられた素晴らしい指導だった。という自己観測の矮小な視野で安直に批判するOBの多いことが残念でならない。

    その矮小さこそ「教育の失敗例」だと言えるのに

    1. 鴉(管理人) より:

      自分の経験を誇りにして、偉そうに教育や人間性を語る人に限って、虚栄心や支配欲の塊で、人間的に未熟な人が多く、そういう人を見ていると確かに失敗例だと私のような者には感じられるのですが、未だ丸谷氏のごとき人物やその指導がまかり通っているということは、失敗例だとみなしている人よりも、彼らを成功者だとみなしている人のほうが多いということなのでしょうか。

  58. 指導者失格 より:

    2016年8月1日(月)放送に放送されたNHKクローズアップ現代です。
    「死ね!バカ!」これが指導? ~広がる“ブラック部活”~
    http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3847/1.html
    ここでも「専門的な指導ができない時に、つい暴力や暴言に頼ってしまう。」という指摘がありました。やはり「素人指導者」の排除が、日本の部活を正常にする第一歩であると感じました。

    1. 鴉(管理人) より:

      指導者失格さんのコメントは、ご自身の経験してこられた人生の重みや並々ならぬ情念を感じますので(こんなところでここまで持論を展開されるということは、よほどまともに聞いてくれる人が周りに恵まれなかったのでしょうか)なかなか正面からお返事できなくて恐縮ですが、取り急ぎ感じたことを書いてみます。

      近くの中学校、高校を通る度に、雄叫びのような、本人も何を言っているのかわからないような大声が延々と聞こえてくるのですが(いわゆる声出しというやつでしょうか)、果たして指導として意味のあるものなのか常々疑問に感じています。意味があるとすれば、活動上、どういう意味があるのかを問うた上で生徒らに納得できるように説明すべきですが、そんなことは指導者の頭にはないのでしょう。
      理性や合理性への軽蔑のようなものを感じるのですが何故でしょうか。

      1. 指導者失格 より:

        日本はとかく根性論ですべてを解決しようという風潮があります。人間を組織の部品として有効に機能させるためには、暴力的な指導で思考力をそぎ落とすことが必要なのです。部活動はその縮図なのです。これは教育とは言えません。常々、部活動のあり方について疑問を持ちながら、主張する場も力もなく悶々としていました。そして、このサイトを見つけ、今までたまっていたうっぷんをはらしているだけで、情念というほどのものではないと思います。私は指導者としての資質がなかったので、今は、信頼できる方に指導をお願いしています。その方は、生徒を怒ることは一切なく、生徒を信頼して指導していただいています。今年のコンクールでも良い結果を出すことが出来ました。
        少しずつではありますが、部活の問題点が認識されつつあるように思います。道は遠いと思いますが、日本の部活が正常なものになることを切に願っています。

  59. 脱水槽厨 より:

    丸谷先生といえば吹奏楽界では有名な教諭ですが、暴言などを用いて指導する先生だとは思いませんでした。
    私は音楽科のある高校でしたので吹奏楽部もクラシック界に近い教育で、レッスンで暴言などを浴びせられたことは一度もありません。
    また吹奏楽界の現状を客観的に見られていたと思います。

    外の世界を知らない中高生が逃げ場のない奴隷のように教育され、しかも将来に繋がらない(部活での吹奏楽などクラシックでの教育を受ける受験生から見たらおままごとに近い)ことに膨大な時間を費やすことを強いられるのは非常に悲しいことだと思います。

  60. しもちぇる より:

    嫌なら辞めればいい
    生徒達は本気で音楽が好きだからたとえ暴言を吐かれても続けるんだと思います
    そこまで紳士に音楽に向き合う生徒達を否定するのはやめてください
    確かに丸谷先生の指導はなんだかなと思うこともありますが生徒達は自ら望んでこの道に進んだのですから外野の人間がとやかく言うことではないと思います
    もう一度言います
    本当に嫌なら苦痛に感じてるなら辞めることだって可能なのです
    でも続けるのは音楽が心から好きだからだと思います

    1. 鴉(管理人) より:

      現場の生徒さんかもしれませんが、だからその言い方はカルト宗教やブラック企業と同じ構図なんですって。
      まして教育の場で行うべきことではってこれ書くの何度目かの気がしますが。これ以上同じこと書きませんからね。

  61. 指導者失格 より:

    やはり日本は学校教育がダメなんだなあとつくづく感じます。通常の授業も知識は詰め込むが考えない人間を作る教育をしています。戦後の日本弱体化計画によって教育がむちゃくちゃにされてしまったので、現在の状況になっているわけですが、巧妙な手段で見事に成功していると言えます。

    1. 鴉(管理人) より:

      いつもコメントありがとうございます。

      詰め込み教育批判として鳴り物入りで導入されたゆとり教育も結局学力向上には目立った成果がなかったというのがコンセンサスになりつつありますし、そもそもたとえ詰め込みであっても主体的に勉強することに多くの子どもたちは価値を見出さなく(「学びからの逃走」なんて言葉もありますね)なってきているので、そちらのほうをなんとかできないかと個人的には考えています。

      日本弱体化計画が一体何を指すのかはわかりませんが(陰謀論的なものでしょうか)、戦前の学校教育が今より優れていたのかと言われると疑問ですし、部活動などの指導は今以上に酷かったんじゃないでしょうか。それこそ「軍隊式」なんて言葉もあるくらいですから体罰、鉄拳制裁は今の比ではなかったことでしょう。

  62. 金柑亭 より:

    プロフェッショナルな音楽の現場では、強権を持った指揮者が楽団を支配するという構図は、過去のものとなりました。
    少なくとも、欧米のクラシックの世界では。
    (マネジメント関係にはまだ残っていると思いますが、こちらは商売ですから、別の話です)

    罵声を浴びせたり自身の考え示さないやり方は、現代社会では通用しません。
    通用しないやり方を教えても、前途ある若者を導くことには直結しません。

    中には反面教師として自身の肥やしにできる生徒もいるでしょうが、発言の自由ある雰囲気がなければ抑圧されるだけでしょう。

  63. 遊正 より:

    定期的に話題になっているということは、問題がほとんど解決されていないからなのでしょうね。

    私が受けたパワハラの経験から考えるに、ハラスメントを働く人間というのは必ず「お前の為を思って言っているんだ」というようなことを言います。これが相手をさらに追い詰め、また反抗の気を殺ぐわけですが。

    ストーカーは必ず「お前を愛しているからこそ」と言って違法行為に及びますし、DV加害者は泣きながら「もう絶対しない」と言って翌日も暴力を振るう。
    指導者たちがどういう思いであるかというのは、彼らの行いを全く正当化しないし、罪を軽減しません。
    生徒たちの為を思ってあんな指導をしているのだとすれば、そのほうがよほど病的で恐ろしいことです。

  64. 遊正 より:

    もうひとつ、嫌ならやめればとか、好きでやっているからという考え方は端的に誤りでしょう。

    部員はあくまで中高の生徒であり、それに加えて、指導者と生徒という権力勾配があるからです。
    対等が前提でない関係の中では、嫌ならやめればというのは成り立ちませんし、まして大人の判断力を有していない子供です。
    18歳未満への淫行が違法とされているのは、まさにそういう理由ですから。

  65. 鴉(管理人) より:

    短時間に3つもコメントを頂いたので気になって調べてみたら、追記でも言及した名古屋大の内田氏がTwitterで取り上げていたのですね。(内田氏には確か昨年このページのURLをTwitterでお伝えした記憶があり、なんで今になってなのかはよくわかりませんが、それほど吹奏楽部に対する不満の声が高まってきているんでしょうか)

    内田氏のような方の活躍で、部活動中の生徒の負傷や、半ば強制的に従事させられる教員の過重労働は徐々に問題視されてきているように感じていますが、ここで取り上げたような吹奏楽部は、運動部と異なり生徒が物理的な傷を負うリスクはそれほど高くないでしょうし、問題が明るみに出にくいのでしょうから、今の運動部程度にさえ取り上げられるにはまだまだ時間がかかりそうです。

    過重労働にあえぐ教員がたくさんいる一方で、内田氏も「宗教」と形容しているような有様ですが、それは問題視されるような運動部でも往々にして見られることですし(桜宮高校バスケ部しかり)、あとはどうしてでしょうね。
    少なくとも淀工の吹奏楽部は、顧問と生徒だけでなく、「名誉教諭」、「文化賞」を授けて教祖に祭り上げる学校や自治体も絡んでいて根深さを感じさせられます。

    とはいえ、何か政治的力で圧力をかけて変えればいいというわけではなく、個人的には、おそらく相当数いると思われる、輝かしい「実績」の陰で、こういう団体で傷ついた子たちの存在に気づいて、耳を傾けることも必要なのではないかと思っています。
    遊正さんも仰るように、なおさら告発しようと思ってもできないわけですし。

    まだまだ根強い美談や神話を解体できれば、世論も変わっていくかとは思いますが、それには取り上げるメディアのあり方とか色々課題はあるのでしょう。

    NHKもここで批判した馬鹿な番組を垂れ流したと思えば、内田氏らが声を上げれば今度はブラック部活特集を昨年放送したようで、両極端ながらも随分権威に弱いと感じましたが、メディアや世論というのはそういうものなんでしょうか。いいんでしょうかね、これで。

  66. 鴉(管理人) より:

    15年ほど経った今でもこうしたきっかけで時たま思い出しますけど、私が中学生の時に、授業中に他の生徒から妨害を受け続ける、登校時に机に落書きをされるなどで調子を崩して(それに対する教員の対応はなし)、部活動ではなく、学校全体の合唱大会みたいなものを欠席したことがあり、後日、私をいじめていた集団から暴力を受けたので教員に泣きながら告発したら、相談室で加害者と同室の上事情聴取をされ(それだけでもまずいやり方ですが)、加害者側は私が合唱大会を欠席した(それ以前からいじめはあったので当然嘘)からということになり、教員側はそれを真に受けて、なぜか私まで悪いということにされました。

    今考えれば無茶苦茶な道理ですが、弁も立たない私は言い返すことができず悔しい思いをしました。
    我ながらよく通い続けていたと思います。おかげで高校はすぐに不登校になる羽目になりましたが。

    傷ついた子に耳を傾けるべきだとは書きましたが、こういうのは最悪ですね。でも、コメント欄を見る限りではこういう考え方はまだまだまかり通っていそうで、そこは教員が否定してほしいところです、が。

    1. 遊正 より:

      合唱大会の話、酷いですね。
      パワハラ案件などでは、雇用者の側に安全配慮義務があり、その事情聴取の方法もアウトですが、学校の中となるとそういう意識が途端に低くなっているのではないでしょうか。(生徒だけではなく、先生に対しても)

      鴉さんが仰るように、メディアは本来、そういった問題点に光を当てる使命を負っているはずで、宗教じみた違法な指導法や指導者を礼讃している場合ではないはずですけどね。

  67. 指導者失格 より:

    日本弱体化計画については検索すれば色々出てくるとは思いますが、ここの趣旨とは少し外れるので、詳しくは述べませんが、私は陰謀論や都市伝説ではなく実際に実行された(現在もされている)ものだと思っています。物を考えない人間を作ろう(育てようではなく)とする教育はまさに日本の部活の指導法です。戦前の教育を礼賛するつもりはありませんが、戦前は教師はエリートでしたから、少なくとも教員の質は戦前のほうが上だったと思っています。丸谷氏のような「素人」が君臨する土壌は戦後に出来てしまったのです。

  68. 元生徒 より:

    Twitterの引用からこちらのサイトを知りました。
    本文、コメントなど、大変興味深いものでした。
    私は吹奏楽部出身で、部活動をしていたのも昔話になるような年齢の者です。

    一番初めに持った感想は、このような様々な価値観が見られる現在の環境に驚きました。自身が生徒の頃は、このような情報社会環境が整っていなかったので、自身が部活動をしていたときはこのようなことを思っていた人たちもいたのかな、と考えていました。現在、生徒、学生である人は様々な意見が聞けて羨ましい、と思う反面、非常に複雑な世界になって大変だな、とも思っています。

    コメントの中で、既に様々な立場の意見が見られるのですが、その割には登場する特定の人物が非常に少ないことが気になります。コメントの多くが、部活動において主に指導を受ける立場としての自分、指導する先生の2者のみで話が進んでいることです。話の展開上、友達の存在(「みんな」ということが多いですね)や他の大人が登場する場合もありますが、その像は話の中では比較的に不鮮明です。

    高校生の年代はアイデンティティを確立していく過程の思春期として分類され、その過程では身近な友達、先輩、自分と立場の違う先生や父母等をはじめとする大人等様々な人との関わりが非常に重要であるはずです。コメント記入者の年代を全て把握することはできませんが、記入内容からある程度の経験をされている人が多いにも関わらず、自分と先生、あるいはそれ以外の誰か、という分類で学校時代の話が進められることについて、道徳あるいは倫理教育から見て危惧すべきことではないかと思います。

    ここまで長々と書きましたが、吹奏楽部OBとしては、せっかく大人数が必要とされる部活動に入ったのだから、他人は自分と違う考え方を持っており、多くの人とともに1つのことをすることの大変さを感じてくれたらいいなと思っています。やってみたけど、難しくて無理ならやめればいいですし(それも経験の1つですし)、大人はそのときに他の道を紹介できるような存在であれたらいいのに、と考えています。

    長文になり、大変失礼しました。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

  69. 大学生 より:

    教職課程をとっている大学生です。
    ツイッターのリンクでこちらの記事を知りました。
    私は高校時代、吹奏楽ではなく別の部活動に所属していましたが、淀川工科高校の例と同じような状況にありました。先生や先輩からお前は本当にダメだなど、技術の上手い下手ではなく人格を貶める暴言を吐かれ、精神的に追い詰められた後に、お前は素晴らしい、この部活にはお前がいないとダメだなどと褒め言葉のシャワーを浴びせられて、感情が激しく揺れ動き、部活動と「共依存」していました。完全に洗脳だったと思います。私は心の底ではおかしい気がする、辛い辞めたいと思っていましたが、心酔している部員たちとの絆()が壊れるのを恐れて辞めませんでした。必死で自分にこれは正しいんだ、部活は楽しいんだと言い聞かせていました。卒業時には、部員の前で部活は素晴らしかった皆ありがとうと泣いて見せたりしました。
    卒業し、カルト宗教やモラハラについての本を読んで、これは部活動の思い出と一緒じゃないか!と衝撃を受けました。
    管理人さんが指摘しているように、私も辞めればいいという意見は的外れだと思います。あの非日常的な異空間での同調圧力は、恐ろしいものです。辞めた者を裏切り者扱いなど平気でします。先生もします。それが本当の教育でしょうか。また辞めたとしても、暴言や暴力で受けた心の傷はなくなりません。その上裏切り者、落伍者のレッテルを貼られる。その傷を負って上を向かなくなった人を弱いやつだと言い切るコメントの数々に驚きを隠せません…。

    先日教職の授業で、「部活中体罰を受けたことがあるか」「体罰は許せるか」という質問を学生全員で答え、議論をするというものがありました。そこで、私は本当にびっくりしました。
    「部活中体罰を受けたことがある」と答えた学生が半数にのぼったのです。その上、その学生たちは皆「指導上有効ならば体罰を行なってもいい」との立場を取ったのです。指導上有益ならば???と頭は?でいっぱいでした。皆口を揃えて、「殴られたり、バカとか死ねとか言われたけど、それは私たちを思ってのことだったから」と言っていてめまいがしました。彼らはその思い出を胸に、大学まですくすく育ってきたようですが、その後ろに、その暴力暴言に傷つき、その後の人生に暗い影を落とした人たちが何人いるのだろう、と途方にくれる思いでした。そして、こういう考えをもつたくさんの人が教職課程をとっていることに震えました。

    長文失礼しました。管理人さんの記事やコメントを読んで、こういう風に考えてる人もいるんだ!ととても安心しました。

    1. 鴉(管理人) より:

      なぜか投稿が自動的にスパムに分類されて気づくのに遅れました。申し訳ないです。

      将来教師になるであろう教職課程の学生がそんなことを口にするとは恐ろしいです。私も頭が痛くなってきました。しかも体罰禁止が明確になっている現在でさえも半数が体罰の経験があると答えた点も興味深いです。まだまだ表面化しないところで部活動内での暴力が横行している証左でしょう。
      まさに負の連鎖ですね。
      大学の間に考えを改めて欲しいものですが、まあどうでしょうか。自分の過去を批判するのは苦しいものですから難しいでしょう。
      コメントを下さった大学生さんのような方も少なくはないと信じたいものですが。

  70. なん より:

    大学生さんのコメントに、まともな感覚の教師志望の方もいらっしゃるんだな…と安心しました。是非、頑張って良い教師になってください!

    いつも不思議なのは、勝つためには(賞をとるためには)暴言や暴力ありの指導も必要と思われている方って、誰かに強制されないと努力ができないのでしょうか?
    出来なかったことが出来るようになるのは、本人の技術力がアップした時。技術力をアップさせるのは適切な練習と適度な休養、本人の努力。むしろ要らない苦痛を与えられることで色々無駄にしているように思えます。普通に指導すれば普通に伸びるかもしれない人材を潰しているのだとしたら、潜在的な損失はもっと大きい。どんなにご立派な経歴の先生でも、ドロップアウトする生徒を出したら、その指導にはどこか問題があるのだと認めるところから始めてほしいです。

  71. 楽器演奏者 より:

    「大阪府立淀川工科高等学校の吹奏楽部顧問にして、大阪音楽大学特任教授、全日本吹奏楽連盟副理事長など、肩書きだけで名刺が真っ黒になりかねない程の吹奏楽界の重鎮なんです・・・。」

    つまり、その業界の重鎮だから、その人を辞めさせたら賞が獲れなくなるんで、70歳過ぎても雇ってるんじゃないの?
    スポーツのような客観性のある競技じゃないから、審査にはいろんな要素が加わるでしょうしね。

    大体、この部活にかける時間をちゃんとした指導者の元で楽器練習したら、音大くらい楽勝なレベルになるもんだけど、吹奏楽部でそんなことにはならないでしょ。

    本当に楽器を上達したい、音楽をきちんと学びたいなら吹奏楽部ってむしろ有害ですよ。

    1. 鴉(管理人) より:

      もちろんそのような思惑があるから(ネームバリューも利用できるでしょうし)関係者は丸谷氏に依存しきってるでしょうのですが、果たしてそれでええのかという話です。

      しかも現在は丸谷氏は吹奏楽連盟の理事長だそうで、彼が審査に関わっているとしたら尚更公平性を疑問視されても仕方ないでしょう。

      いろいろなコメントを受けての私の実感ですが、吹奏楽部の人たちって、指導者も含めて、どうも必ずしもクラシックや、音楽理論、演奏そのものの上達に関心があるわけではなさそうですし、同じ楽器を扱う人でも音大を目指すような人たちとは全然住んでいる世界が違うんじゃないでしょうか。
      もっとも、丸谷氏は大阪音大の特任教授ですから、必ずしもそうはいえないのかもしれませんが。

  72. アキアカネ より:

    >いつも不思議なのは、勝つためには(賞をとるためには)暴言や暴力ありの指導も必要と思われている方って、誰かに強制されないと努力ができないのでしょうか?

    誰かに強制されないと努力ができない人ってたくさんいますよ。もちろん、本当に好きなことならできるのかもしれませんが、10番目くらいに好きなことになってくると難しいかもしれませんね。
    私も、オンラインゲームだったらかなり自発的に努力しますが、勉強(行きたい学校に入るために必要)はかなり強制されないとできません。

    1. 鴉(管理人) より:

      いやーそこで開き直っちゃダメですよ。
      どういう学校かは知りませんが、強制されないと勉強しないんだったら、わざわざ進学しても身にならないと思いますけどね。
      臆面もなくそういうこと言っちゃうのかとちょっとショックを受けました。

      まして、本来、生徒の主体的な取り組みのはずの部活動ならなおのことのはずですけどですね。
      部活動が10番目に好きなことなんてありえないでしょう?
      強制されてしかできないのならやめちゃえば?と思います。かなり前に奴隷根性という表現を使いましたけど、そういうことです。
      もっとも、問題になっているような部活動にはやめたくてもやめられないような構図があるのだとは思いますが。

      ちなみに丸谷氏も、一方では子どもたちの主体性や自主性を大切にしていると言っているようですが、随分言行一致していないなという印象です。
      https://www.facebook.com/yodokoishizue2016/posts/1714669722089652:0

      1. なん より:

        あ、言いたいことをすべて管理人さまが仰ってた(笑)
        そもそもこの吹奏楽部の部員さんたちって、厳しいとわかってて入部してるわけだから、別に強制されなくても努力できる人たちだと思うんですよ。技術向上は適切な指導と練習によって得られるものであって、罵詈雑言ではない。良い結果を出したことを「先生の指導のおかげです」というのはいいですが、その中に罵詈雑言も含ませてしまってるところがおかしい。「自分は罵詈雑言がないと努力できなかった」と言ってるに等しいですから、自己評価が低すぎるにも程があります。管理人さまが繰り返し言ってらっしゃる違和感はその辺にあるかと思います。

  73. 無能管理者 より:

    突然のコメント、失礼致します。自分も教員の肩書きを持って生徒の前に立つ一人です。
    一連のコメントを拝読いたしました。

    私自身も、管理者殿はが感じておられる違和感が常日頃よぎります。

    今の教育現場では、「管理(統率)」と「指導」が同義で使われています。普通に考えれば、この2つは決定的に意を異にします。
    しかし、中学校や高校の部活では当然のように同義になる現場が数多くあります。
    「どんな信念を持っていようが、生徒に怒りをぶつけない教員=指導力不足」
    「とにかく怒って生徒から怖がられる教員=優秀指導者」

    ここのことを管理者殿も感じられたのかと邪推いたします。今まで、思っていても感じていても口にしなかったことではないでしょうか、有難いことです。

    少々、私事をお許しください。
    私は、とある中学校で昨年まで運動部の顧問をしておりました。自分の経験してきた種目ではなかったため、技術指導はできませんでした。幸い、新入生が素人ばかりだったので、私はこの生徒たちには負けまいと一緒に練習ができました。部員は礼儀正しく素直な、しかし、不器用な子達です。いわゆる学力も残念ながら高くはありません。それでも不登校や登校しぶりが出ず、全員が楽しく学校と部活に来てくれたことは、生徒へは感謝し、校長へは良い場に関わらせてもらったと思っております。結果、幸運なことに県4まで行くことができました。
    ただ、今年は顧問ではなくなりました。私が顧問になる部は風紀と規律がなっていないのだそうです。部活中に楽しい笑い声が聞こえるのはおかしいのだそうです。部活中の笑顔や笑い声は、地区大会を優勝し、県へ進む集団にはそぐわないそうです。

    諸先輩方に比べると、経験の浅さは否めません。
    私はどうしても生徒にスパルタ的な管理と感情を顕にして怒ることができないため(叱る場面はいくつもありますが)、無能指導者なのだそうです。「愛のある厳しさこそ指導」と言い張る先輩方に楯突く気は毛頭ありませんが、指導と管理の区別が、少しずつ現場に浸透することを願ってやみません。
    長文失礼いたしました。
    (管理者殿、不快、または不適であれば削除をしてください)

    1. 鴉(管理人) より:

      コメントありがとうございます。

      厳しさを感情的になることと履き違えている輩がまだまだ多いのでしょうか。
      学校以前に単なる職場として見ても信じられないような発言で呆然としました。これでは生徒だけでなく若い教師も潰されてしまいかねないでしょう。
      嫌々顧問にされる教員もいる中で、やる気のある先生が外されるとはおかしな話です。

    2. 指導者失格 より:

      無能管理者様が経験されたことはまさに日本の教育がカスであることが証明される事例の一つだと思います。このようなことは枚挙にいとまないほど、マスコミでも報道されてます。以前、私が投稿した「日本弱体化計画」により、日本の教育を破壊された結果だと私は信じていますが、これについては「信じるか信じないかはあなた次第です」の都市伝説レベルなので、ここでは多くは語らないことにします。それにしても丸谷氏は大学で一体何を教えているのでしょうか?まさか、大学生にも罵詈雑言を浴びせてはいないと思いますが、音楽がほとんど未経験の人間が課外活動とは言え、バンドの指導者となり、音楽大学の教授になることは欧米ではまず考えられません。音楽未開発国日本以外にはありえないことです。ちなみに未開発国としたのは発展する見込みは非常に乏しいと思うからです。ともあれ、教育の荒廃、衰退はゆゆしき問題ですが、日本人の多くがその重大さに気づかずにいます。かといって無力な私の力ではどうすることもできず、無能管理者様のような心ある若い先生が増えることを望んで止みません。

  74. ren1234 より:

    私の高校は、最初音大卒の女性の先生が教えてくれてました。
    女性と言うことも一因かも知れませんが、指導は丁寧で暴言なんて聞いた事も有りません。
    ところが、その先生がオーストリアに音楽留学する事になり環境が一変しました。
    次の指導者は、滅多に指導に現れずたまに来て参考にならない様な言いたいこだけ言って
    帰るような指導者でした。音大卒では無いですが、吹奏楽経験者と聞いてたので
    とても期待ハズレだったのを覚えています。
    結局、こちらが愛想尽かした事と、個人的に楽器を持って部活出なくても続けれた事、後輩も
    育って来た事から良い機会だと思い受験を理由に部活に顔を出さなくなりました。
    私の場合、個人持ちで部活でなくともいつでも吹けたからだと思いますが、大型楽器や高価なダブルリード楽器など
    個人持ちが厳しいが、その楽器が好きで吹きたくて部活行かざるを得ない人などの事を考えると、
    一日でも早く専門家による、適切な指導をどこの学校でも受ける事ができる様になってほしいと
    切に願いたいです。

    結局、技術的な指導が出来ないのと、自分がされたのと同じように振舞っていたのだと思います。
    少しでもこの様な指導が改められる様に切に願います。

  75. 指導者失格 より:

    音大卒でも音楽に無知な教員は沢山います。日本の音大は生半可な怪しい知識や技術を中途半端に教えるだけなので、教育の現場に立っても音大に学んだ事はほとんど役に立ちません。要するに日本の教育全体を大鉈を振るって大改革しない限り、小学校から大学までどうにもならない状態になっているということです。文科省は大学入試改革とやらで、また怪しげな改革(改悪)をしようとしていますが、ゆとり教育と同じ結果になるのは目に見えています。残念ながら「日本弱体化計画」が見事に成功してしまっていると言わざるを得ません。

  76. 鴉(管理人) より:

    ren1234さんはご自分が教わった音大卒の先生に感謝されていて、その音大卒の先生自身も現場に立って大学で学んだことが役に立っていないとは決して考えていないかと思いますが、指導者失格さんが、日本の音大(といってもたくさんあるわけですが)を貶されるのはどういう根拠があってのことでしょうか。
    また、教育全体を大鉈を振るうというのは、まさに政府や官僚主体のトップダウン的な表現で、現場で苦しんでおられた方の発言だとは思えません。冷静かつ正確に現状、課題を把握しようとしない人たちがいるから、夢みたいな「教育改革」が出てくるのではないでしょうか。

    最後に、以前にも申し上げた通り、貴兄の仰る「日本弱体化計画」云々は、共感される方がほとんどいないかと思いますので、これ以上語られないほうがご自分の信用のためだと忠告させて頂きます。

    僭越ですが、今は日本の教育など大きなことを考えずに、ご自分の健康と心の平安を第一になさっては如何でしょうか。

    1. 指導者失格 より:

      管理人様の仰る通りです。最近、精神的におかしいのかもしれません。自分ではどうにもならない日本の現状を隔靴掻痒の気持ちで考えるうちにおかしな方向に行ってしまったのでしょう。今後はコメントは一切投稿しませんので、お許しください。私のくだらない意見にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

      1. 鴉(管理人) より:

        お返事ありがとうございます。何も今後一切投稿されないなどと仰る必要はないですよ。指導者失格さんの書かれた文章を読まれて参考になった方も少なくないと思います。
        私も色々なことに対してどうにもならなさをいつも抱いていますが、そこでニヒリスティックにただの現状肯定になるのではなく、もっともらしい簡単な解決法に頼るのではなく、難しいものです。

  77. 淀工OB より:

    おしゃられることよくわかります。まったくその通りです。

    ただ,ある程度賢い子供さんならば,このような指導方法で不幸になる,可能性を閉ざすということになるのかもしれませんが,大半の淀工生にとっては生きるための術が学べる機会を与えられていると思いますよ。

    簡単にいえば,淀工生,勉強できません。アホです。家庭の経済力もありません。親もはっきりいえば低学歴,低収入層がマジョリティのはず。高卒で働くことが前提となっています。となれば,兵隊的な動きを素早く,文句垂れずやるような子になるしかないんですよ。

    あの子たちにはああいった指導法でとにかく充実感を味わわせて,社会で生きていく術を身につける手段としてのあの吹奏楽部があってもいいと思います。

    ただ,私のような,淀工に通ってマズイと悟って勉強をガンガンやり,いわゆる学校歴も学歴も高い位置まで来た,今もいってみれば社会的地位も高いといってもだれも文句いわない人間からすれば,あたなのおっしゃることは非常によく理解できます。

    自分の子がアホならああいった教育を受けさせるのもありですが,ある程度できるなら完全に否定的な立場です。幸い,我が子はかなりできるほうですので,ああいった世界とは無縁に育てたいと思っています。

    本当におっしゃるとおり,称賛,絶賛ばかりなのは気持ち悪いです。ただ,もう一度いいますが,貧困層,低学歴層の方々が主なスゴイといっている層であり,高学歴・高収入の層は,あの子らはああせないきていかれへんねんなあ,まあ,うちらとは無縁やけどねというおもいでしょう。

    では。

    1. 鴉(管理人) より:

      コメントをお読みして、教育学者の苅谷剛彦氏らの述べている、学歴による「生まれ変わり」神話や、「階層問題」、また貧困の再生産などの言葉が頭に浮かびました。
      淀工が貴方が仰るような特定の階層の人の集まる学校であるとしても(手元に進学率などのデータがないので確かめようがないですし、「いつ」の話なのかにもよりますが)、「生まれ変わり」が成功した人が、個人的に抜け出した階層を見下すだけならともかく、単に現状を肯定していては世の中何も良くならないと思いますが、変える必要もないということでしょうか。

      本当に「ただ,ある程度賢い子供さんならば,このような指導方法で不幸になる,可能性を閉ざすということになるのかもしれませんが,大半の淀工生にとっては生きるための術が学べる機会を与えられている」なら、教育なんていらないですね。お金がかからないなら戸塚ヨットスクールみたいなところにでもぶち込むのも可、ですか?

      ただ、苅谷氏の著作と同じくこちらももう随分前の話ですが、ゆとり教育の論争で知識人階級でも似たような立場の人(三浦朱門や石原慎太郎等)も少なからずいたようですから、この手の問題の根強さを感じさせられました。

  78. 今のところは淀川工科高校部活動振興会会員 より:

    淀川工科高校の吹奏楽部。部員も多く遠征も多い。当然費用がかかる。
    それを支えるために淀川工科高校部活動振興会という組織がある。
    きちんと運営されるならともかく、会員一覧から会員の15%ほど、
    100名くらいが抜け落ちたものを送付。事実を認識しても会員宛の謝罪はもちろん、
    事実報告もしない。こんな団体がどのようにして集めたお金を遣っているのか疑問視されてもやむを得ないと思う。私もこれまで長期にわたって最低額の何倍かの額を寄付をしてきたがもう愛想をつかした。支えてもらっているという意識がない!直接的には部活動振興会の担当者の杜撰な運営が招いたことではある。が、外部からみれば吹奏楽部、淀川工科高校本体、校長、府教育委員会にも不信感を持たざるを得ない。学校の名前をつかうというのはこういったことではないだろうか?

    1. 鴉(管理人) より:

      そういった組織が存在することは知りませんでした。
      まともな感覚の団体でしたら、最低年に一回、お金の使い道などが書かれた会計報告が公開されると思いますが、そういったものすらないんでしょうか。
      あくまで部活動振興会とのことですが、吹奏楽部がどれくらいの割合を占めているのかが関心があります。
      学校の名前を使うというのは、主に吹奏楽部の淀工というネームバリューを利用して何に使うのかわからない資金集めをしていると印象を抱きかねないということでしょうか。さすがに着服や改ざん、使途不明金があるとは考えたくはないですが。

  79. 今のところは淀川工科高校部活動振興会会員 より:

    そうです。そういった「印象」を抱かれても仕方ないでしょう。
    特に見返りのない寄付をしてくれる会員さん100名ほどがリストから落としていた。
    そのことを認識しつつも、情報公開をしない。謝罪もしない。淀川工科高校部活動振興会はこのような団体です。なお,いちおうの会計報告はありますよ。今年もありました。
    が、その際に同封される会員リストがいい加減だということです。100名も抜けていて気づかぬ管理方法。となれば、金の使途も信用できないと勘ぐられてもやむを得ないと思っています。会計報告にしても、一会員が詳細まで確認する術もありませんしね。信用で成り立っていることを、部活動振興会の関係者は軽視し過ぎでしょう。いずれにしてもこの団体の杜撰さについて、このページをご覧の方はお知りになることができたでしょう。

  80. 吹奏楽ファン より:

    はじめまして。吹奏楽を愛好しているものです。文章を読ませて頂きました。吹奏楽部に関する否定的な意見は少ないので、興味深く感じます。

    私も中高と吹奏楽部で活動して来ましたが、やはり淀川工科高校は独特ですね。そして丸谷先生は界隈では一番有名な先生でしょう。管理人さんがおしゃる宗教的な感じや強権的な手法と言うのは、全国大会常連校ではよくみられる事だと思います。なにせ信じる事とまとまりが大切なので。
    合奏はレッスンなので、ある程度厳しくしないと別の先生に見せられないのです。音楽のレッスンは独特で、芸事の習い事同様密室で叩き上げで行われるのが常であり、最近では改善されて来ていますが、教えずに自分で考えろと言われ続けるありました。これはプロとアマチュアの境界線が見えにくく、演奏はプロもアマも関係がない為です。
    つまりプロ用の指導も高校生用の指導もほぼ同一な訳です。丸谷先生は音楽のプロではなく、教育のプロなので中学高校とハードな教育の世界でやってこられた中での指導でしょう。確かに口は悪いですが、関西人なのであんなものかと思っていました。
    また私も工業高校の出身な為、実業系高校の生活指導の厳しさは理解できます、淀工も卒業後すぐに就職する人が多いはずなので、ハードな世界で鍛えられるのもありなのではないでしょうか。
    何せ初心者ばかりで学校の2割以上の生徒がそこに集まっているので、そこで悪評がたつとすぐに広まりますし、尚更指導は念入りにと言う具合になっていきます。部員全員が良い思いをして3年間を過ごすことは不可能でしょうが、マネージャーになる事もできますし、コンクールに出なくても過ごせます、そして嫌だったら辞めれば済む話ですね。

    コンクールは55人の制限があるので、生徒55人と先生1人という構図で長い期間活動するのですが、人対人なのでもちろん相性が悪い事もあるし、全員が完全に納得する指導もないのは明白です。淀工に関しては音楽大学に進学して、プロを目指す人はほとんどいないので、音楽が本当に好きな人は3年間夢を見させてもらった、という感覚でしょう。本当に好きなら我慢できますし、思考停止するまで考え抜いての結果が演奏に出ているように感じます。
    丸谷先生はおそらく40年以上淀工に居られるはずですが、別に教員でなくとも指導も指揮もできますので、学校側が必要だと判断しての名誉教諭なんだと思います。ちなみに他の全国区での高校も顧問の異動はほぼなくて、その場合もヘッドハンティングが多いです。

    コンクールですが、運営が全日本吹奏楽連盟という団体自体が顧問の先生が運営している団体で、つまりコンクールの主催と参加団体が同一な為、公平さや透明性というのが問題視されています。
    しかし、部活動自体がボランティアで、更に吹奏楽連盟の仕事もして、ハードな吹奏楽部で活動し、コンクールでは審査員の点数だけが評価される、という世界は並大抵のことではできません。

    生徒は好きでやっている人、また徐々に好きになっていく人が大半なので、問題が起こっていないのならば好きにやらせておけば良いと思います。
    指導者も怒りっぱなしの人や、仏のような人、面白い人やカリスマ的な人など千差万別ですが、本気でぶつかればその分本気で返してくれる人が音楽には多いです。そういった所が一般的な所との違いを感じる所以かもしてません。

  81. 吹奏楽ファン より:

    すみません、あなたは教育者なのでしょうか?

    1. 鴉(管理人) より:

      教職員という意味なら違います。
      迷惑投稿防止のため、コメントは承認制にしております。
      現在、パソコンを触れない環境におりますので、お返事が遅れるかもしれませんがご容赦ください。

      1. 吹奏楽ファン より:

        でしたか。失礼しました。意味不明な連投部分は削除しても構いません。

  82. 吹奏楽ファン より:

    http://news.livedoor.com/article/detail/13467275/

    さすがにこのインタビューは突っ込み所満載かと思ったのですが、いかが思いますでしょうか?

    1. 鴉(管理人) より:

      旅先からざっと見ましたが、劣等感の塊、昭和の亡霊という印象しかなかったです。

      まあ、周りが無策だからこういうことになるのだとは思いますが。

  83. 吹奏楽関係者 より:

    吹奏楽部関係者です。(子どもが中学の吹奏楽部)

    管理人さんの意見に賛同します。
    教祖か何かがいる一方的な集団に近いものがあると、夫婦で話をしていたのですが、
    全く同じような感触を得る方がいることに安心しました。

    他の部員が祖父が危篤でそばに居てあげたいといっても、
    「おじいちゃんが危篤で練習を休むとかないよね?」とか平気で言い放つ、部員。
    このことからも間違った常識が植え付けられた洗脳集団であることが伺い知れました。

    管理人さん、どうかこれからも火を消さないようにお願い致します。

  84. 吹奏楽関係者 より:

    吹奏楽部関係者です。(子どもが中学の吹奏楽部)

    管理人さんの意見に賛同します。
    教祖か何かがいる一方的な集団に近いものがあると、夫婦で話をしていたのですが、
    全く同じような感触を得る方がいることに安心しました。

    他の部員が祖父が危篤でそばに居てあげたいといっても、
    「おじいちゃんが危篤で練習を休むとかないよね?」とか平気で言い放つ、部員。
    このことからも間違った常識が植え付けられた洗脳集団であることが伺い知れました。

    管理人さん、どうかおかしいことはおかしいと、火を消さないようにお願い致します。

  85. ヘリペア より:

    小学生の子供の進学先を考えているいち保護者です。

    子供は中学から吹奏楽部に入りたい!と言っていて近隣の中高の情報を色々と見ています。淀工も、選択肢には入っています。

    そこで1人の親として感じるのは、こういう強豪校の誕生やスパルタ教育というのはそこに通う生徒とその親の要請から生みでてしまっているのではないか?ということです。

    楽器を触りたい、演奏したい、という気持ちの先に学校を選ぶときに「コンクール強豪校」というのは一定の魔力があるのです。そしてその魔力は保護者も生徒も学校も求めてしまっていて、今の状況があるのだと。

    淀工吹奏楽部に入るような生徒や保護者は「厳しくスパルタで、コンクールに強い吹奏楽部」を求めてるのではないでしょうか?

    音楽家の方からもコンクールの審査は詰まらない(が仕事なので公平に仕事はする)とか、あれは音楽ではない、とかの声も聞きます。

    音楽を趣味のまま終わらすのか、音楽を真剣にやっていくのかは子供次第ですが肩書きや賞に興味のない我が家としては強豪常連よりものびのびと音楽をやって欲しい思いがあり、ちょっと選択からは外しています。
    (真剣にやるにしても淀工から音大いくような人も聞かないですしね…)

    ただ他の家庭はそうではなく、コンクール強豪校を求める生徒と親、それに応えようとする強豪校の図式があるのではないかと。

    淀工吹奏楽部を何らかの形で「正しいあり方」に変えたとしても別のコンクール強豪校を生徒と親は求めるし、それに応えようとする高校もまた出てくるのではないでしょうか。

    この問題は特定の学校や顧問だけで終わりません。私はコンクール至上主義が巣食い、予算や生徒確保の道具となっていることが音楽教育を歪めている本質ではないかと思います。

    妻も田舎の学校で吹奏楽部出身ですが、都会の強豪校と違った異様な感じがあったそうです。何かで入賞する、勝つ、というのが学校だけでなく、その地域全体の要請になるからです。(我が村の高校はxxで有名であり続けろ!的な)

    淀工の地域にも田舎ほどでなくとも「吹奏楽強豪校」のブランド維持を望む声もあることでしょう。(学力…は地味で時間もかかりますからね)

    この問題は管理人様が言う一つの高校というよりも村社会気質や権威主義など深い問題があると思います。

  86. 無名の吹奏楽関係者 より:

    現在とある大学で吹奏楽をしている人間ですが、概ね(完全にではないです)管理人さんの意見に賛同します。
    幸い私が中学高校で所属していた吹奏楽部はそういうスパルタ的因習とは離れていたのもあり、こういうスパルタ的な吹奏楽強豪校(この言い方も嫌ですが)のドキュメンタリーを見るとどうしても違和感を禁じえません。

    この記事を読んでいくつか思い出したことを書かせていただきます。まとまらない上に長い文章になることをご容赦ください。
    ①詳細は覚えていませんが現代文の模試で読んだ文章だったと思いますが、「キレる」と「憤る」は明確に違う、という文章を思い出しました。学校の部活動は教育活動の一環なので、その文章の言葉を借りると私が思うに「憤りから叱る」ことは場合に応じて必要だと思いますが、指導者は「キレて」はいけないと思うのです。まあ、実際は自分の意にそぐわない生徒の行動に感情的にキレる人ってそれなりにいるんですよね。ここからは本当に私の(根拠に乏しい)感覚ですが、こういう人って生徒は生徒なりの論理で考えて動いている(と私は思うが)のを理解していないんじゃないかなぁと常々思っています。もっと言ってしまえばお前らはまだ子供でバカだから大人のオレの言うことをちゃんと聞け、という考えです。でも、こういう人が思うよりも子供って物事をちゃんと考えてて、(その人が望む答えでないとしても)自分なりの答えがあるんですよね。それが社会通念上、人間倫理上おかしいのなら論理立てて説明してあげれば(この過程に叱ることはアリだと思う)ほとんどの子はわかってくれます。その過程をすっ飛ばして自分の思ってる姿と違うから、といってキレるのは怠慢以外の何物でもないと思うのですよね。

    ②日テレの笑ってコラえてで吹奏楽の旅というのをやっていた時期があって、かなり前どこの学校か忘れましたができないところがあると合奏室から出していく合奏をやっている学校があり、とても衝撃を受けたのを覚えています。解決策やヒントの一つも与えられないままないまま出てけ!練習してこい!と言われて出て行き、本当に次の合奏までに出来るようになるか甚だ疑問でした。指導の仕方は「ゴールまでの筋道を与えてあげる方法」と「きっかけやヒントを与えてあとは本人に任せる方法」が基本の2通りだと私は思っているのですが、そんな合奏室から出して練習させるなんて方法を指導と言っていいとは思えません。これは極端な例かもしれませんがね。

    ③こういう話になると根性論や精神論を否定される方もいるのですが、それは行き過ぎだと思います。合理的な指導と実践、良好な人間関係が揃った上での努力によって生まれる根性や精神は必ずここぞというときに活きると思います。まあ「理不尽に耐えた」という日本的な根性論とはだいぶ違いますけどね。人間には絶対に合理的に説明がつかない部分がある、というのは紛れもない真実だと思うのです。

  87. 吹奏楽ファン より:

    中高の教育までは正解を教える。しかし音楽には明確な正解が無い、というのが腑に落ちない要因かと思います。
    コンクールで良い賞が取れたといえばそれに越した事はないですが、その内情は多様過ぎるのでテレビで一場面を見ても、それは極端な場面をフォーカスした全体の1パーセント位だと思っておけば良いのではと思います。

    芸術系の大学では教員に資格がほぼ不要な為、精神論に向きやすい、体系的な教育はなされてはいないと言えます。感情的な先生も多いですし、そういった所で教育的な吹奏楽との隔たりがあるのではないでしょうか。

    吹奏楽部は一極集中なので、どうしても顧問は有名になりますね。反体制的な人には理解不能かと思いますが。最終的にはいい演奏ができるかどうかで、体制と演奏は全く関係がないので、実際にどういう演奏なのかを聞いたら良いかと思います。

    カラヤン曰く、オーケストラは軍隊だと言いましたが、そういった要素も必要だったんですね。
    大体の団体は独裁なので、いずれは終焉が来ます。中学校は顕著に出ています。
    淀工も10年先に残っている可能性は少ないでしょう。その他多くの高校も残っているか怪しいですが、どうぞ内情はなぞ気にせず演奏のみを楽しんではいかがでしょうか。

  88. 淀工吹奏楽部員の親 より:

    現役淀工吹奏楽部員の親です。私も疑問に思ってうちの子に聞いた事があります。
    指導側はともかくプレイヤー側が毎年入れ替わっているにも拘らず、30回近くコンクールで金賞取り続けるというのはやっぱり普通じゃないと思ったからです。

    本人曰く「あの先生、おまえらそれでいいんか?しか言わんで」との事でした。
    (結局その後パート練に持ち帰って、パート内で練る作業が膨大との事でしたが。)
    私はそのTVのドキュメント見てませんが、実際に丸谷先生と話した事はあります。
    1時間ほど話してましたが、その間に3回先生の携帯に電話がかかってきてました。生徒から。
    その生徒さんと先生の話しぶりからしても陰湿で強権的なスパルタ臭は全く感じませんでしたし、生徒側が指導者に電話して相談するという事そのものが、決して悪い関係ではないのだろうと納得した理由です。

    【客員教諭】の件は確かにお前らいつまで依存してるんだよと思いますけどね。

    1. 鴉(管理人) より:

      貴重な情報ありがとうございます。

      確かに、ただ「それでいいんか?」と言うだけなら一見自分の考えを押し付けるのではなく、逆に放任主義とさえ受け取れますが、結局は丸谷氏が納得するまで時間を惜しまず練習をさせるのだとしたら、やはり丸谷氏が意のままに操っている上意下達型の組織構造だとも受け取れます。
      これまでに丸谷氏を擁護するコメントも、批判するコメントも少なからず投稿されていますが、今回頂いたコメントは今までのものとはまた異なる見解で、謎は深まるばかりです。いずれにせよ、まともな指導が行われているのかは疑問ではありますが。

      一時間(かなりじっくりお話されたのですね)の間に生徒(一人というわけではないのでしょうけども)が指導者に3回も電話をかけるというのは一般的な部活動でどれほど見られる関係なのかはわかりませんが、少なくとも私は、丸谷氏自身の思惑は脇においても、名誉教諭(丸谷氏が淀工から授与されたのは客員教諭ではなく「名誉」教諭です)のことといい、生徒や学校側が依存しすぎているし、今までのコメントでも指摘があったとか思いますが、コンクールの委員会の体質にも不健全なものがあると思います。

  89. 名無し より:

    こんにちは。
    淀工吹奏楽のOBです。
    記事を読ませていただいたこちらの感想、意見ですが、はっきり言わせてもらうと「よけいなお世話」です。
    たしかに暴言を浴びせられたりもしますが、それは何度も同じことで怒られ、それに対する努力や集中力が欠けているからというのが元にあるからです。
    私も不満を持ったこともありますが、先生とて人間。間違ったことや反省もあると言っていました。
    あと基本的に(すくなくとも私が現役の頃は)メンバーのオーディションは生徒たちで決めていますし、コンクールや演奏会の曲も先生と生徒で話し合って決めるなど、大まかな運営は生徒だけで行っています。演奏に関しても先生に怒られるより生徒同士の意見の対立のほうが多いぐらいです。
    宗教的と感じる部分があったのかもしれませんが、真逆です。
    子供たちがかわいそう?勘違いもたいがいにしといてください。たしかに毎日ハードな練習で、何度も辞めたいと思いましたが、今では淀工吹奏楽部にいたことを誇りに思っていますし、音楽も続けています。
    たしかに他の学生吹奏楽部に比べると少し厳しい面もあるかもしれません。ですが、あそこまで厳しくしないと公立高校がコンクールで勝つのはなかなか難しいものです。
    最後に一番言っておきたかったことですが、先生は生徒の人間性を否定したことは一切ありません。むしろ好きだと言えるぐらい普段は可愛がってもらいました。私なんかすぐに名前を覚えてもらい、よく話しかけてもらったもんです。パワハラ等は周りがどうこう言うんじゃなくて本人が感じるかどうかです。
    以上ですが、この記事は勘違いとおせっかいでしかありません。本当に気になるなら是非淀工吹奏楽部に見学に行って下さい。
    忙しい時期もありますので、事前に学校側に連絡することをお勧めします。

    1. 鴉(管理人) より:

      暴言を浴びせられるようなことがあるのは事実であると認められるわけですね。

      他の点についてはもう散々聞き飽きたのでノーコメントです。
      そのうち弁解のパターンの類型化でもするべきでしょうか。

  90. 結局自分が正しいの? より:

    記事と他の数コメント見させてもらいましたけど、ようするに管理人さんの意見に賛同する人はいいとして、批判的(先生に賛同)なコメントは相手する気ないんでしょ?それはどうかと思うが?記事書くぐらいなら自分と違う意見も聞く耳持てよって話。知らないなら先生に会いに行けば?って意見がもっともだろ。お前に何が分かるの?って言われて言い返せます?生徒から先生の話でも聞いた?自分の意見が正しいと思いたいならそれなりの事をしてからにした方がいいと思うけどなぁ。てゆーか説得力無いし。

  91. 鴉(管理人) より:

    批判的なコメントも特に初めの方はちゃんと返答した上で再批判していましたが、貴方のように(おそらく特にお子様と思しき方々が)ろくに読まずに同じようなことが何回も何回も投稿されたため相手にするのが面倒になってきたまでです。すべてに相手をする義務も暇もございません。

    なお、一番最後のコメントは必ずしも本文の私の見解に同意するコメントではありませんのでこれだけで貴方の主張が誤りであることは証明されています。

    以上。

  92. 結局自分が正しいの? より:

    なお、一番最後のコメントは必ずしも本文の私の見解に同意するコメントではありませんのでこれだけで貴方の主張が誤りであることは証明されています。
    ↑この時点で他の批判的な意見は聞く気無いよね。だって自分の意見が絶対正しいと思ってるわけでしょ?
    それに「ろくに読まず」ってだけで人のこと知りもしないで勝手に決めつけてるわけだよね?
    もっともらしい文章構成でそれらしい事言ってるつもりか知らないけど、結局先生に会って人間を見る気は無いし、でも先生の人間性は気に入らないわけですよね?
    テレビだけの人物像で人を判断するのはどうかと思うが。

  93. 匿名 より:

    管理人さんへ
    はじめてコメントさせて頂きます。
    私も淀川工科高校吹奏楽部のドキュメンタリーをWebで見て違和感を覚えました。
    管理人さんの問題提起も尤もだと思いましたし、所詮は高校の部活動ですからとは言うものの教育の場と考えると人格否定や指導者依存でコンクール勝利至上主義なのは如何なものかと思います。

    穿った見方をすれば、全吹連盟と〇〇新聞社の主催(関西連盟の所在地は〇〇新聞大阪本社内)で、審査員の主観が大きく作用されると思われるコンクールに疑問も感じますが、ただ一方それでも全国に行きたい、金賞を取りたいと思っている生徒さんもいる訳でコンクールという目標も必要だとも思います。

    私も30数年前に〇〇支部大会でダメ金でした(その頃ダメ金とは言わないが)。
    新3年生の時に顧問の先生が変わり、スパルタ指導に不満を持った新3年生が15名ほど退部しましたが、翌年後輩は全国で金賞を取りました(今でも名演奏?としてWebサイトで音源は聴けます)。
    私一個人の感想ですが、吹奏楽での指導者は絶対です。王様、暴君で生徒は家来で下部でないと全国には行けないと感じましたし、また審査内容にも疑問を感じ挫折感でいっぱいでした。
    つまり、世の中は不公平にできていることを学びましたとさ・・・・。
    その後、その先生が去り、今では幽霊吹奏楽部となってしまったようです。
    所詮は部活動ですから(たしか京都〇高校の顧問先生も仰っていましたね)。

    話がずれましたが、淀川工科高校吹奏楽部のドキュメンタリーを見た時に30数年前の私の体験とおんなじで、今もこんなことしているんだねぇ~進歩ないね。
    淀川工科高校は一指導者が定年後も指導し名誉教諭となり、全吹連盟の副理事長から理事長に就任されたようですが、勿論、全吹連盟も一般社団法人なので各団体の代表者が役員を務め、どこかの団体指導者や顧問が理事や理事長にはなると思うのですが、違和感を感じるのは私だけでしょうか?
    先生(名誉教諭)も引退をお考えにはなったでしょうが、後進指導者に道を譲りサポート側に廻るとか、福岡の〇〇女子高校の〇〇先生(音大卒)のように定年後に新天地にて長崎の〇〇高校の指導者になるとか(吹奏楽では無名の高校を全国初出場に導く)、ご自分の指導力を試したかったかはわかりませんが・・・・大きなお世話でしたかね?

    全吹連盟はコンクール実施規定を改定しますが(当たり前ですが)、マーチングコンテスト実施規定も参加人員80名以内と改定されて、あぶれる生徒さん(主に強豪校)が出てくると思いますが、全吹連盟定款こそ見直して頂きたいものですね。
    そして教育の場(部活動)と考えた時にこのシステム全体の劣化を管理人さんの問題提起にて考えさせられました。
    ほとんど感想文になってしまったことをお許しください。

  94. 音楽好きな中年 より:

    私の息子が淀工吹奏楽です。
    今の淀工の吹奏楽部は大量の人がやめていっています。それは丸谷先生に対しての不満が生徒にも出てきているそうです。しかも先生方はやめた人らに関わるなと言っているらしいですよ。やめた生徒の名前などで遊んでると聞いています。そんなこと教育者が公然と言っていいのでしょうか?疑問に思います。

  95. 教師B より:

    吹奏楽やオーケストラはやはり指揮者(作曲者)に合わせることが基本ですから
    何回もやり直しさせるというのはある意味当然のことですよね(現役部員の親の方への返信コメントについて)
    また、彼らは高校生ですので主体性ばかりではなく、半ば強引にでも(洗脳に近いようなことをしてでも)結果を出すという指導は一つの大きなことを学べると思います。
    しかし、暴言、罵倒は確かによくないですね。
    オウムに近いものがあるという風に受け取れましたが、それはそれでありだと思います。
    例えば、犯罪者が持つ包丁と、料理人が持つ包丁では意味が違いますよね?
    極端ではあるかもしれませんが、その子たちの成長を思って、コンクールで結果を残すために行う一種のマインドコントロール(になってしまっていること)は、そこまで糾弾されるようなことではないように考えます。(筆者さんとはおそらく考え方が違いますが、ぜひ返信お願いします)

    1. 鴉(管理人) より:

      ご投稿ありがとうございます。考え方が違うのをご承知の上で対論を試みられる姿勢には敬意を表させて頂きます。

      まず、これももう何度も堂々巡りですが、仰るような「結果」(それも人生において短期間の)至上主義とでもいう考え方や、結果を出せばその過程で指導者による暴言、暴力、マインドコントロール等の問題行為があっても看過されても良いというのは、元巨人軍の桑田真澄氏が言うように、プロの世界では通用する論理でも、課外活動とはいえ生徒に対する教育現場で許されて良いのか甚だ疑問です。戦時中の軍国主義ならともかくも、そのようなものが教育の本質であるとか、教育と呼ぶにふさわしいものであると主張されるならそれなりの根拠を示して頂きたく存じます。

      次に、包丁のたとえですが、第一にこれは適切なたとえなのでしょうか。暴言を吐くような指導者が握っているのは、料理を創造するための道具としての包丁であるのでしょうか。そもそも人を脅して殺傷するためのサーベルか日本刀のごときものではないでしょうか。
      第二に、たとえ包丁であるとしても、料理人が犯罪者に転化するケースはいくらでも起こりえる点でも私は納得できません。事実として、本人は「生徒のことを思いやった」軽い「愛の鞭」のつもりの張り手が、生徒の鼓膜を破って体罰、暴行であると被害を訴えられるというような報道が後を絶たないのはその好例だと思います。どんな指導者でも人間である以上は誤りを犯し、自分の感情を100%コントロールできるわけではない以上、人を傷つけかねない道具は持たないのが本当に生徒のためを思うなら良策であると私は考えています。

    2. 鴉(管理人) より:

      追記ですが、また、「彼らは高校生ですので主体性ばかりではなく、半ば強引にでも(洗脳に近いようなことをしてでも)結果を出すという指導は一つの大きなことを学べると思います。」という文も私には意味がわかりかねますので、特に、洗脳に近いような強引な手法で結果(どのような?)を出すという指導で学べる大きなこととは子供たちにとり一体何であるのかご説明をお願い致します。おそらく、暴虐な教員を文字通り反面教師にすべきだという意味で仰っているのではないとは思いますが。

      1. 教師B より:

        学べる大きなことというのは、やはり大きな成果を出したという経験はこの先で大いに活かせていけるということです。結局のところ資本主義である日本では結果を残すことが最も重要でありますから(法律の範疇で)。その経験はこの先の糧となるでしょう。
        某吹奏楽顧問の方がどんな状況でどんな暴言を吐いているかはわかりませんし、
        もちろんそれは許されることではないですが、洗脳という点においては共感しかねますね。暴言だと感じるのは本人がどうかという主観的なところに委ねられますし、何より某先生は意味がないところでは叱ったりはしないです。(何度かお話しさせていただいたことがあります)。何より、音楽は、その時の演者の状況を如実に表してくれています。気合が入った、やる気がこもった音や、逆に集中が乱れている、怠惰な心が見えているときなど、その人の音を1か月も聞いていたら見えてきます。
        その気が抜けたときを突いてくるといえばまた洗脳っぽくなりますが、その気のゆるみを戒めているのだと思いますよ。
        包丁か日本刀かサーベルかはさほど問題ではなく、正しい使い方をできるのかが重要だということですよね。

        1. 鴉(管理人) より:

          驚いたのは、「資本主義である日本では結果を残すことがもっとも重要でありますから」というくだりです。ある種の諦めのようなものを感じさせられました。
          再三お尋ねしますが、「結果」とは一体何でしょうか。たとえば会社やそこに属する個人としての業績を上げることや、タックスペイヤーとして高額納税者になることでしょうか。

          私は資本主義は経済制度として他のものよりはましであるとは思いますし、その歯車としていかにうまく機能するかということは、生活するためには軽視されるべきことではないと思いますが、それが社会人となっても最も重要なことであるとは思いません。あまりにも人間の生を矮小化しすぎていますし、ご自身においてもそれを肯定されるのでしょうか。少なくとも私は他に大切なことはいくらでもあります。
          教育の目的とはそのようなものなのでしょうか。

          次に、暴言だと感じるのは本人の主観的なところに委ねられるとおっしゃいますが、客観的に暴言であると受け取られやすい、コンセンサスを得ている表現はあると思いますし(アホボケカスetc…)、主観的なものであるからこそ、発した本人の意図がどうであれ、大人数の一人ひとり違った人間を相手にするなら、なおさら誤解を招きかねない表現、特に人格を毀損するような表現は用いないように心がけるべきではないのでしょうか。体罰はもちろんのことですが、人を傷つけかねないような道具は持つべきではないというのはこういうことです。

        2. 鴉(管理人) より:

          また追記で恐縮ですが、高校時代の部活動の大会で金賞を取ったことと、仰るような「結果」を残すこととの相関関係も怪しいと思います。そういった話は寡聞にして聞いたことがありません。
          高卒で就職するならエントリーシートに華を添えることくらいはできるかもしれませんが。

          私事ですが、私は書道を嗜んでおりまして、どれほど気合を入れて書いたものでも、指導者には意気込みを全然理解してくれないことのほうが多く、苛立ちを覚えることが少なくありません。
          目に見えない音楽はまた違うものでしょうけど、1ヶ月も聞けば演奏する心の中が透視できる、教師Bさんはエスパーのような能力をお持ちということなのでしょうか。
          音楽が演奏者の状況を如実に表すという主張は、私からしますとそれこそ主観的なものに感じますが、指導をしているとそういうものが見えてくるというのは本当に単なる思い込みではないのでしょうか。

          気の緩みが確かにあったとして戒めるのは、指導としてなんら問題ない、あるべき行為ですが、その方法は熟慮する必要はあるのではないのでしょうか。こんなことは当然だと思うのですが。
          昔によくいたであろう演出家のように、相手が逆らえないのをわかった上で物を振りかざしたり投げつけるのは論外として、言論のみによる指導に限っても、その「正しい使い方」を示すのは単純なものではないと思います。
          これについては、もう随分前に言及したと記憶しています(別のページでだったかもしれません)ガルウェイ『インナー・ゲーム』をご一読されることをお薦めします。少なくとも、指導される側の上達および人権を考えれば、感情的な言動は極力排除すべきであると私は考えております。

  96. 音楽好きな中年 より:

    話に割り込んですみません。
    今の淀工の吹奏楽部は時代に合っていないと思います。そろそろ落ち度が出てもおかしくないと思いますので、この討論みたいなのも必要あるとは思いません。

    1. 鴉(管理人) より:

      問題はそういう討論を、外部の人間ではなく、吹奏楽関係者が丸谷氏らを巻き込んで行ってくれれば良いのですが、これまでのやり取りからするとそこまでの自浄能力を期待できるような人たちではなさそうですね。中にはちゃんとした批判的意見を持っている方はいらっしゃるとは思いますが。

      1. 元淀工吹奏楽部 より:

        どうもはじめまして。読ませていただきました。
        淀工の吹奏楽部は時代にあってないと思いますよ。あと大半の生徒が学校をなめた態度とってるのがすごくいやで、ぼくは嫌気がさしてやめました。非常識にもほどがある部活です。丸谷先生は時代遅れの人だと思います。

        1. 鴉(管理人) より:

          音楽好きな中年氏と、元淀工吹奏楽部氏のIPアドレスが一致しています。各人はこの事実に対するご説明をお願いいたします。

          1. 元淀工吹奏楽部&音楽好きな中年 より:

            名前が違いすみません。親子です。同じパソコンで使っています。

          2. 鴉(管理人) より:

            ご説明ありがとうございます。ということは息子さんはすでに吹奏楽部をやめられたのですね。

            息子さんと思しき元淀工吹奏楽部さんは、具体的に、どのような点が時代に合っていないのか、学校をなめた態度とはどういう態度であるのか、どのような点で非常識なのか説明していただけると、ここをご覧になっている他の方も納得すると思います。現役の生徒さんなら、プライバシーの問題(現役の部員等の関係者も確実にも見ているであろう以上は個人が特定されかねない)があるので難しいかもしれませんが。

            お父上と思しき音楽好きな中年さんによると、丸谷氏はやめた元部員に関わるなと部員に言っているとのことですが、事実であるならカルト団体の要素を含んでいると思います。(本来自由でしょうそんなことは)

  97. 元淀工吹奏楽部&音楽好きな中年 より:

    ご理解ありがとうございます。
    毎日夜遅くまで練習のしすぎなのが今の時代にあっていないとおもいます。やめた生徒を差別するのは今いる部員が何人も言っているので事実ですし、やめた人のことを先生が部員の前で言っているそうです。学校をなめた態度とは、部活をして授業中寝たり、やってはいけない行為をしたり、グラウンドの部活が使う前に勝手に入って練習したりしています。全員が全員そうじゃないと思います。真面目な人もいますがそういった人が多いです。もしプライバシーが危険であればお手数ですか削除をおねがします。

  98. 匿名 より:

    淀工の.大阪桐蔭などの含め、吹奏楽は特に洗脳し易い才能のある生徒達を客寄せパンダみたいにして、高校の部活ビジネスが横行していますからね…

    まだまだ掘り下げられる闇は深いです。

  99. 匿名 より:

    主様初めまして。
    元淀工吹奏楽部のものです。
    一応3年間続けさせてもらって、全国大会でも金賞もとらせていただきました。
    個人的な意見としては、部活動でいわゆる良い結果を体験させてもらった側の人間ですが、はっきりいっておっしゃる通り宗教や軍隊そのものだと思います。

    今は、どうかは分からないですが、当時(約20年前)は体罰は当たり前、一発二発などそんな優しいものではなく、十数発は当たり前、ビンタや蹴り、物で殴る倒れた生徒を踏む腹を蹴る等なんでもありでした。

    彼のやり口としては、よく言っていたのは二つ
    「集団をまとめるには、誰か敵を一人作る」(この理論により常にだれかをターゲットにして、やり玉にあげていました)
    「口で言うてもわからん奴は、殴るしかない家畜と一緒」

    なかなか当時としては、過激でしたがコンクールで勝たないといけないというプレッシャーや淀工という看板が、それを普通のものにしてしまう感じです。

    そんなこんなで、彼があいつはあかんといえばその瞬間からその子はダメな奴になり、集団で責められたりと、なかなかです。
    個人的には、同期がそういった環境でうつ病を発症してしまい社会復帰に相当の年月日を要したことが許せない事でしょうか。

    他にもあこがれて入りましたが、あの3年間は一つも楽器が楽しいとはおもえませんでした。

    ただ一つ感謝している点は、なかなかのブラック企業要素満載なので、社会にでてもどこでも頑張れるメンタルは手に入りました。

    ちなみに後継者の件で触れらていましたが、ご本人がなかなか譲らないようです。
    内部からも異論を唱えている人もいるみたいなんですが。

    長文で何を言いたいかわかりにくく申し訳ございませんが、
    世の中のあらゆる理不尽を学びタフな人材を育てるには、適した環境だと思います。
    ですが、音楽を心から楽しむであったり、心身共に健やかな成長を求めるには適さない所だと思います。

    あそこは、純粋に彼の自己満足の舞台なので

    1. 鴉(管理人) より:

      結局匿名の世界ですから、コメントされていた方が実際に淀工のOBであるかどうか確かめるすべはないわけですが、これまでOBを自称される中でここまで具体的に丸谷氏のものと思われる発言を書かれた上での激烈な批判はなかったと思います。

      >「口で言うてもわからん奴は、殴るしかない家畜と一緒」
      これに近いことは私もそれくらい前に実の父親に言われたことがありまして、確かに当時はそういう論理がまかりとおる風潮ではあったのかもしれませんが、それを差し引いても事実であるとしたらここで書かれていることは許されざる大問題です。

      >世の中のあらゆる理不尽を学びタフな人材を育てるには、適した環境だと思います。
      とはおっしゃいますが、貴方のように精神的にタフであっても理不尽を理不尽とちゃんと認識してそれに対して憤りを覚える人ばかりが育つわけではなく、これまでに見られた自称OBの方々のように、理不尽さを当然としてれをなんら改善しようとせず、それどころか人に押し付ける人たち、すなわち理不尽の再生産が社会にはびこっている見込みの方が多そうだと感じるのは私だけでしょうか。

      今でも部活動が顧問の自己満足の舞台であるなら(ある種の共依存であるという印象は記事を当初から持ち続けています)、そもそもの存在意義が改めて問われて然るべきですが、顧問ご本人が強権を持ち続けていて引退する気がないのが事実であり、これまでの自称部員等のコメントから察する限りでは、やはり自浄能力はあまり期待できなさそうですね。下手をすればお亡くなりになっても体質は変わらないとさえ感じさせられます。

  100. 匿名 より:

    初めてまして!主さんの受けられた印象と同じような印象を受けました。私は教員ではありませんが、仕事上「教育」について日々研究している者です。そしてこの記事を見つけてコメントされている方々の意見も非常に興味深く感じており、私なりの解釈について主さんにご意見いただければと思い今回コメントされていただきました。

    まず、この記事にコメントされている方々の意見をもとに推測すると淀工吹奏楽部の実態や指導方法については主さんの印象とほぼ同じと考えられます。全体的に「あんな指導はしていない」「言葉使いは悪くない」という意見ではなく、「そこには愛がある」などといった受けとめ方になっており、そこがまた主さんの仰る「宗教的」という部分と重なります。

    また、淀工吹奏楽部だけに限らず、高校野球や他の分野について、 引き合いに出される方もいらっしゃいますが、そういったコメントを見ると淀工吹奏楽部のみならず、日本の教育体制そのものが少し見えてきます。

    その上でこれは「私の考え方」ですが、教育に関する問題のほとんどは「価値観の違い」だと考えています。極例ですが「東大に行って有名企業へ就職する」がこの世の全てと考える方に、「プロ野球選手になろうよ」と誘うと「なんで球を棒で叩いて遠くに飛ばす事に人生捧げないといけないんだ」と感じるかもしれません。

    つまり、「淀工吹奏楽部の指導自体は、ほぼ事実ですがそこに価値を感じるかどうかは人それぞれ」というのが私の考えです。

    上記の考えをもとにいつも私は周りの方に「自分で選択すること」の重要性を伝えています。この記事一つにおいても、あくまで主さんの価値観であり、主さんはこの記事を通して「自らの価値観を周りに押し付けよう」としている訳ではないですよね?逆にコメント欄の方々が主さん価値観を否定するため、懇々と主さんは自らの価値観を説明されているように感じました。

    何度も繰り返しますが、ここまでは「私の考え」ですので、もちろん私の価値観と相違がある方もいらっしゃると思います。

    悲しい話ですが、教育は人から人へ行われるため、価値観の違いは無数に存在しており、一般企業においても、いまだに部下に罵声を浴びせる上司や逆にパワハラを恐れ何も指導しない上司に対し、「間違ったところを指摘してほしい」「怒ってほしい」と感じる若手社員もいらっしゃいるようです。

    最後になりますが、この記事にコメントをされる方は、自らの価値観をコメントするのはいいかと思いますが、主さんの価値観を否定するのはどうなんでしょうか。親しい仲であれば相手の為に自らの価値観を「押さえつけて」(同じ価値観になる訳ではないが)相手に合わせる事もあるでしょうが、匿名のネット上で行われる価値観の議論ほど無駄なことはなく、「丸谷先生を否定するこの記事を消してほしい」という考えとは真逆の効果を生みます。

    もちろん、上記は私の考えを押し付けていると感じる方もいらっしゃいますので、この後否定的なコメントをする方もいらっしゃると思いますが、私なりの価値観をコメントさせていただきました。長文に付き合ってくださった主さん、コメント欄の皆さんありがとうございました。

    1. 鴉(管理人) より:

      コメントありがとうございます。

      「まず、この記事にコメントされている方々の意見をもとに推測すると淀工吹奏楽部の実態や指導方法については主さんの印象とほぼ同じと考えられます。全体的に「あんな指導はしていない」「言葉使いは悪くない」という意見ではなく、「そこには愛がある」などといった受けとめ方になっており」という部分は鋭いご指摘だと思います。仰るとおりで、これまでのコメントからも、指摘したことがおおむね事実であることは私も間違いないであろうと感じております。

      ただし、「上記の考えをもとにいつも私は周りの方に「自分で選択すること」の重要性を伝えています。この記事一つにおいても、あくまで主さんの価値観であり、主さんはこの記事を通して「自らの価値観を周りに押し付けよう」としている訳ではないですよね?」そこは悩ましいところで、確かに選択の重要性は同意しますが、人それぞれ、価値観の相違で済ませてよいのか、完全な相対主義になってしまってよいのか、さらには、選択の自由、裏を返せば自分で選んだ結果生じる責任をまだ高校生の生徒たちに対して、果たして大人と同じように負わせてよいのかも疑問です。

      現に私は、かの吹奏楽部を一例として行われている活動は明らかに誤りであると批判していますし、それだけでなく、そういう活動に従事するのは(指導者側も部員側も)良くない、改善されるべきであると明確に価値判断を行っていますし、簡単にはっきりと書けば、自分が正しいと信じて主張しています。確かに、他者の価値観を尊重することは大切ですが、相対主義に陥ってしまうと現実に生じているであろう問題の何の解決にも繋がらないことも確かなのではないでしょうか。

      かといって、暴力的な単なる押しつけになってしまっては、結局批判している対象と同じですから、主張が実りがあるものになるかどうかは、論理的に説得したり、コミュニケーションや対話をするための能力にかかってくると思います。
      そういう点では、価値観をぶつけ合う議論が100パーセント無駄だとは私は考えておりません。こういう空間で行われているからこそ、議論を見てなにかを受け取る第三者の方もいるでしょうから尚更です。

  101. 自称OB より:

    この記事の文章及び、コメントすべて読ませていただきました。
    私は数年前に淀工吹奏楽部を引退しました。
    まず、全体を通して思ったのはこの記事に関して、賛成、反対両意見があり、片寄ってるわけでも無さそうですね。
    細かいところを突っ込ませていただくと、数回前のコメントで、匿名なのでOBであることを証明できないとおっしゃっていましたね。
    まず思ったのが、この状況でそんな嘘をつく必要があるかどうかですね。たしかにこの記事に反論するなら自称OBを語ると絶対的な意見になりやすいですね。ですけど、今までのコメントを振り返った上での話だと、主様の意見に反対されるのは嫌だから信用しないという風にとらえてしまいそうになるのも事実です。
    人それぞれ意見、価値観などがあるので、淀工OBや現役の生徒でも主様と同じ意見の人もいるでしょう。もしかするとそのほうが多いかもしれません。
    ですが、当学校の吹奏楽部を引退したことを誇りに思っている人もいるのは認めざるを得ません。
    なぜそう言えるかと言うと、淀工が年二回開催している定期公演では、OB演奏の舞台が設けられており、しかも毎回のように100人近くのOBが集まります。
    それ以外にも、舞台の設定、CD販売、受付、客の案内などを行っているのもすべてOBです。
    ほんとに嫌ならそんなところには行きませんよね。
    これが宗教的と思われるところかもしれませんが、そこまでできるならむしろ、それでもいいと思いません?
    実際に淀工の演奏を聞いて感動したり、泣いてくれる方もいたんですよ?
    確かに先生にも悪いところはあるでしょう。私自身「そんな言い方せんでもいいやん」って思ったことは多々ありました。
    ですが先生とて人間、間違いはあるでしょう。テレビには写っていませんが、私が現役の頃、先生も「俺もな、毎回謝ってへんけど、反省することはいっぱいあるよ。あんなきつく言う必要無かったなぁとかな。」って言ってました。本心かどうかはわかりませんけどね。
    このコメントを見て主様の意見が変わるかどうかはわかりませんが、あまり頑なに自分の意見が正しいと思わない方がいいですよ。もしかしたら生徒は余計なお世話って思ってるかもしれませんよ?

  102. 匿名 より:

    淀工OBやで
    あたまカチカチ過ぎて笑けてくるわ。
    なんなら会って直接話したろか?
    そんなにあんたに否定的な意見がわからんのやったら、先生のところ連れていったるで?会ったらわかることもあるやろう。
    結局自分の意見を正しいって思い込んでるだけの堅物やんけ。
    賢い人ぶってるだけやとしかおもえへんけど。むしろアホちゃう?って言いたいわ。

  103. 鴉(管理人) より:

    上記の二つのコメントは全く同じIPアドレスから投稿されていました。投稿時間が近いことからも同一人物が複数の人物と偽っている可能性があります。だとすれば一部の自称OBの方のやり口の程度が知れるというものです。
    本来なら承認しないのですが、こういう経緯でのコメントがあったという事実を示すために公開した次第です。
    内容については特に対応すべき点があるとは思えません。

  104. 鴉(管理人) より:

    21日の午後8時頃に上で言及した二つとは別名による、淀工OBではないと自称するが丸谷氏と面識があり、彼の人格を擁護する趣旨の投稿がありましたが、IPアドレスは一部異なっていたものの、三つとも地域は長崎県、プロバイダはauと共通しており、さらに文体や改行の仕方等からもまた同一人物である可能性が高いと判断して削除しました。確証はありませんが、同一人物であるとすれば大変悪質で執拗ですし、そこまでして丸谷氏を持ち上げようとする精神構造は大変不健全だと思います。

    別に私は丸谷氏が善人か極悪人かどうかなどはどうでも良く(毀誉褒貶が異常なほどに激しいのはこれまでの多量のコメントより事実だと思いますが)、彼個人の人格を云々したいわけではないのですが(「名誉教諭」や自らタクトを振るいながら審査員を両任するようなことを容認してしまう組織の体質や、人権侵害めいたことがが起こっていないかが問題提起されるべきでしょう)、それを理解していない丸谷シンパとでもいうべき人物が多すぎるようです。

    なお、名前を「匿名」とされると自動的にスパムだと認識されやすいようで、投稿されたことに気づくのが遅れますので、できるだけ避けて頂きたいと思います。

  105. 鴉(管理人) より:

    コメントは削除しましたが、上記の人物はまたしつこく何度も投稿してきて、そこには私の事実認識が間違っているだのなんだの口汚い大阪弁で書かれていましたが、果たしてその真偽はともかくも、自分が複数の人物を装ったという卑怯な手段で嘘をついていたことには全く触れておらず、当然ながら謝罪もありませんでした。少なくともそのような嘘つきの言うことなど信用できるはずがありませんし、外道が本性をようやく現したという印象しかありませんでした。
    ここまで悪質なものは初めてで、いたちごっこかもしれませんが、当該IPはさしあたりアクセスをブロックしておきました。

    これでは件の吹奏楽部は、平気で嘘をつく上に、無礼で品性下劣な輩を生み出しているし、丸谷氏やその周辺に固執する人間はこの程度であると思われても仕方がないと思います。実際にOBであるとして、自分で自分の出身校を貶めていることに気が付かないようです。

    普段大阪弁を使う人間としても、こんなところでしかも品のない形でわざわざ大阪弁を使われると、大阪人はガラが悪いなどという印象を読み手に与えかねず迷惑しています。

    事実認識に誤りがあるならば、読む側が納得するよう、筋道を立てて丁寧に説明していただきたいものです。さもなければただの便所の落書きや喧嘩を売っているのと同じです。そういうことを書く人は初めからそんな気はないのでしょうけども。

  106. 24歳の無職 より:

    どうも吹奏楽コンクールの腐敗ぶりに関しては同意ですが少し引っかかるとことがあったので
    まず定年後も現場に関わるのは教育現場として不健全という意見ですが
    部活動には外部指導というものが存在します
    野球部でいうところの監督です。監督が顧問であるとは限らないでしょう。
    外部指導は主に顧問のコネで成り立つものです(淀工の場合は勤務先の元教員というコネになります)
    この外部指導は教員免許を持っていなくても可能なものです。
    つまり名前は名誉教諭となっていますが実際はこの外部指導としての役目です。
    丸谷氏も毎日指導をしているわけではないようですし当然顧問からも外れています。

  107. OB より:

    記事拝見しました。私も吹奏楽強豪校のOB ですが、全く以って同意します。
    吹奏楽の一般団体の大人気ない現状や
    このコメント欄が、吹奏楽界の幼さ・拙さを
    物語っていると思います。
    本当の意味での音楽や芸術の教育が
    いつか賞獲りの国、日本にも訪れることを願っています。

  108. suruze より:

    大変面白い文章でした。吹奏楽は音楽であるのに、演奏者はみな苦しんでいるように見える。無駄に付けられた振り付けも全て指揮者(顧問)に言われて無理やりやらされているようにも見える。

    生徒に自主性を与えるのは大切ですよね。

  109. より:

    まず始めに追記の件ですが、内田さんという方がおっしゃってることと、当記事の内容はあまり関係ないのでは?
    確かに吹奏楽部は強豪校なら練習の過酷さ等でも運動部に劣らないでしょう。
    内田さんのおっしゃってる内容はごもっともだと思います。
    当記事はそれを読者に伝えたいのでしょうか?
    記事の内容からすると、内田さんの唱える吹奏楽部の現状というより丸谷先生の方針に対する異議だと思われるのですが?
    あと内部だけでしか通用しないと書いてありますが、そもそもあの部は卒業しても恥をかかないように、あいさつや、客人の対応等もきっちり教えています。むしろ他の学校よりきっちりしてるぐらいです。
    結局この記事では何を伝えたいのか分からなくなってきますよ?

    本題に入りますが、まず人それぞれ価値観や捉え方的なものがあるので一概に丸谷先生の指導が間違ってるとはいえないでしょう。
    なぜこんなことが言えるかというと、仮に生徒がある意味神経を麻痺させられるほど(表現が悪いですが)の厳しい指導を受けているなら、卒業したらその吹奏楽部にカンパに行ったり、結婚の報告や、OBの演奏などに参加するでしょうか?
    そこまでひどい指導をするような吹奏楽部に世界的指揮者の佐渡裕さんが指揮したいと思うでしょうか?
    もしこの記事の管理者さんが淀工吹奏楽部の内面を細かくしってるなら、仮に同じ気持ちの生徒がいれば、わかりあえるかもしれませんね。
    ですが残念ながらこの記事を見る限りでは全然この部の内面を理解できていません。いわゆるテレビでみただけで人を判断してるってやつです。
    淀工吹奏楽部の卒業生でなければ確かに会ったこともない人なのでそうなってしまうのは当然でしょうが、だったらわかってないのに知ったようなこと書くな、と卒業生や現役の生徒に言われても仕方ないでしょう。

  110. より:

    連投で申し訳ありません
    記事とコメントの一部を読み直して管理者さんと、他のコメントされた方が勘違いされてることがあるので二つほど訂正します。

    まず、名誉教授の件です
    確かに公立高校で名誉教授の称号があるのは珍しいでしょう。ですが、それは丸谷先生に依存しきっているからではなく、半世紀以上にも渡って淀工吹奏楽部を支えてきたことに対する敬意の象徴です。
    そして先生はあくまで先生。
    名誉教授の称号があるからといって何も変わりません。つまりそんなものどーでもいいということです。
    「じゃあ名誉教授の称号をもらう前から偉そうにしてたのか!」って思われるかもしれませんが、別にこの部は丸谷先生だけでなりたっているわけではありません。
    むしろ部の運営はほとんど生徒自信で行っているからです。(演奏のメンバーや一日の予定など)
    なので強権とは少し違うと思われます。

    あと吹奏楽連盟の理事長にもなってまだ大会に出ていると言う意見があったので。
    これに関しては誰も文句は言えません。
    なぜなら先生が理事長になることを希望したのではなく、他の理事たちが丸谷先生に理事長になってほしいと言ったこと、そして今後も大会に出てほしいと言ったことが理由です。
    周りがとやかく言うことではありません、気に入らないなら連盟にでも言ってください
    ここでのコメントの一部はただの愚痴です。
    ようするに公の組織に文句を言う根性がないからここで鬱憤をはらしているわけです。

    1. 鴉(管理人) より:

      コメントありがとうございます。

      数点のみですが。

      >まず、名誉教授の件です
      確かに公立高校で名誉教授の称号があるのは珍しいでしょう。ですが、それは丸谷先生に依存しきっているからではなく、半世紀以上にも渡って淀工吹奏楽部を支えてきたことに対する敬意の象徴です。
      そして先生はあくまで先生。
      名誉教授の称号があるからといって何も変わりません。つまりそんなものどーでもいいということです。

      受ける方も受ける方ですが、一般的な高校では聞いたこともないようなそのような称号を送ること自体が、世代交代が出来ない体質の組織であるかのように疑われるのではないかと言っているのです。理事長云々も同じことでしょう。むしろ、仮に退職前から何も変わらないようでは如何わしいわけです。

      >なぜこんなことが言えるかというと、仮に生徒がある意味神経を麻痺させられるほど(表現が悪いですが)の厳しい指導を受けているなら、卒業したらその吹奏楽部にカンパに行ったり、結婚の報告や、OBの演奏などに参加するでしょうか?
      そこまでひどい指導をするような吹奏楽部に世界的指揮者の佐渡裕さんが指揮したいと思うでしょうか?

      少なくとも前者についてはどれくらいの割合かは知りませんが、そういう人がいてもなんら不思議ではないでしょう。当たり前の話ですが、部活動に限ったことではなく、時間が流れて若い頃に刷り込まれたことに距離をとって客観視できる人もいれば、消えずにそのまま残る人もいるからです。「ある意味神経が麻痺している」のならなおのことでしょう。
      やや極端な例ですが、オウム真理教の幹部の中でも、教団の悪事があれほど白日の下に晒されても、教祖や教団に否定的になって脱会した人もいれば、現在まで帰依を貫いている人もいるわけです。

      >あと内部だけでしか通用しないと書いてありますが、そもそもあの部は卒業しても恥をかかないように、あいさつや、客人の対応等もきっちり教えています。むしろ他の学校よりきっちりしてるぐらいです。

      そういう意図しないような表面的なことを言っているように受け取られるのだとしたら、私の書き方か、読み手の感覚かどちらに問題があるのでしょうか。

      なお、内田氏については、本文はともかく、一連のコメント欄については注目すべきであると述べています。それがどういう意味かは根性がおありなのでしたらご本人に尋ねていただきたいものですが。
      https://twitter.com/ryouchida_riris/status/860833237303574528

      1. 残念ですが より:

        1/19日のグリーンコンサート夜の部で佐渡さん指揮振られましたよ。そこで「淀工大好き」と言及しており、丸谷先生とも仲が良さそうで、部員の皆様もキラキラしておりました。
        貴方様にとっては非常に首が絞まる残念な事ですが。お気の毒に。
        第一、そんな人間関係でごちゃごちゃしている部活があんなにいつものように金賞とれる訳ないでしょう。嫉妬やその他の悪意ならやめましょうね。

        1. 外野ですけど より:

          佐渡さんに振って頂いたのがそんなにうれしいんですか?
          同じステージに立った生徒さんにとっては貴重な機会ですので喜んだらいいと思いますが、あなたは生徒ではなさそうですけどね。
          客観的に考えれば、佐渡さんに振って頂いたのと、人間関係の善し悪しや金賞や、ここで議論されている指導方法なんかとは、全く関係無いと思います。
          佐渡さんに振って頂いた自慢をするあなたの方が、おかしいです。

          1. 鴉(管理人) より:

            おっしゃる通りですよ本当に。

            生徒ではなさそうと仰っていますが、この「残念ですが」氏は「結局」という名の他のコメントで淀工の受験生を自称しているものの、コメントを友人に見せたところ、書かれている内容から判断して実際はOBじゃないかと言っていました。確たる証拠はありませんが私もそんなところではないかと思っています。

            いずれにせよ冷静に物事を見れないし権威に弱い人なのかなと思います。本当にこれが金賞を取り続けている名門校の関係者の姿だとしたら情けないですね。

  111. より:

    返信ありがとうございます。
    内容が多かったので回答を貰えるか不安でした。

    一応私の意見に対して誤解されてる事、知っておいてほしい事を書いておきます。

    ①名誉教授について
    受ける方も受ける方と書いてますが、では受け取ってはいけないのでしょうか?
    淀工吹奏楽部に大変貢献されてきた方です。
    断る方が少し違うのではないかと思います。
    あと世代交代できないというのは、名誉教授の称号のせいではなく生徒や他の顧問が丸谷先生を慕っている事(これは良い意味で言ってます)、悪い言い方をすると他の顧問が頼りないわけですね。
    ですが実際の話は次の世代に向けて2番手の先生に引き継ぎ(小さな演奏会に指揮させたり)しています。
    事実、淀工吹奏楽部のマーチングに関しては丸谷先生は演奏面しか指導していません。
    退職前から何も変わってないというのは指導方針の話であって、先生の根本的な性格の話をしているわけではありません。まぁ別に傲慢になったり強権を振るっている様子は見たことありませんが。

    ②卒業生?の話について
    管理人さんは数十名いる生徒のほんの一部だけが先日述べたカンパや結婚の報告に来る生徒だと思われているのでしょうか?
    訂正させていただきますと、逆の生徒、つまり卒業と同時にこの部と縁を切る生徒が圧倒的に少ないです。
    これは一人たった1000円(私立の強豪校なら数万取ったりします)という少ない部費で運営している部に対する募金みたいなものだったり、自分の結婚を知った先生の喜ぶ顔を見たいと言う気持ちがあるからです。
    決して神経が麻痺してるとかではありません。
    確かに嫌な記憶は残るものですが、それはどこでも同じでしょう。そんなことをいいだしたらキリがありません。
    あと生徒が多いので、その全てが今でもこの部に関わり続けているわけではないでしょう。
    中にはもう関わりたくないって人もいるかもしれませんね。
    オウムの話も近からず遠からずな気もしますが、これも同じく人数が多い部なら起こって当然の事象ではないでしょうか。

    ③文章の表現について
    表面的とおっしゃっておりますが、ではどういう意味で内部でしか通用しないと書かれたのでしょうか?
    私の受け取り方は、この部内の社会でしか通用しないという意味だと思ったのですが。
    なので、むしろ他所の社会でも通用するような教育を行っていると書かせていただいた次第です。

    ④内田氏について
    私は内田氏の意見はごもっともだと書いたはずです。決して否定的な見方はしていません。
    私が言いたかったのは、内田氏の述べたいことは吹奏楽部というもの自体の抱える問題、つまりこの記事で述べられている丸谷先生の方針とは違う話なのでは?と思いました。
    まぁ内田氏も教員のカリスマ性は疑問に思っているそうですが、これは文化部、運動部、アマチュア、プロすべてに言えることなので別に部活だからといって否定するのもどうなのかなと思ったりもします。

    ⑤質問
    前提として…
    最初のコメントで述べた「運営のほとんどは生徒が行っている」という内容ですが、質問の前に付け足しておきます。
    まず丸谷先生の教育方針なんて大げさに言ってしまいましたが、基本的に丸谷先生は合奏の指揮をするために練習にきています。
    もちろん合奏の時間を組んだりしないといけないので、多少予定に口出しはしますが、あくまで一日の予定を組むのは生徒です。
    演奏メンバーのオーディションも先生を交えず生徒のみで行っております。
    これは先生がオーディションに関わると生徒が先生のご機嫌を稼ごうとする生徒が出てくるので、それを防ぐために部の方針として昔から続けられています。

    ここまでの前提があった上での質問ですが、
    どうしてこの運営の話には回答が無かったのでしょうか?
    この記事に対するコメントとしてはかなり重要な内容だと思うのですが。
    私は記事の批判をしたいのではありません。
    テレビで放送されたほんの一部の風景だけで先生を評価したり生徒が可哀想なんて言わないでほしかったからです。
    生徒はこの部でもっとたくさんのことを経験しています。テレビでは放送しきれないほどありふれた経験です。
    ちゃんと知っておくべきことを知った上で記事を書いてほしいと思います。
    ここまで書いてもまだ意見が変わらないようでしたら、そういう人もいるだろうという話で終わるだけです。

    1. 鴉(管理人) より:

      まず、運営についてのご指摘を意図的に無視したわけではありません。コメントが膨大なものになっていますし、本来はそこから受けた様々な意見や主張を整理した上で、私の見解を書き直す必要があるのですが、手付かずの状態が続いており、さしあたりお返事しやすいところだけを書かせて頂きました。
      今回も最後のご質問に対してのみお返事させていただきます。

      そもそも貴方はどういう立場の方なのか私にはわかりませんが、コメントをお読みした限りでは、おそらくは淀川工科高校の吹奏楽部の直接的な関係者であることは伺えます。そうだと仮定して、貴方のからすると、活動に強制はなく、生徒の自主性が尊重されているということを伝えたいということや、頭ごなしに相手を否定せず、冷静に対話を試みられていることは受け止めました。

      もちろん、ネット上のことですので100%事実かどうかはわからないものの、コメントした方の大部分は、おそらくは部活動としての吹奏楽の関係者や、淀工の現役部員やOBと思しき方だと思われます。
      今回具体的に例を挙げることはできませんが、貴方のご主張が、賛否両論含めて今までなされたコメントの内容と対立するのも事実です。
      淀工のことは一旦括弧に入れたとしても、自らの経験を通じて部活動のあり方に対して批判的な見解を持っている方も相当数見受けられますし、吹奏楽部に限らず、学校の部活動が孕んでいる問題が徐々に社会に明るみになってきていることを鑑みても、その全てが少数の人たちによる単なる私怨だとはどうも思えません。マスメディアでは汲み取れない闇の部分に光をあてることができたという点で、私の指摘は必ずしも的外れではなかったと思っています。

      何度か書いたことですが、あくまで本文は淀工についてのドキュメンタリーを見ての感想がきっかけだったものの、少なくとも現在は特定の学校のみを問題視しているわけではありませんし、仮にいずれにせよテレビなどのメディアが与える印象と現実がかけ離れているのなら、そのような印象を与えようとしたマスコミや、そういうものを求める人たちも批判されてしかるべきだと考えています。

  112. より:

    何度も追及で申し訳ないです。
    一応私も人間なので、感じ方、受け取り方は管理人さんとは異なる可能性があります。
    管理人さんが述べたいことが伝わっていない場合は申し訳ありませんが私の認識不足?なんと表現したらいいかわかりませんが、訂正をしていただけると幸いです。

  113. 結局 より:

    結局何が言いたいんですか?
    これから淀工を受験する者です。
    もちろん吹奏楽部に入ります。
    貴方様の記事を読ませてもらいましたが、陰口そのもの。
    多くの他の皆さんも仰っているとおり、そこまで文句を言うならば実際会いに行くか、何か行動を起こせばいいのではないでしょうか?
    ネット弁慶ですね。
    体験入部に行き、丸谷先生や部員の皆様とお会いしましたが、丸谷先生はとても人柄も良く指揮者、先生として素晴らしい方です。
    貴方様は丸谷先生又は部員の方々に会いに行かれましたか?
    もし行かれてないと言うのであれば、貴方様の行為は完璧な悪口です。まぁ、会いに行っても行ってなくてもなんですがね。
    その近頃のPTAのようなとても過保護な思想は一体どこから湧いてくるのでしょうか?過去にそういった罵声を浴びせられる、つつかれる行為を受けたのであれば察しますが、今貴方様は迷惑していますか?丸谷先生の存在によって自分、又は親族等被害に合っていますか?寧ろネットに書き込んでこうして3年間も反対の意見が飛んできてしんどくないですか?貴方様の人生楽しいですか?
    情報操作がお得意のテレビの番組しかご覧になってないのにとやかく言うのは間違っています。それこそテレビ局からの洗脳ではないでしょうか。
    他の方々のコメントも見ました、まともに議論出来ないのは分かりました。私や他の皆様がこれ程言っても貴方様のそのひねくれた思想が変わらないのは既に承知しています。
    仕方ない事です。人間それぞれ主観がありますし、なにより大人になってからの方がその価値観は変えにくいものになります。
    しかしこれだけは言えます。自分が行動を起こす気が無いのに陰口は控えましょう。無責任過ぎます。
    嫉妬や偏見でものを言うなら尚更です。

  114. 結局 より:

    それと自分に都合の悪いコメントを削除、又は非公開にするのはやめましょう。脅しや殺害予告等の犯罪じみた書き込みは例外ですが。
    主さんの逃げであると共にこの記事を読んだ方への情報操作、言わば洗脳です。
    人様にとやかく言っておいて自分は良いんですね?

    1. 鴉(管理人) より:

      >これから淀工を受験する者です。
      もちろん吹奏楽部に入ります。

      とありますが、受験を控えた中学生にしては慇懃無礼な文体のみならず、「近頃の」PTAやテレビを非難したりと内容も書くことがどうも老けているように感じるのですが、最近の子はこんなイケズなおませさんなのが当たり前なんでしょうか。

      >それと自分に都合の悪いコメントを削除、又は非公開にするのはやめましょう。

      というのもこれも何を根拠にそのように断言しているのか不明です。全体的に幼稚な被害妄想に基づいているという点では確かに子供らしくないとも言い切れないかもしれませんが、大人でもそういう人はいくらでもいますしどうなのやら、です。
      なお、私は今までコメントを削除したことは、誤って同じ内容のコメントが投稿された際と、短文の単なる誹謗中傷が投稿された際くらいで、記憶している限りでは今まで5回もあるかないかです。
      このような稚拙な放言をわざわざ真面目に相手にしないといけない理由はどこにもありません。この手の人は何名も現れましたが、何がしたいのかよくわからず、ただ反応に困るだけです。

      いくつであれ、何も丸谷氏に対してに限らずこういう狂信ないし盲目的な人(実は褒め殺しがしたいのかと思うほどです)が少なからず関係者にいることが、何らかの問題視されるべき体質が存在することを暗示していると思うのですが。

  115. 日本を憂う より:

    わたしの違和感をいいます。丸谷さんは教育熱心かもしれませんが、所詮素人です。その素人がトップになって、彼の取り巻きになった学校が全国常連校になったり、地方の顔役になったり、水面下での権力掌握は恐ろしいと感じますね。
    わたしの違和感はプロの人たちがどう感じているかがないことなんですよ。特に高校の全国コンクール、審査員による判定で透明化されていないものは闇を深く感じます。日本ボクシング連盟の山根さんのようなケースがちらほら見える気がします。特に吹奏楽や野球のような大新聞が利権を握っているシステムでは長年の積み重ねで闇が作られているように感じます。吹奏楽は吹奏楽。オーケストラではない。なぜ日本でこんなに広がっているのか理解できません。彼らが言う憧れのヨーロッパの音楽とは違うものなのに。特に高校では部活の評価は進学にも関わります。不透明で利権が絡むようなものは改善してもらいたいものです。学校の音楽の先生が判断するのは所詮素人、プロではない。だったらパブリックオーディエンスに判断してもらっても同じなのかなと思います。生徒の方が良し悪しを理解できるのかなと思いますね。つい最近他の部活、放送部のアナウンスコンテストのことを聞いた時に、審査員が教師だと聞いてびっくりしました。放送関係者でない人が判断できるのかと。それを正しい教育だとしていることが不可解でしたね。吹奏楽も影響力や関わった生徒の人数が多いので、もっと開かれたジャッジが必要ではないかと思います。国内だけでなく海外からのプロの音楽家なども含め、固定化しないで客観的にジャッジしてもらいたいものです。最近高校の部活、陽の当たらないところでの闇が多すぎです。ここを是正しない限り新しいことへの挑戦や吹奏楽の発展には繋がらないと思います。

  116. 大阪の吹奏楽経験者 より:

    はじめまして。貴方様の記事を拝読いたしました。
    私自身も、大阪でかれこれ15年以上吹奏楽に携わっており、丸谷氏ともお仕事をしたことがあります。

    貴方様が感じてらっしゃる違和感、ごもっともだと思います。
    ただし、付け加えるなれば「貴方様の見ている世界の中では」という感じでしょうか。
    貴方様の物の見方を否定し、批判しているわけではございません。

    私も淀川工科高校と、丸谷氏とともに行動したことがありますし、丸谷氏の叱咤激励を見て、聞いてきた者です。
    おっしゃられる通り、外部から見ると異質で、今のご時世にはそぐわないものに見えるでしょう。

    「でも、そんなことないです!丸谷先生は優しいしすごいです!」とは申しません。なぜなら、それは私自身も吹奏楽関係者として、内部からしか見ることができていないからです。
    同じく、貴方様も、非吹奏楽関係者として、外部からしか見てらっしゃらないのです。

    だから意見をするな、問題提起をするな、とは言いませんし、そんなことを言ってしまえばそれこそ貴方様がおそれる教祖が完成し、最悪の結果になるでしょう。

    丸谷氏、淀川工科高校、そして吹奏楽に限らず、どの世界においても、外部からの意見には真摯に耳を傾けるべきですし、改善すべきところは改善してよりよいものを目指すべきです。

    同時にそれは、貴方様のスタンスにも関わるのでは?と思いましたので、コメントいたしました。

    私の間違った見方でしたら申し訳ありませんが、貴方様の提言に対して賛辞を贈ったり、同調される意見には丁寧に返信し、貴方様の提言に対してさらなる提言や批判を行う意見には真っ向から対立し、口調やコメントの仕方の批判から意見を受け付けないなど、論議を形成するという姿勢が少し薄いのではないかと感じました。

    貴方様が提言なさられた「ヨドコウ問題」は、現代社会だからこと大切にすべきテーマであると思います。

    ですので、提言主である貴方様には、もう少し建設的で冷静なお考えをお持ちいただきたいと思い、コメントいたしました。

    貴方様自身も、自ら提言されている「教祖様」になってしまわないように。

    雑文失礼いたしました。

    ※私の稚拙な表現、考え方でもし不快に感じられたなら、申し訳ございません

    1. 鴉(管理人) より:

      内と外の論理を分ける話はもう聞き飽きましたし、あまり中身のあることだとは思えませんので特に申し上げることはないですし、議論をするつもりがない一方的な罵詈雑言にまで逐一丁寧に相手をするほど暇ではございません。ただ、丸谷氏と面識のある方が「外部から見ると異質で、今のご時世にはそぐわないものに見える」ことはお認めになっていることは興味深いです。

      別に私はこんな文章を公開しているところで誰かから表彰されたり社会的地位が高まるなどなにか得をするわけではございませんのでご心配は杞憂というものでございます。今のところ、私にお布施をすると言い出すような人は現れていませんのでまあ大丈夫でしょう。所詮は一般市民Aさんの私見だということくらいは自覚しているつもりです。

      私も教育現場が、「改善すべきところは改善してよりよいものを目指すべきです。」という意識を共有してくれていることを願うばかりですが、先日取り上げた鹿児島の件を見るに、残念ながら旧態然のありかたを望む人たちのほうが多いのかと思わされました。

  117. より:

    皆様のご意見興味深く読ませていただきました。
    一つご指摘いたしますと

    >NHKは以前もプロジェクトXで淀川工科高校の吹奏楽部に対する捏造を行い批判を受けているという

    プロジェクトXで取り上げられたのは淀工の吹奏楽部ではなく合唱部の方です。淀工は合唱部も有名ですが近年はかなり部員が減ってしまったらしく残念なことです。

    1. 鴉(管理人) より:

      合唱部でしたか。ご指摘ありがとうございます。訂正しました。

  118. いつまでここで... より:

    人それぞれ見方や意見があるので
    主様のような方や、それに同意される方。
    その反対の意見の方などいろんな方がおられるとは思いますが、結局のところここでいくら論議しても全然意味がないということを気付いていただきたいものです。
    おかしいと思うなら行動に起こしてください。
    ここでグダグダ言っても何も解決にならないし陰口だと言われても文句を言う資格はないと思います。

    1. 鴉(管理人) より:

      苟も全世界に公開されている場で様々な人が自分の主張を述べ合ったり、経験したことを語ったり、問題提起したりすることに意味がないとは私は思いません。

      どのような立場からそのようなことを言われるのか、そもそも「行動」が何を意味するのか不明ですが、たとえば現場の先生に限っても過酷な労働環境の中、葛藤を抱えながらも現状を改善したいという思いで働いている方も少なくないと思います。

  119. いつまでここで... より:

    ではこの記事は単純に主様がテレビで報じられた淀工吹奏楽部の態勢(教師の立場もろもろ)が気に入らないから、ここで評論家ごっこでもしてるという解釈でよろしいでしょうか。

    だって現場にいてる人間に聞きもしないでテレビだけの情報を鵜呑みにしてグダグダ言ってるだけですもんね。
    たしかに問題提議するのはいいことだと思うし、それが改善に繋がれば尚いいでしょう。
    でもこの場だけで一人で論説しても意味ないと私は思いますけどね。
    本当におかしいと思うなら教育委員会なり学校なりに訴えかけるでしょ。
    人のことばかり文句言ってるけど、反対派の人からしてみればあなたも信者を集めて満足しようとしてる人間にしか見えないわけですよ。

    1. 鴉(運営者) より:

      あけましておめでとうございます。

      事実、内田良氏も述べていたように、このページの価値は恥ずかしながら私の主張そのものよりも、それへの応答としての現場関係者含めさまざまな立場の方からの多数の生々しい声にあると思います。ですから、貴兄が前のコメントで、「ここでいくら論議しても全然意味がない」と述べていたことに対して私はあのように反論したわけですが、今回はそれには一切触れずに「一人で論説しても」意味がないと主張され、何の脈絡もなく私個人への攻撃にすり替わっています。

      今回突然述べられた「反対派」というのも何を指しているのか相変わらず不明瞭な表現です。私への反対派だとすれば、前回はそのようなことは仰っておらず、実は中立を装って議論を封じ込めようとしていたのではないかと内心思っていましたが馬脚を現したということでしょうか。

      正直に申し上げて見当違いな上に支離滅裂ですが、もし、貴兄が拘泥される「現場」の方であるならば(さすがに教員ではないと信じたいですが)、そういう方がどういう思考をする人間であるかの貴重な一例として、閲覧する方の判断の参考にするため、たとえ辟易するような駄文であってもご高説が全国に向けて公開され続けるのはそれなりの価値のあることだと私は考えております。

      なんにせよ新年早々ありがとうございました。前回のコメントから3ヶ月以上経過していますが、もし、もっと早くにコメントしようとなさっていたにもかかわらず、サイトの不具合で送信できなかったのだとすれば大変申し訳ありませんでした。

      今年もどうぞよろしくお願いいたします。

      1. 鴉(運営者) より:

        今回に限らず相手は価値観がまだ固着化していないような若い人がおそらく多いでしょうし、いたずらに敵を増やしてもあまり意味のあることではないですから、批判するにしてももうちょっとソフトな方法にしたほうが良いかもしれないと書いてみて後から思い直しましたが甘い考えでしょうか。

        そもそもこれまでの頂いたコメントを元に本文を書き直すべきだと思っていますがなかなか筆が進まず恐縮だとは思っております。

  120. はぁ。。。 より:

    コメントばっか集まってるけど、結局このブログの主様は何をしたいんですか?
    一人でここまで対応されてるのはすごいことだと思いますが、コメントの対応ばかりで何の改善にも繋がってないように思えますが。。。
    まぁ主様が仲間集めだけで満足されてるならそれでもいいですが。
    そもそも生徒がどうとか言う前にパワハラみたいな限りなく犯罪に近い不祥事のほうがよっぽど問題があるように見えますが。

    1. 鴉(運営者) より:

      「いつまでここで… 」氏と同じ人なのはすぐにわかります。別人を装うにしてはあまりにも浅はかですが、こういうことをしてまで庇い立てをしたりこちらを攪乱させようとしたりする人がいる事自体が教育上や組織の体質になんらかの問題があることを物語っているのは今までにも書いたとおりです。

      この人に限らず、中身のない同じようなコメントについては次からは一切相手にせず削除しますのでそのおつもりで。

  121. ちゅーば より:

    現役の高校1年生で中学校では吹奏楽部に所属していた者です。運営者さんに感化されたので、僭越(せんえつ)ながら私の意見を述べさせていただきます。あくまでも持論ですので、当該名誉教諭及びこれを読まれるみなさんの賛同を得られるかは解りかねます。

    【私の意見】
     極力端的に申し上げます。まず、赤ん坊や幼い児童の面前で汚い言葉を用いるのは教育上良くないということは、みなさん例外なく納得していただけるかと思います。では子供の成長の過程において、どの時点から「あほ」「ぼけ」と言う言葉を日常的に放ったり、ましてや直接吐きかけたりすることが、「愛情の裏返し」などと銘打ってまかり通るようになるのでしょうか。殊(こと)に教育者が生徒に対して口にしているのが。このような教師が良いか悪いかという以前に、生徒への敬意というものが欠けていることは火を見るよりも明らかです。はっきり言って名誉教諭が聞いて呆れます。
     
     加えて、美しいサウンド作りには美しい言葉に触れることが不可欠だと思います。美しい言葉が美しい心を育み、美しい心が美しい身体を形作り、美しい身体が美しい音を奏でるのだと考えています。言うなれば言葉が音を磨くのです。ゆえに、「自分の心が音やねん」というお得意の謳(うた)い文句さえもがひどく浅薄(せんぱく)なものに感じられてなりません。

     ところで、このコメント欄では「ドキュメンタリー1本で人を判断するな」というようなもっともらしい台詞が、運営者さんの意見に反対する人のロジックとして、判で押したように使われているように見受けられます。しかしこの論理は私からすれば、──手相占いでボロクソ言われた客が占い師に「手だけ見て人間の何がわかるっていうの?“足相”から旋毛(つむじ)の形まで全部を見て判断しなさいよ」と逆ギレしている──のと大差ありません。要するに、実際をありのままに記録した映像作品こそがドキュメンタリーなのであり、指導の方針や音楽に対する姿勢をある程度把握するのには、あのいくつかのドキュメンタリーで十分事足りるということです。そしてもしも私があの占い師なら「そんなに頭を見て欲しいのなら病院に行けば好きなだけ診てもらえるのに」と胸の中で呟くことでしょう。

    以上が私の感じたことです。お粗末さまでした。

    1. 鴉(運営者) より:

      突っ込みどころはいくつもありますがさしあたり一点のみを。

      「実際をありのままに記録した映像作品こそがドキュメンタリー」とありますが、これはあまりにも素朴な見方ではないですか。編集者のなんらかの意図に基づいた加工作業がなければドキュメンタリーは成立しません。上でも指摘があったように、実際に、淀工の合唱部を取り上げたNHKのドキュメンタリー番組が捏造を行っていたことが明らかになっています。

      批判されるべきは何も丸谷氏個人だけでなく、人権を軽視するような指導を正当化する番組を公共の電波で発信する製作者の責任も大きいわけです。

      テレビに限らず、私たちが触れる情報は決して生物(なまもの)とは限らず、事実を歪曲するような編集がなされていないか絶えず注意する必要があることを忘れてはならないでしょう。

      あとは、上のように別の読み方と間違えやすい場合や、よほど普段使わないような言葉でもない限りはわざわざふりがなを書く必要はありません。

  122. カルト集団と同一視はおやめください より:

    初めまして
    ここまでのコメントを読んで、管理人様の意見とその賛同者、対する批判者の間には埋めがたい認識の差があるように感じました。
    私はどちらの意見にも一理有り、また一部間違っているように感じましたので、敢えて大筋の内容にはコメント致しません。

    しかし、一点だけご訂正頂きたいと思うことがありました。
    それは批判意見に対する管理人様がコメントに、度々に渡り淀工吹奏楽部の教育方針とオウム真理教の洗脳を同一視するようなコメントが散見されることです。
    「まるでオウム真理教やヤマギシ会のような社会から隔絶したカルト団体の発言」
    例としてこのようなコメントがありますが
    こういうコメントはいくら何でもやり過ぎです。批判者から反発を受けるのも止むないかと存じます。
    いくら何でも大量殺人を行なった犯罪者集団と同一視するようなコメントは、淀工の関係者の皆さんを著しく侮辱する行為です。
    すぐにおやめ下さい。
    いくら管理人様がもっともらしいことを主張しても、このような明確な差別的かつ侮辱行為を行う方には賛同しにくいです。また、丸谷先生を批判する権利も無いと思います。
    極端な例として上げられているのだと思いますが、非常に不適切です。
    例として上げられるのであれば、心理学に基づく学術的事象を例にされるべきかと存じます。

    駄文失礼致しました

  123. 私はロボットではありません より:

    はじめまして。記事等面白く読ませてもらいました。だいぶ前に書かれた記事ですがコメントさせてもらいます。淀川高校吹奏楽部のことを初めて知りました。全然関係ない記事から飛んできたのでここにたどり着くのは淀川高校関係者が大半なのだろうと思います。関係者の方が入れ代わり立ち代わり「先生に一度会ってみたら良い」と繰り返しているのが全然知らない立場から見るとカルト宗教的だなと感じました。信者が一度でいいから聞きに来てというような。上の方の「管理人様には丸谷先生を批判する権利がない」とか「心理学に基づく学術的事象を例にしろ」等丁寧なふりをして圧力をかけてきているのも興味深いと思いました。
    議論が活発に行われていてこういう考え方があるんだと目から鱗でしたし私には無意味なものではなかったです。

    1. 鴉(運営者) より:

      今からすると本文は荒っぽいところがありますが書き直すのが面倒なのと、コメントに応答するのは堂々巡りで話にならず不毛なので放置しておりましたが久々に全くの第三者と思しき方から寄せられたのでご返信します。

      これも以前も何度か書いたかと思いますが、部活動や顧問を擁護する主張自体にも暴力や人権侵害の肯定など危険なものが散見されますが、仰るように、少なからずの関係者らしき人が、時にはウソをついてまで必死で丸谷氏を庇おうしたり、外部からの批判を封じようとすること自体が、教育現場の単なる課外活動に相応しいとは到底思えないいかがわしさを自ら顕にしていると思います。そういう人が社会に出ていくのは恐ろしいことです。

      1. 鴉(運営者) より:

        ところでマルタニズムなる冗談のような名前のDVDがあるようですが、マルタニスム(Martinisme、フランス語でマルタン主義)と書くとちょっとかっこいいと思いました。もっとも最初見た時は「ヤマギシズム」のほうを思い浮かべましたが。

        https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-%E4%B8%B8%E8%B0%B7%E6%98%8E%E5%A4%AB-TKWO/dp/B00822FJ6I

  124. まるまるまる より:

    はじめまして。記事面白く読ませていただきました。私は淀工では無いですがコンクールで毎年全国大会に有名な学校のOBです。
    私の学校でも似たような指導は実際にあって、洗脳と変わらないような指導にも疑問を抱いていました。しかし、全国大会金賞まで引っ張れるような指導者というのは限られているし、実際に他の学校とは段違いの演奏をしているのも事実。顧問の先生やコーチの先生等が優しいとしても、生徒間でスパルタな、「昭和の体育会系」的なやり取りがあるとは思います。吹奏楽で全国に行きたいと思って学校選びをしている時点で、そのような環境に足を踏み入れなければいけない、選べないと思うのです。また、そのような学校の一面がテレビで放映される事により、それを真似する指導者も現れ、苦しむ生徒も増える。非常に悪い傾向だと思います。
    吹奏楽部に入る生徒は、「音楽が好きで、それを部活として楽しみたい」という人が多いと思います。そんな生徒に洗脳まがいの指導をし、大切な青春の時間を部活だけに注ぎ込ませ、時に音楽に対しての嫌悪感まで生み出させる。恐ろしい事だと思います。
    他のコメントしている方を見ていると、「それでも結果をのこしている~」だとか、「先生は非常に音楽熱心、生徒熱心で~」とか、コメントしている方自身が『吹奏楽部』といった宗教に洗脳されているとしか思えません。指導者も生徒達も、指導者に憧れて指導者になる者も、保護者までもが、この状況当たり前で、美談で、というように捉えているから一向に良くならないのだと思います。厳しい指導をしている教え子を嬉しそうに見守る顧問、「顧問について行くのが当たり前、顧問について行けない人はヤバい人、楽器が出来ないのはヤバい人、」と信じてやまない生徒達、「子供が熱出た時も部活に送り出して頑張らせた、部活で辛くて泣いていても学校に行かせた」と美談のように語る保護者、どれも気持ち悪くてたまりません。高校時代、部活動が原因で精神科に通っていた友人、常に希死念慮を抱いていた友人も沢山見てきました。私自身も一時期手の震えが止まらなかったり、学校に行こうとするだけで脚がすくんだり、鬱病の初期症状も出ていました。それを心が弱いだの、それだけ頑張っていたと美談にするだの、アホらしくて仕方がありません。純粋に音楽をやりたくて、全国大会まで頑張りたくて、そんなキラキラとした気持ちで入部したのに、どうしてこんなに苦しまなければいけないのでしょうか。
    こちらの記事で挙げられている淀工に限らず、『吹奏楽部』という全体で、このような問題視して声を上げる、ということが大切なのではないかと思います。
    拙い文章でごめんなさい。長々と失礼しました。

    1. 鴉(運営者) より:

      貴重な体験談ありがとうございます。現実には、輝かしい実績の陰で生活に支障が出るほど傷ついて苦しい思いをしている人が相当数いると思われるのに、そういう人たちの存在を無視して人権侵害を助長するようなメディアの一面的な取り上げ方はやはりとりわけ批判されるべきですし、吹奏楽に限らず、日本に根強いと思われる、スポーツ等で賞を取るような人たちは、すなわち人間性が優れているかのような幻想は捨て去られるべきですね。そもそもそういう幻想がなくなれば、多くの人が強迫観念から解放されて部活動の問題についてももっと冷静に考えることができるようになるのではないでしょうか。

  125. 元吹奏楽部 より:

    今年の吹奏楽コンクール、淀川工科高校は出場辞退されました。
    朝日新聞に詳しく記事になっていますが、丸谷先生が体調を崩されて「OBに指導を任せて出場するか、辞退するか」を生徒に問うたところ、生徒は「辞退」という結論を出したとのことのようです。記事には「コンクールがすべてじゃないと気づいた」みたいなことが書かれていますが何だかなー、という思いです。

    https://www.asahi.com/articles/ASP9264MXP91ULZU002.html

    1. 元吹奏楽部 より:

      子どもたちから「練習不足で金賞をとれなかったら先輩たちに申し訳ない」という言葉が出てきてしまうことに吹奏楽部、吹奏楽コンクールが孕む教育上の問題が現れているな、とこの記事を読んで思いました。

      1. 鴉(運営者) より:

        朝日新聞の会員になっていないので全文を読めないのですが、もし丸谷氏がいないがために辞退した(丸谷氏の存在に依存しているからか、丸谷氏がいないと金賞が取れないからかいずれにせよ)のなら不健全な体質を感じます。そもそも未だに丸谷氏が現場で指導している事自体驚き呆れました。

        このような批判的視点を持たずにただ学校側の主張を垂れ流しているのなら朝日新聞もどうしようもないですね。

        1. 元吹奏楽部 より:

          淀工の指導体制、そしてメディア(今回の場合はコンクール主催者の朝日新聞ですが)の取り上げ方、いずれも6年前のご指摘と全く変わっていませんね。丸谷氏は全日本吹奏楽連盟の理事長を去年限りで退任され(最多連続金賞記録更新中の指揮者が連盟の長というのも非常に不健全でした)、今回体調を崩されたとのことで流石に世代交代を考えておられるのだろうとは思いますが。

          私も「吹奏楽部」に少しばかり関わっている人間ですので、こちらの記事から色々と考えさせられました。ありがとうございました。

  126. より:

    大会に出て上位を目指すなら必然的に指導も厳しくなります。
    あら探しをすればもっとひどい学校なんていくらでもあるのに、暴力をふるってるわけでもない、口調が厳しいだけで妄想を発展させて批判するのは短絡的ではないでしょうか。
    まぁおそらく他のコメントへの返信を見るあたり、自分に賛同できない意見は聞く気無いんでしょうけど。
    多分OBや現役の生徒からしてみれば「何も知らない外野が何を知ったふうなこと書いてるのか」って疑問を抱くと思いますよ。
    別に主さんがどんな人間でも私には関係ないですけど。

    1. 鴉(運営者) より:

      仮に私の批判がすべて妄想だったとしても、少なくとも淀工の生徒やOBも含んでいると思われる吹奏楽部関係者からのコメントでは、学校(それも公立)の課外活動にもかかわらず貴方のようにそうやって「内」と「外」に分けた上で、生徒の人権侵害の肯定など吹奏楽界が相当非難されるべき問題を抱えていることを自ら露呈していますが、ってこれも何度目でしょうね。

      >別に主さんがどんな人間でも私には関係ないですけど。
      だったらわざわざ投稿せんでもええやないですか…。

      1. より:

        少し言い過ぎた部分もあるので、先に謝罪させていただきます。

        課外活動で内と外を分けることの何がいけないのでしょうか?
        少なくとも的外れな批判ばかりされると、そんな風に分けられるのは当然だと思います。
        だって内部事情知らないんでしょ?
        それに他のOBらしき人のコメントを見てても人権侵害を肯定などしていないと思いますが。
        さすがにそれは卒業生の方に失礼だと思いませんか?
        主さんの考える人権侵害の定義がよくわからないのですが、「アホ、ボケ」の一言ですら人権侵害と思われるなら正直この世の中やっていけないですし、少し理想論を語りすぎではないかと思います。
        本当に自分の考えてることと現実が一致してるのか、本当に淀工吹奏楽部が人権侵害や洗脳めいたことをしてるのか、ちゃんと見つめ直してください。

        1. 鴉(運営者) より:

          結局ほとんど同じことを繰り返し説明するだけですから本当にやめて下さい。無駄にコメント欄が長くなり、読み飛ばす人が増えて悪循環になります。

          1. より:

            はて、私の出した内容はどこで説明されているでしょうか?
            こちらが全部コメント読んでないと思ったら大間違いですよ。
            そんなんでよく人のこと批判できますよね。
            なんなら人権侵害だとか妄想ばかりで、ありもしないこと勝手に発言して名誉毀損になりますよ。
            主さんのやってることのほうがよっぽど酷いと私は思いますがね。
            少し自分の胸に手を当てて考えてみてください。
            ちょっと自分勝手すぎます。

  127. より:

    あと内と外を分けられるのが嫌らしいですが、外からしか見えない情報だけで吹奏楽界がどうとかなぜ言えるのかわからないですね。
    むしろ批判するなら内の意見を聞くのは当然のことかと思います。もちろん少しは聞いてるかもしれませんが。
    別に淀工が素晴らしい学校とは言いませんし、淀工の指導方が正しいかも分かりません。(ただ間違ってるとも思いませんが)
    けど、やはり主さんのように「ここはおかしいのではないか」みたいな問題提起をするなら、少なからずその現場にいる人間の意見や考え、経験談は聞かないと正直説得力が無いと思うんですね。
    だからこそ、議論(のような形になってる)する上で、内と外に分ける、分かれるのは必然だと思います。
    なぜ現場側(内側)の意見を聞こうとしないのか。
    いや、聞いてるけど、場合によっては嘘と決めつけたり、勝手な拡大解釈で人権侵害を肯定してるだとか、言いがかりをつけてるようにも捉えられます。

    これでもまだ同じ事の説明だとか、してもないことを言い訳にして逃げますか?
    もう主さんが淀工関係者や淀工に味方する人の意見を聞く気がないのは分かってるんですよ。

    1. 鴉(運営者) より:

      そもそも外からしか見えない情報だけと言いますが、皆匿名ですから100%断定はできないものの、淀工OBを含めた明らかに吹奏楽部の内部関係者と思われる少なからずの人が、吹奏楽部やコンクールの体質等について批判的なコメントを書いています。

      一連のコメントについてはすでに書いている通り専門家も問題視していますし、こちらに限らず、昨年と今年になっても顧問の暴力的な指導による生徒の自殺未遂や全国吹奏楽部連盟の着服事件といった不祥事が報道までされています。

      https://mainichi.jp/articles/20200127/k00/00m/040/182000c

      https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20210416-OYT1T50039/

      本当に全部読んだ上で人権侵害を肯定するような要素がないと本気で言っているなら、そのこと自体が異常性を物語っています。

      なお、以下のように人間関係を制限することは破壊的カルトの特徴としてよく挙げられるものです。
      https://te-koku.com/archives/720#comment-168

      (参考)
      http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/03mamoru.html

  128. より:

    ではあなたは吹奏楽関係者でコンクールがどういった体質で行われているかご存知なんですね?
    まさかTwitterとか大してアテにならない情報だけで判断なんかしてませんよね?
    もちろん問題のある部は多々あると思いますが、吹奏楽部と一括りにするのは他の学校に失礼ではないでしょうか。
    着服事件はこの記事の後になって起きたわけですから都合の良いように丸谷氏のことと合わせるのはいかがなものかと思います。
    またこの件は丸谷氏が気づいたから公になってるってことをご存知でないようですね。

    人権侵害を肯定してるのではなく、人権侵害ではなく、愛情の裏返しという捉え方をされているのがまだ分からないのでしょうか?
    なぜそこまで人権侵害をしていると思いたいのか甚だ疑問です。
    そして人間関係を制限してるなど、あのドキュメンタリーを見てどうやって判断されてるのでしょうか。

    まぁ一部のコメントにあるように、記事はまともに見えてもコメントを見るとまともじゃないんだなって思いましたね。
    それが私の感想です。

    1. 鴉(運営者) より:

      パワハラやDVをしない(していない)ことを祈ります。コワイナー

  129. さー より:

    初めまして!
    記事とコメントを読ませていただきました。
    吹奏楽経験者です。

    記事の内容も初めて見るような内容で率直な意見を述べられていましたので大変勉強になりました。
    昨今、教育機関での体罰や指導の仕方について疑問視されることも多く、主様のご意見も最もと言えます。
    その分、率直に書かれている為、OBの方やファンの方々からも様々なご意見があり、そちらにも共感することができます。
    いずれにせよ全ての皆様、真剣に考えを巡らせていると私は感じました。

    ここで重要なのは、現在の教育・指導に関する問題はそもそも、問題であるのか。
    問題であるならば、何が問題であるのか。という部分と、
    メディアに対する視点、考え方、受け取り方の違いだと思います。

    特定のものに関しての議論になってしまっているので分かりづらいのかと思いますが、大きく見てみれば日本全体の問題について問題提起しているのではないかと考えます。

    ここまで長々と回りくどいことを連ねました。
    わたし個人としては記事の意見に対しての賛否より、この記事を見て、全国の吹奏楽現役の子供たちがどう思うかが1番気になってしまいました。
    (理論的でなく感情的なもので申し訳ございません。)
    確かにそうだと納得する子もいれば、そんなことない!と思う子もいるでしょう。

    どちらにしても多様性を叫ばれる昨今においてはどちらも正しいと言えます。
    ただ、様々な意見があり、どちらが正解か分からない中でも、ひとつの答えに偏らず、多角的にみた中で自分の答えを持ってくれるのならいいのではないかと感じました。

    今回、この記事を通して新たな視点を知ることができました。
    (無駄に長文になってしまいました。申し訳ございません。)

    1. 鴉(運営者) より:

      >どちらにしても多様性を叫ばれる昨今においてはどちらも正しいと言えます。

      確かに多角的に考えて、多様な意見を尊重することは必要ですが、仰るような見解を取られますと単なる相対主義に陥って結局は何の問題の解決にも繋がりません。「多様性」を声高に叫んでいる人たちの実態が往々にしてそうであるような権力のある人間や声の大きい人間が主導権を握るようなことは避けて、多様な意見を吸い上げつつも(それが難しいのですが)、あるべき公教育の課外活動の姿とは一体どのようなものであるのか、善悪をはっきりと打ち出す必要があるでしょう。

  130. オダマキ博士 より:

    体罰や罵倒に教育的効果はありません。
    研究論文などで検索すればすぐに出てきます。

    日本の教育現場は、時代遅れです。
    自浄作用がないので、進歩、改革ができず、時代から取り残されている訳ですが…。
    私は40代の中年なのですが、驚いたことに、子どもと学校については話が合うのです。
    つまり、私が経験した学校での出来事(学習内容、方法、部活、学校生活、先生など)のほとんどについて、違和感なく今の子どもと話が出来るのです。
    これは、30年以上経過して学校は何も変わっていないことを意味しています。
    これだけ変化の多い時代で、これはかなり異常だと思います。

    体罰や厳しさなどを用いず、効果的に教育や指導できる方法はいくらでもあります。
    まともな企業では、最新の教育方法(新人教育、育成などの一環として)を学ぶ機会などもあり、現在の日本の学校現場で行われている教育方法が、時代遅れであったり、誤ったことをしていることがわかるので、保護者が学校の先生を訝し気に見たりします。

    人は、教わったやり方でしか教えることはできません。
    経験していないことは、教えられないのです。

    聖書によれば人は楽しむためにこの世に誕生してきたそうですが、学校現場も子どもたちが来たい!と思うような楽しい場所であってほしいと思います。
    罵倒や体罰、妄信的な部活動が、また来たい!と思う、楽しい学校現場になるのでしょうか。
    そして、この負の連鎖を断ち切れる日は、いつになったくるのでしょうか…。

    吹奏楽経験者で、芸大に行っていました。
    罵倒や体罰を受ける指導と、そうでない指導も体験しました。
    企業研修で最新の教育方法なども勉強しました。
    会社の新人に厳しい指導と、そうでない指導(最新の教育方法)をした結果、後者の指導が明らかに成果が出ていたので、罵倒や体罰は必要ないことがはっきりわかりました。

    これからのことを伝えたくて書かせて頂きました。
    拙い文書で申し訳ございません。
    指導にムチは要りません、逆効果です。

    1. 鴉(運営者) より:

      コメント欄をさしあたり閉じた後に誤って自動的にスパム扱いになっていたのに気づき、投稿の反映が遅くなり申し訳ないです。

      「聖書によれば人は楽しむためにこの世に誕生してきたそうですが」とありますが、キリスト教の新旧約聖書を指しているのであればそのような内容は見た覚えがありません。むしろ聖書はそういう享楽的な人間観には否定的だと思います。

      仰らんとすることは理解できますが、私は何も、いい加減な活動を許さずに徹底して質の高い練習を追究するような「厳しさ」まで否定する必要はないと思いますし、それは本来、活動の楽しさや生徒の安全とは決して相反するものではないでしょう。問題は、厳しい指導を暴力や脅しを用いたり罵声を浴びせたりすることと混同している人たちが未だに多いように思われることです。

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