「日本バプテスト連盟」の政治活動に対する批判等
こういうご時世ですから個人攻撃を受けるのが怖いのですがこの際書いてしまいましょう。先の記事で言及した集会を開いたのは、私が関わっているプロテスタントのキリスト教派である日本バプテスト連盟の性差別問題特別委員会なる組織です。この委員会は何年も前のことですが、日本バプテスト連盟の各教会の代表者が集まる会議の場で、委員会に対して脈絡なく放言を吐いた人物に対し、その場で非難決議をするなりせいぜい後で抗議文を送るなりすれば済む話にもかかわらず、わざわざ問題発言を行った人物のいる遠方の教会へ人を派遣して「研修」を行ったことがありました。まるで部落解放同盟の糾弾活動のようで、それ以来私は先鋭的で恐ろしい人たちだという印象を抱いています。
とはいっても、バプテストという教派は一般的な「教団」とは異なり、あくまで自立した各教会間が主体的に協力するための機関に過ぎず、日本バプテスト連盟は全国の教会を統括する組織ではありませんし、性差別問題特別委員会などの委員会も全国の教会の有志が集まって運営しているに過ぎません(ただ一応は包括宗教法人内の特殊委員会という位置づけで予算は組まれていますから適切に表現するのが難しい)。ですから、そのような委員会がおかしな人を呼んだところで必ずしも各教会や信徒が委員会の意向を支持しているわけではありませんし言うまでもなく集会への参加は自由です。
ただし、あくまでバプテスト連盟の内輪だけの委員会の活動ならともかくも、「バプテスト連盟」という名で対外的に政治的な意見表明をするとなると話は別です。たとえば、以下のポスターには「わたしたちは、戦争法案に反対します。日本バプテスト連盟」と書かれています。
どうも世の中にはバプテスト連盟全体が左翼的だという印象を持っている人がいるようで私はそれは誤解だと思っていますが、世の中の大半の人たちはバプテストが上で述べたような特徴を持った教派であることは知らないでしょうから、もしこのようなポスターを目にすると、曲がりなりにも数百あるバプテスト連盟の教会やそこに関係する信徒全体が同じ政治的主張を支持して一致団結しているのではないかと勘違いされる危険があります。特に、「戦争法案」などはほとんど日本共産党の関連組織のみが用いる呼称であって、日本バプテスト連盟が共産党の影響下にあると誤解さえされかねません(少なくとも個人単位では共産党の政治家と関わりのある人物はいるようですが)。
このようなポスターがどのような経緯で作られたのかどうかはわかりませんが、理事会のメンバーになっているようなベテランの牧師や信徒たちがなぜ臆面もなくこのようなものを公開、配布するのか全く理解できません。「日本バプテスト連盟有志」、「日本バプテスト連盟理事会」、「日本バプテスト連盟○○委員会」などと書けば良いにもかかわらず、「日本バプテスト連盟」と書けば数を大きく力強く見せられると考えているのならば姑息で卑劣な発想です。
日本のキリスト教徒はただでさえ少なく、たいていの教会は特に若い世代の人がもっと教会に関わって欲しいと望んでいると思います。それにもかかわらず連盟の中のお偉方がこのような独善的なことをしていると、バプテスト連盟の教会に関わると特定の政治的な信条を持つことを強制されるという誤解を生み、尚更教会に寄り付こうとする人は少なくなるでしょう。委員会にしても当の委員の方々は必死に否定するでしょうがもはや活動することが自己目的化しているように感じられ、それなりに長く連盟の教会に関わっている私ですら過激派セクトのようで近づきたいとは思いませんから、そうでない人たちは尚の事でしょう。連盟の特別委員会に限ったことではありませんが、講師を呼んで講演会を開く際にはその人物の主張が支離滅裂なものでないか最低限下調べをしてから決めるべきです。最初から自分たちにとって心地の良い結論さえ強い言葉で断言してくれれば発言の論理性などの中身はどうでも良いと確信犯的に考えているのならば付ける薬はありませんが。このようなことをやっていると、かえって政治への失望や反発を生み、結局は教会の社会的な力も失われ、自分で自分の首を絞める結果に陥ることがわからないのでしょうか。
セクトといえば、日本バプテスト連盟の「女性連合」が発行した冊子にあるフェミニスト神学者の寄稿した文章に反発した原理主義的な傾向を持つ牧師たちがセクト的なグループを作った話もあるのですが(ここでは詳細は書きませんが教会に関係のない人が聞けば失笑するような話です)、私は原理主義には一貫して批判的でそれを聞いて情けなく思った一方、フェミニスト神学者の書いていることも独善的でどっちもどっちだと思いました。先日も言及したように、少なくともインターネットにおいては立場がどうであれ極端な主張をする人は目立ちはするもののそのような主張を支持している人たちはあくまで少数派に過ぎず(そういう人たちは単に少数派であることを誇りにしそうですが)、現実世界の日本バプテスト連盟内でもそうあって欲しいものだと願っていますが果たしてどうでしょうか。
他にも西南学院大学の神学部教授による学生の命を軽視するような文章などバプテスト連盟について言いたいことはありますがあまりにも不毛ですからこのあたりでやめてちょうど日曜日ですし礼拝に向かうことにします。なお念の為に書いておきますが、バプテスト連盟の教会内で特定の政治的な立場を支持するように仕向けられたことは少なくともいくつかの教会を転々としてきた私は一度もありません。バプテストは本来個人の良心の自由を最大限尊重するため、バプテストの基本的な信仰の枠組みさえ受け容れれば(上でも言及したように各教会が独立しているとか、幼児洗礼をしないとか)、政治はおろか信仰についての特定の信条さえ強制されることはありません。そうであるから「バプテスト連盟」の名で自己主張することに対して批判しているのです。