キルケゴールについてのデタラメを吹聴する「知の巨人」

以前、結局ついつい覗いているTwitterを見ていたら、キルケゴールを研究しているという大学院生が、名前は出せないが「知の巨人」と呼ばれる人が、キルケゴールの著作『死にいたる病』に「実存の三段階」が書かれていると言っていたなどとツイートしていて目を疑いました。

そんな知ったかぶりのデタラメを言っているのはどこの「知の巨人」様かと気になって「キルケゴール 知の巨人」というキーワードでGoogle検索をかけたところ、立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明氏だということがわかりました。

「キルケゴールは、著書『死に至る病』の中で、人間の真の生き方に到達する道を3段階に分けて記しています。」

(ダイヤモンド・オンライン)“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴール、マルクス、ニーチェは哲学をどう変えたのか?哲学と宗教全史

(2022年5月13日閲覧)

だそうです。ウソつけ

今思えば不思議ですが「美的実存」、「倫理的実存」、「宗教的実存」という「実存の三段階」は確かになぜか高校の「倫理」などでも出てくるほど有名なキルケゴールが用いた概念ですが、実は『死にいたる病』をはじめ、文庫になっているような有名な著作には意外なことにそれらは登場しないのです。この人、本当に『死にいたる病』を読んだことあるんでしょうか。

他にもよく見たらさらに下の方で、出口氏は「中公クラシックスから桝田啓三郎による新訳も出ています。(強調は引用者)」などと述べています。桝田氏はドイツ語からの重訳が多かった中でデンマーク語から(キルケゴールはデンマーク人ですが死後にドイツ語圏で評価された人物です)直接キルケゴールの著作を翻訳した人ですが(現在手元にないですが、中公版だったかちくま学芸文庫版(同じ人物の翻訳が別の出版社から出ているのは不思議ですね)についていた紙に書かれていた対談によると桝田氏以前にもデンマーク語から訳した人はいたらしい)、1990年に亡くなっています。キルケゴール専門の研究者である鈴木祐丞氏が2017年に講談社学術文庫から出しているものならともかくも、記事が書かれた2019年から遡っておよそ30年前に亡くなった人が訳したものなど常識で考えて新訳とはいえないでしょう。言っていることがメチャクチャです。

出口氏は上のページで宣伝されている『哲学と宗教全史』などという本をダイヤモンド社から出版していますが、専門的な教育を受けたことがないにもかかわらず、そのような膨大な人間の知的遺産をまとめ上げたかのような題の書物を出版できると思い上がっている時点で、知的水準や歴史的な知に対する誠実さが欠如していることを露呈しています。いかにも政財界上がりで権力だけ握った人物がやりそうなことで、小説家が『日本国紀』などという本を売るのと同じようなものです。そういえば以前、『日本国紀』とは対極の政治的信念の小説家が『一億三千万人のための『論語』教室』という本を出版していたことを批判したことがありました(彼の場合は「大学教授」として地位と金銭を得ているのですからもっと悪質といえるかもしれません)。そのような本を買って何かわかった気にはなったところで実際には何の益もありません。くだらない雑談やYouTuberのたぐいのいかさまの種になるくらいでしょうか。間違っても大学生のレポートの参考文献としては使ってはいけない本です(このように批判するためなら別でしょうが)。

出口氏のような人はキルケゴールでも良いですが特にプラトン(キルケゴールはイエス・キリストは別格として、プラトンの著作に登場するソクラテスを尊敬していました)あたりを読んだことがあるのなら自分の思い上がりが散々に非難されていると感じ、とてもそのような本を出す気などならなくなりそうなものですが。

なんでも出口氏はAPUで初めての民間出身の学長らしいですが、このような学問を軽視する以前に平気でウソを吐く人物を長にして研究、教育機関としての大学の運営に支障はないのでしょうか。国際経営学部があったりともともとビジネス界に近い大学でしょうが、APUも落ちたものだと思います。こんな人に振り回される教職員や学生は気の毒です。

ところで、個人的には「知の巨人」といわれると今は亡き立花隆氏のほうが思い浮かびますが、今回のことを調べる前はさすがに立花氏だとは思いませんでした。私は「知の巨人」などというキャッチフレーズを見聞きした時点で胡散臭いと受け取るような人間で、立花氏の著作にも専門家からするとおかしい点はあるのだとは思いますが、どこから仕入れたかもわからない不確かな情報をツギハギするのではなく自分の足で取材している点だけでもいくらなんでも出口氏と比べるのは立花氏に気の毒だと思います。随分と「知の巨人」も安っぽくなったものです。

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