済々黌「シメ」と丸刈り訴訟で原告敗訴と済々黌OBの感想等

この事件は済々黌OBに教えられて知り、その当時、OB自身受けたという「シメ」の印象と、裁判には懐疑的であるというような記事を書きました。

https://te-koku.com/archives/5166

2年半もよく裁判を続けていたものです。案の定原告が敗訴しました。裁判長によると、「社会通念上の相当性を欠き、違法性があるとは認められない」そうで妥当な判決だと思います。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20220530/5000015771.html

https://mainichi.jp/articles/20220530/k00/00m/040/235000c

この事件を私に教えたOBは、指摘されているようなシメは確かに存在していたが、上級生は半笑いを浮かべて行っているなど本気で新入生を脅しているわけではなく予定調和的な行事だったなどと言っていました。そのOBの友人の別のOBにも聞いてみたところ、屋上での校歌指導は確かに強制的な行事で声が枯れるまで歌わされたが、妙な達成感はあって一つの思い出にはなったとのことでした。他にも昼休みに突然応援団が現れて新入生を締め上げるイベントもあったようですが、それは彼の在学中になくなったそうで、済々黌の伝統行事も全く旧態然のまま変化していないというわけではないようです。おそらくそのイベントもガチンコファイトクラブのようなあからさまなやらせ番組みたいなものだったのではないでしょうか。ちなみにOBは二人とも叩き上げの体育会系とは程遠いタイプの人です。濟々黌を出たからといって別に佐々友房先生を崇め祀っているわけではありませんし、人に何かを強要するような人たちでは決してありません。

私も高校は入学直後の4月の時点で不登校になってそのまま退学した経験のある人間ですし、公立高校の部活動公立中学校の教師による「伝統行事」のあり方を批判したこともありますが、以前も書いたように、ソフトテニス部は知りませんが少なくとも「シメ」については、OBから聞いた話の限りではほとんど寸劇のような演出であったらしいことや、原告が「うつ状態」になったことと「シメ」とが本当に因果関係があるのか不明ですし、そもそも裁判に真剣に勝訴する気も感じられなかったため、あまり同情も支持もできませんでした。いささか両親が過保護すぎるし、もともとがそのような伝統行事に敵対的な政治的信念を持った人にすぎなかったのではないかと勘ぐりたくなります。わざわざ1円のために控訴までするらしく、弁護士費用も手間もかかるだろうに随分裕福なもので、もの好きな弁護士もいるものだとも思いましたが、代理人弁護士の「倉地智広」という名前を検索してみたら第一東京弁護士会所属の弁護士が出てきました。記事の写真ではマスクをつけていて顔がはっきりとはわからず同姓同名の別人の可能性もありますが、どうしてわざわざ地元ではなく東京の弁護士に依頼したのか実に不思議なもので、交通費だけでも相当高額になるはずです。余談ながらもう昔のこととはいえ私の親なんぞ、塾をやめたいと言ったら負け犬呼ばわり、高校を中退したら学校の最寄り駅を通るJRに恥ずかしくて乗れないなどと言っていていたく傷ついたもので、まあそれよりはマシなんでしょうか。

なんにせよ、内容が本当に理にかなっているかは度外視して強い感情をむき出しにして訴えたら押し通るのが良いと考えている人が少なくない世の中にはなって欲しくないものです。どうもこの頃は誰も痛み(不快さ)を感じない社会がよい社会であり、とりわけ痛みに敏感な人を基準として皆それに合わせるべき(腫れ物に触るという表現がぴったり)という価値観が流布しているように感じますが気の所為でしょうか。そんな社会が実現したらそれは偽りの自由しか与えられないディストピア以外の何物でもないと思います。

さて、毎日新聞の記事の教育社会学者の内田良氏の「裁判所には、暴力的な行為があったかを形式的に見るのではなく、生徒が内面で感じた部分にも目を向けてほしかった。校歌指導や丸刈りが、先輩に逆らえない集団的な同調圧力の下で行われたことを考慮すべきで、学校は伝統を理由に正当化せず、社会や子どもたちの状況に合わせて見直すべきだ」というコメントも彼のもともとの発言がそのままテキストになっているのかどうかは知らないものの、もし暴力的な指導が実際にあったか、どのような被害を受けたかという事実よりも、どう感じたかという内面を重視するなら、やはり単に不快感を訴えるだけの少数のクレーマーのような人たちをのさばらせたり、私が問題視したようなカルトチックな部活動の指導も、教師と生徒間の合意があるなら認められることになってしまう危険があります。まして裁判で客観視できる証拠を軽視するようなことがあるならそれはもはや法治国家の裁判ではなくなってしまうでしょう。丸刈りの強制は事実認識に争いがあるようですが上のOBの発言からすると少なくとも「シメ」についてはそもそも本当に「先輩に逆らえない集団的な同調圧力の下で行われた」とまで断言できるのかも疑問です。所詮はマスコミの報道は一面的に過ぎず、中立性や公平を期待してはいけないと改めて感じさせられました。

前の記事から2年半、原告もすでに二十歳だそうですが、近くに住んでいたら、しょうもない裁判をやったところで気が晴れるわけでもないから是非硬式テニスでもやろうぜと誘いたいものです。

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