安倍晋三の死で発言をためらう人の不思議

年の近い知人の知人のTwitterで、安倍晋三氏が銃撃されて意識不明に陥ったというニュースのリツイートの後に、今日はいい加減なツイートをしづらいなどとつぶやかれているのを見て、なぜそのようなことを書いたのかが不思議でたまらなくなりました。その人、その前日に高橋和希氏が亡くなった時にはその死には言及していたものの、安倍氏のときのようなことは書いていなかったのです。

彼が公務員であることを差し引いてもいささか権力におもねりすぎているのではないかと感じましたが、前後のツイートからするとおそらくは特別に安倍氏を支持していたことは覗えました。そうだとしても身内の喪中や天皇が崩御したときのマスコミではあるまいし、どうしてそんな気分になるのかがわかりません。同一視とまでは言い過ぎかもしれませんが、自分に近い人と感じていたとしても、元総理大臣にそのような近さを感じ取れるのが不思議です。

私自身は気違いめいた左翼やフェミニストのように、自民党政権の政治が原因で事件が起こったなどと断言したり、海外からの弔事に文句をつけたりするつもりは毛頭ありませんでしたし、総理大臣の在任時も別段個人的に支持していたわけではなく、むしろどちらかといえば批判的に見ていましたが、かといってアベ政治を許さないなどの紋切り型の文句を唱える人たちにも同調することはありませんでした。そうだからか、安倍氏が死去したというニュースを見ても、あらそうですか残念ですね、いやはやおかしな人によるテロは恐ろしいくらいの感想しか湧きませんでした。

なんにせよなぜ自分の言行を制限しようとまでするのかが純粋にわからないのです。これがたとえば熊本が生んだナントカ還元水大臣が首をくくった時でも上で言及した彼はあのようなことを言ったのでしょうか。まあ、上で触れた左翼やフェミニストと同じくらい、私は一生仲良くなれない遠い国の住人なのは確かなのでしょう。

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