ポケモンSVのキャラへの「ポリコレ」の影響?について古参プレイヤーの覚書
冒険の舞台がイベリア半島をモデルにしているにしては褐色の肌のキャラがやたら多い気がする(もちろん同じスペイン語圏でも南米なら違和感はないが)。肌の色以外にも中性的な容姿のキャラも昔からいたことはいたが今回は特に多い。もちろんそのような要素に関係なく魅力的なキャラは魅力的なのだが(たとえばチリは最後まで男と思っていた、アニメではちゃんと女性声優を使って欲しいものだ、再戦できないのは残念でならない)、実態の伴わない「多様性」が錦の御旗になっている世が世なのでどうもアメリカの一部の小うるさい人たちの理想論を押し付けられたように感じられなくもない。順番からすると次はアメリカがモデルの「ブラック・ホワイト」のリメイクが出るのかもしれないが悪影響がないことを願いたい。
キャラクターデザインが以前に増してアメリカナイズされているように感じたのでスタッフも欧米の人がだいぶ増えているのかと思っていたが、スタッフロールで日本人が大半なのを見て、私だけでなく友人も意外そうにしていた。
私は大体見た目は「女の子」(確か「サン・ムーン」で「男の子、女の子」という表現は使われなくなった)でプレイしているが、今回は特に性別の差異がなくされているし、着せ替えでスカートが選べないのが不満だった(いっそ男の子でも穿かせられるようにしてもよかったかもしれない、似合うかどうかは別として)。着せ替えは搭載された最初の「X・Y」が一番充実していてお洒落だったように感じる。ただしこれに関しては今作はただでさえバグが多いので十分な開発時間が取れていないことが疑われる上、処理が複雑だったり(確かに走ったり飛んだりしているときにめくれ上がらない程度に自然にたなびかせたりするのは微妙な処理が必要だろう)と単なる技術的な問題かもしれないが、主人公以外にもスカート着用者が全然いないのは不自然に感じる(と思ったが四天王とかジムリーダーはそうでもないのでやはり走ったり飛んだりする主人公の処理の問題だろうか)。
トレーナーに今までいたような普通の見た目の若者がほとんどいない。そもそもバリエーションが著しく少なくなっているし、フィールドでのトレーナー戦自体、話しかけないと対戦にならないし、戦ってもほとんど一匹しか出してこないので手が抜かれているように思う。
それでもトレーナーに中年の学生がやたら多いのは気になる。別にそういう学生がいても良いのだがそういう人たちの存在についての説明は特になかったと思うし、ストーリーにも関わってこないので違和感がある。「ポリコレ」だとしたら、学生がうら若い男女ばかりなのは許せないステレオタイプだとでもいうのだろうか。現実の大人の学生、一応私もその端くれも端くれだが(当然ながらキャンパスに通う人だけが学生ではないのだ)、そもそも大学生は子どもたちと同じ学生服など着ないだろう。単純に似合っておらず美的センスがない。それなら最初からみんな私服にするか、制服を着せるにしても、クラベル校長が着ている服のような大人用のもっとシックなものを用意すればまだ良かったのではないか。性別や年齢で身体が異なることまで否定したらファッションは成り立たないと思う(まあユニセックスのものもあるとはいえ)。
Twitterなどを見たら案の定反対意見のうちの一部の人の主張を一般化したり歪曲して発信しているような人がいたが、「ポリコレ」にうるさい人たち(立場問わず)の常套手段なので付ける薬はなさそう。小学生の頃から全シリーズやってきたオタクといってよい人間からすると、以前には存在したタイプのトレーナーが突然姿を消して代わりに奇妙な見た目のトレーナーばかりが増えたから違和感があるのである。
ゲーム全体にどうも不自然というか荒っぽい部分が目立つ上、別の記事でも批判したように単に製作者の自己満足でしかないような要素もあるので、必ずしも「ポリコレ」の影響で説明がつくわけではないと思う。ただしリメイク作品でさえもゲームコーナーが廃止されているように馬鹿げた表現規制の圧力がないとは絶対に断言はできないだろう(初代からずっとやってきてるけど生まれてこの方パチンコも公営ギャンブルもしたことないです私)。
なお私は別に男らしさや女らしさを否定する必要はないし、ステレオタイプのキャラクターがいたって良いし(いたからといってどうしたというのか、だからたとえ自分が対象になったとしても批判的にはなっても寛容ではいたい)、そもそも誰も傷つかないような表現などディストピアでしか成立していないとずっと考えているが、社会的影響力のある人たちがそういう考えをはっきりと大っぴらにすれば叩かれるのなら残念なことである。