「知らんけど」など知らない大阪出身者

一部の人の間で、なにか発言をした後に「知らんけど」と付け加えるのが流行っているらしい。

もとは関西弁かららしいが、大阪生まれ大阪育ちの私は非常に違和感がある。なぜなら二十歳までずっと大阪で生きてきて一度も聞いた試しがないからである。自分が言った覚えもないし言われた覚えもない。それにもかかわらずそれが関西弁の典型的な表現だと思われると偏見だと思わざるを得ないし、もしそんなことを言われたら馬鹿にしているのかと不愉快に感じるだろう。ましてテレビかネットか知らないが何かの影響で安易にそんな言葉を使うような人がいたら汚らわしいとさえ感じる。

私に馴染みがないのは地域性によるのかもしれない。大阪に限っても河内、摂津、泉州弁に分かれていて、私は泉州出身だからという可能性はある。ただし現実には三者は混じっているだろうし私も泉州弁の特徴を説明できるわけではない。あるいは社会階層によるものかもしれない。「知らんけど」はどう考えても上品な連中が使う言葉ではない。とはいっても確かに私は柄の悪い家の出ではないとは思うが、小中学校は近くの公立だったし、別にお上品な人とばかり付き合っていたわけではないのでそれも確かとはいえない。

いずれにせよ今に始まったことではないが、特に関西以外の人たちが吉本芸人のような連中が使っている言葉が典型的な関西弁だと勘違いして真似をしようとするのは私からすると滑稽を通り越して馬鹿に見えるだけである。そもそも関西に移住して溶け込もうとするわけでもないのにわざわざ関西弁など真似したくなる人の心境が理解不能である。そんなおもろいか?

関西人でもないのにわざわざ「知らんけど」など使うような人はそもそもそんなものに関心はないだろうが、一度小説でも映画でもいいので谷崎潤一郎の「細雪」でも読むなり見るなりしてみることをおすすめする。映画での吉永小百合などによるアクセントは怪しかったが、私自身、使う人によってはこんなに品よく聞こえるものなのかと大阪弁を再発見した思いがした。

(追記)小中学校が同じ友人に尋ねたところ、彼は責任は負えず不確かであるという意味合いで「知らんけど」を使うらしい(でも彼と長年ずっと話してきて聞いた覚えがないが…)。ということは地域性ではなさそうで、家族を含めてたまたま私の周りの人が使っていなかったから私自身も使ったことがなかったのでしょう。「お前と話すときは使わんかも、気の置けない相手やと間違ってもええやろと思うから」などと言っていました。長い付き合いなのにひどいですね。同じ人でも関係によるということでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください