覚醒剤使用で逮捕された牧師へのキリスト教徒による所感
ありがちなマスメディアの切り貼りしてまとめただけのトレンドブログとは違い、キリスト教徒の末席を汚す人間が業界内にいないとあまりわからないであろう事情や肌感覚を踏まえて、キリスト教に関心がない、よく知らない人に向けて私見を書く。
まだ逮捕されただけに過ぎないが、かつてワルだったことをアピールするような人に大体ろくな人間はいないものでそのことへの驚きは全くない。元暴力団員ならなおのことである。以前もホテルで覚醒剤を使用して女性を殺害した後に転落死した、元暴力団員のグループに関わっていた牧師がいた(ただし本人は元暴力団員ではないらしい)。こういう人は暴力団をやめても精神構造は変わっておらず、単に組織の親分が組長からイエス・キリストに変わっただけで、イエスという「組長」の権威を傘に着て暴力団と同じ感覚で教会を運営しているのではないかと疑いたくなる。
「現役」時代にも薬物の乱用歴があるのなら身体的にも依存が形成されていてもおかしくなく、自分の力では誘惑を断ち切るのは難しい。「改心」したから自分は大丈夫だという慢心があったのではないか。今回の牧師は1958年生まれ、中学の頃から現在に至るまで裏では薬物に手を染めながら牧師や社会事業に携わっていたとしたら恐ろしいことである。
2017年にこの牧師を取り上げた毎日新聞の記事が見つかり、無料部分では以下のように書かれていた。
東京都出身。中学時代から遊び友達と薬物の使用や売買を始め、大学中退後、24歳で組員になった。クリスチャンになったのは組員時代。キリスト教に触れた暴力団仲間からの誘いで、教会に通うように。組織の幹部にまで上り詰めたが、薬物にのめり込み、仲間とのトラブルが原因で43歳のときに組から破門された。「十分好き放題やってきた。これからは神に尽くそう」。そう改心し、東京を離れ、名古屋と神戸の神学校で学び」
暴力団に在籍しながら平然と教会に通っていたというのも、破門されたから「十分好き放題やってきた。これからは神に尽くそう」という「改心」の動機も怖すぎる。あくまで新聞記事の文章に過ぎないが、暴力団員であったことへの反省がすっぽり抜け落ちている。破門されなかったらずっと暴力団生活を続けていたと思われても仕方がない。やはり上で書いたように、このような人にとっては暴力団が教会に名前だけすげ変わったに過ぎないだけなのではないか。いずれにせよそういう人が牧師という、なんだかんだ宗教的な権力を持って他人の人生に影響を与えるような職業につくのは危険すぎる。
今回の牧師が意外だったのは、現在は消えている「神戸弟子教会」の牧師紹介のページを見て、単立教会ではなく「宗教法人 イエス教世界日本宣教会 神戸弟子教会」となっていた上、一応はまともな神学校を出ていたことだ。この手の人はどこの教会にも属さない単立教会を開いて、実質牧師が支配する個人商店のようになっていることが多いように思われるからである(まあ教団に属していることと個人商店化は両立しうるが)。
最初に入学したリバイバル聖書神学校は、いわゆる「聖霊派」といって、原理主義的な傾向がある上に、わけのわからない呪文のようなものを唱える神秘体験や、「悪魔」や「悪霊」との戦いを強調する教派の神学校で、2000年以上の明暗の歴史を背負うに耐えうるような神学の学びができるとは到底思えないが、次に卒業したという神戸改革派神学校は、日本キリスト改革派教会という教派が運営していて、カルヴァン主義の体系的な神学がバックボーンにある神学校である。もともとは原理主義的な傾向があったものの現在はそういうわけでもないらしい。私は一人そこのOBと話したことがあるが、知的で誠実、大真面目な人でまさに牧師の鑑のようだった。同志社大の神学部編入生も、同志社でさえ大学院に行くのが当たり前で学部の2年間だけでは使い物にならないと言っていた。なにしろ「神」である。取り扱い注意どころの話ではない。北斗神拳ではないが誤った人間が伝承すれば世界を破滅させかねないのは宗教戦争や魔女狩りなどの血なまぐさい歴史を振り返るまでもないだろう。
神戸弟子教会が属している「イエス教世界日本宣教会」は韓国系のカルヴァン派の教派でなぜそこに属しているのかはよくわからなかったが、Wikipediaには「大韓イエス教長老会合同派総会からの派遣宣教師と共に、日本人と在日韓国人とが1995年4月に設立した宣教団体。」とあり、韓国から派遣された宣教師がバックにいてこの手の元暴力団員が牧師になるのを支援しているのかもしれない。彼らは自分たちの教派を拡大することにばかり熱心で、いささか見通しが甘すぎるのではないかと思う。ちなみに赤い十字架を掲げているのは韓国系の教会や原理主義的な教会に多い(特に前者)。
暴力団にせよ非行少年にせよ、その時の体質をそのまま教会に持ち込むのはおかしいのは言うまでもないことだろう。当然過去は消すことはできないし、身体に刻んだ刺青も綺麗に消すのは難しいらしいが、改心したというのならば少なくとも自分の来し方を徹底的に反省して自分の中の権力欲支配欲に向き合い続けなければならないはずである。薬物中毒の治療中の人は毎日が薬に手を出さないかどうかの戦いだと聞いたことがあるがそれと同じようなものだろう。そんな人が安易に牧師になるなどとんでもないことである。自分が救われたから人を救えるなどというのは思い上がりも甚だしいと一応キリスト教会の内部事情を少しは知っている人間としては思う。
これは半可通ならではの視点だと我ながら思うが、韓国系の教会の中には熱狂的な人たちも見られるし、原理主義的な教会は往々にして一回きりの劇的な「改心」だとか「救い」を強調して、一度「救われた」後の人生には無頓着な傾向があるためそのような信仰のあり方が今回のような人物を生み出すことを助長しているといえるような気もする(根拠としては弱いか)。
いつものことだが、このような事情をわかっておらず、謙虚に学ぶ気もないくせにセンセーショナルだからかこの手の人物を表面的な取材で安易に取り上げる毎日新聞のようなマスメディアは低劣である。今回のようなことが起これば間接的に被害の拡大に手を貸していたことになるといってよい。