福音派ないしファンダメンタリストによる「リベラル」というレッテル

ネット上では、「聖書の言葉が一字一句誤りがない」と主張している福音派や、ファンダメンタリスト(原理主義者)的なキリスト教徒が、メインラインのキリスト教会は、リベラル(自由主義神学)で聖書を信じていないなどと断罪しているのをたまに見かけます。しかし、これはまったくの虚妄に基づいた偏見だと言わざるを得ません。

そもそも彼らが指しているようなリベラルな神学を採っている教会が現代においてどれだけあるのかどうか不明です。お気の毒なことに彼らの頭の中は、100年か200年以上前で止まってしまっており、ありもしない敵を勝手に作り出して叩いているのです。
たとえば、日本基督教団がリベラルだと断じているのには失笑せざるを得ません。教団の執行部が保守化の傾向を強めていて、さまざまな問題が起こっていることも知らないのでしょう。(なお、私は日本基督教団の信徒ではありません)

彼らは毛嫌いしているであろうカール・バルトはおろか、リベラルの槍玉に挙げられているシュライエルマッハーもトレルチも実際に読んだことがなく、彼らが一体なにを問題視して、何を訴えたかったのか、歴史的な背景を探ろうともしないでしょう。なぜ、ウォーフィールドやバーナード・ラムのような類ではなく、シュライエルマッハーらのほうが思想史で重要人物とされているのかまったく理解する気がないわけです。
それにもかかわらず、自分たちが初代教会や宗教改革の伝統に基づいているなどとのたまおうものなら、これは完全に思考放棄しているとしか言いようがありません。

ファンダメンタルな人が、安倍晋三氏ら自民党政権を批判しているのを見たこともありますが、彼らにそんな資格はあるでしょうか。歴史修正主義的で、被害妄想を抱いて勝手な敵を作って攻撃しているという点では、自民党らの政治家はおろか、在特会のような連中とすらやっていることがそう違うものではないからです。彼らのような人たちが社会で影響力を持てば、社会は破滅へと向かうでしょう。

結局、彼らは歴史から逃げて、ドグマに基いて聖書の言葉を表面的に、虚しく連呼して慰め物にしているだけに過ぎず、聖書の一字一句まで信じていると言っておきながら、実際は聖書も神の力も信じてはいないのです。身勝手な態度で他人を断罪する前に、まずは自分自身の信仰を問いなおしていただきたいものです。

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