キリスト教会は神殿ではない
教会について調べ物をしていたら気になる記述が目に入りました。教会の写真に、「神殿」と説明書きがされていたのです。
いやいや、教会は神殿ではないだろうと。
たとえば、福音書によると、イエス・キリストが十字架にかかって死んだ時、神殿の幕が裂けたなどと書かれていますし、パウロは我々の身体が聖霊の宮であるとまで言っています。
このように、聖書を読んでみると、むしろ、当時のユダヤ教への批判的な視点から、いわゆる建物として、宗教施設としての神殿へのこだわりにむしろ否定的だと思うのですが…。そうだとして、今度はキリスト教会が神殿化してしまっているとしたら皮肉なものです。人間の性というものでしょう。
カトリックや正教会だと聖堂というものがおそらく神学的な伝統に基づいて存在していると思いますが(それでも神殿という言葉は使わないでしょう)、今回神殿と書いてあったのは、そういうものから距離をとったはずのプロテスタント教会だったので余計に気になりました。
そもそも、翻訳の問題もあるかもしれませんが、神殿というと、神的な存在者が住む聖なる場所というイメージが浮かぶと思いますが、当たり前ですが、教会に神が鎮座しているわけではありませんし、教会そのものは崇拝対象でもなんでもありません。(礼拝はお参りではありません)
上で取り上げたパウロの言葉も、たぶんそういう神観を乗り越えようとする意図があったのではないでしょうか。(ある子どもが、礼拝堂の十字架を指して、「ここに神がいる」などと言っているのを見たことがあるので、意外と誤解している人も多いのかもしれませんが)
ですから、教会が神殿というのはなおさら変な話です。